古いビデオカメラを今でも保存している。
今でも取説を眺めると、その機能の大部分は使いこなしていなかったことに気付く。
やがて製造が中止され、買い換えたが再生機能を活用するため古い機材は残して置いた。
バッテリーを充電するだけで、本体を使うこともなく25年以上が経過。
一昨日、点検を兼ねて機材を引っ張り出し、試しに古いビデオテープをセットした。
モーターなどは一応駆動したが、液晶モニター表面はかなり劣化していた。
▲(古いビデオカメラ一式)
使ったテスト用のテープは、相方の両親の金婚式の記録で、表彰の受賞から親戚一同の宴席まで。
1本90分のテープを3本使用していた。
このテープを、当時両親が持っていたVHSの再生機で視聴出来るよう120分に編集して渡したのだ。
喜んだ両親は、訪れる人があると誰彼の区別無く見せて自慢したらしい。
リモコンの電池が切れて、使用できなかった他は機材は正常に動作した。
動作確認はほぼ満足したが、それ以上に映像の中味には衝撃に近いものを感じた。
既に両親は他界し、元気にカラオケを歌っていた親戚の何人かは既にこの世にはいない。
二児の母親になっている二人の姪っ子も、小学生と中学生で歌っていた。
司会は相方でカメラマンは私。
カメラを固定して自分も登場して、紋付き袴で謡曲の目出度い部分を謡っている。
相方と呆気に取られながらビデオを見ていて、気がついたら夜中の0時をとっくに回っていた。
二台目のカメラは比較的新しくて、10年くらい前からの映像が残っている筈。
▲(二代目のビデオカメラ)
此方はテープではなくて、内蔵した記録媒体に貯め込む式のもの。
定年後は毎年2~3箇所を旅行した。
全国を駆け巡ったが、関東地区だけは原発事故、熊本地震、コロナで延期のまま。
二台目の機材も、定期的に充電を忘れないように気をつけている。
しかし、これもスマホで写すことが多くなるとだんだんと疎遠になっていった。
▲(一代目と二代目の収納バック)
時代と共に、軽量小型化が進み手軽に膨大な映像資料が蓄積される。
現代は情報は消耗品になっていて、数年後に見るということは想定されていない。
写真のアルバムは、一瞬に少年時代に引き戻すがビデオ映像は覗き込むことすらしない。
▲(球磨川鉄道:一武駅)
ローカル無人駅の、ホームのミラーは前方を見つつ後方を確認するためにある。
何だか前ばかりを見つめることを生活と勘違いしていた自分に気付く。
人は何故記録するのかを考えさせられた真夜中のビデオ機材の機能点検だった。
「永久も一時保存も荼毘の中」・・・しろ猫
こんばんは
私の古い映像機器も
机の引出に眠ってます
重たいので
使うことはありません
コンデジとスマホで
今は用が足りてます
記録を残す
やめられません (笑)
竹千代 拝
こんばんは
キッチリとラベル管理して
いないと年代さえ不明なも
のもありますね。
何が出てくるかお楽しみも
それなりに面白いですけど。
しろ猫