人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

真の超越

2024-07-02 09:33:28 | スピリチュアル
私はよく自己を超えるというようなことを言っています。
だけど、同じ言葉でもニュアンスが大分違ってくるものがありまして、この言葉から、今の自分をもっともっと高めて行って、普通の人間を超えた存在になるような意味に捉えられたりもするでしょう。
私はそういうニュアンスで言うことはほとんどありません。そういうのは自我的な思いから出て来るものなのであり、私がシツコイほど言っているのは、自分の思いを超えるということなのです。
そしてそれは、自分は自分を超えたものと共にあることにつながるのです。
それを神的な現臨にあることと言い、もっと分かりやすく言えば、神と共にある、インマヌエル(滝沢克己)な在り方ということになるのです。
要するに超えたもの無しに、自己を超えることは出来ないということ...エゴが増幅してゆくようなこととはまるっきり違いますね。
こういうことは、古来からあらゆる宗教的な道で、言葉を超えて説かれて来た、大事なことであるにも関わらず、世間的には思考マインドを強めてゆくことが優勢なためか、はっきり示されて来なかったようです。
いや、人生において、こんな大事なことは無い。少なくともあらゆる精神的な道の焦点となるものであると言っても過言ではないでしょう。
それにより、自己実存というものが明らかにされる。
それは同時に自分以外の他者、世界との関わりが明らかにされることでもある。(ここでは言及していませんが、自分を超えるということは、他者と交わることでもあるのです。その超越者こそ他者に他ならないということでもある)
そして何よりも、苦悩、不安から解放されるということなのです。
悩ましき思いが出てゆく場所がある!
自分がなんとかしようとしなくたって、そこに出ればなんとかなる!
考え、悩み、苦しんでいる自分だけが自分なのではない!、それは超えられてしまう、その超えたものと一つであるということなのだから!
人の生は、これに開かれているか、閉じられているかで大きく変わると言っていいでしょう。
神、それに類した言葉に囚われる必要も無いし、所謂信仰も必要ありません。
一個の人間は、それだけで成り、生きているのではない!、思われたあなただけで生きているのではない!...このことは、正に思いから離れた時に分からされることです。
その思いを離れせしめるものは、あなたではない!...その超えたものそれ自体である!
特別な信仰など持つ必要は無いけれど、否応なしにその超越者に意識が向かわざるを得ないでしょう。
意識すればするほど、このことはハッキリ示されるようになります。
自分の思いから信じ込もうとしないで、そのように示されれば、神的なものと共にある、インマヌエルな在り方が人間存在の原態だということがワカる...かもしれない?...

コメント
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