子曰わく、
人にして信なくんば、其の可なることを知らざるなり。
大車輗(げい)なく、
小車(げつ)なくんば、
其れ何を以てかこれを行(や)らんや。
人としての信義がなければ、人としてとるべきところが何もない。
大きな牛車に轅(ながえ)が無く、小さな馬車に軛(くびき)が無ければ、牛馬を繋ぐことも出来ず、どうして車を動かせるだろうか。
轅と軛は、人と人を繋ぐ信義に喩えている。
一日開けて出る尚の疲れ必至で、昨日はニャン達のモノと、自分らの夕飯の買い物に出ただけでしたが、好いお天気でしたですね。
お蔭さまでスッカリと疲労も取れて、好い感触とかイメージで、また一日一日を気分よく過ごせて行きそうな気がしています。
それと、3・11、あれから一年が経ちました。
早かった様な、何倍にも長く感じる様な、そんな一年だった気がしていますが、あの日は私はちょうど日課にしていたお風呂に行き、サウナに入っているところでした。
私は鈍感な方で揺れはほとんど感じずにいましたが、夕方4時から見ていた韓国ドラマに間に合おうと帰宅し、TVを着けてから、これはいったい何処の何事の映像なのかと現実を受け止めるのには相当間が要ったと思います。
私の様な者がツベコベと物を言っては行けない様な、その気持ちは一年経っても変わっておりませんが、3月11日の5日後、私は心電図で異常を示し循環器系の病院で検査等の診察を受けたのでした。
医師に特に問題点も見つからなく半年後に再診断をするので来る様にと、先ず一応の安堵のはずが、何がどうと云うのでもないけれど、あの時は非常に具合が悪かったし、心臓に欠陥でもあるのかと思い込んでしまって1~2年以内に死んでしまうとヘンな覚悟をしていましたし、身辺整理みたいな事をして自分を慰めて(?)いたのでした。
ドキドキ感が少しでも起きれば、ホント落ち込んだりしましたが、再検査を勧められた9月には、涼しくなってきたせいもあるんでしょうが、何となぁ~く気分も上がって来て元気になった風で、きっと問題などあるものか、心電図が異常を示したのも大震災のショックだったのだと自分で思いましたね。
被災もしていない自分がショックを受けて具合を悪くした事、自身を責めていたのだと想います。
意外と自分って繊細なものだと受けて、大袈裟ではないけど、宗教観や、それこそ論語、または三国志などが支えとなった様にも思いますし、トンネルを抜けるきっかけにもなりました。
齢五十過ぎ、凝り固まった人間性などはそうは変わりはしないんだろうけれど、とにかく明るく明るく日々を過ごすべきだろうって、些か自分が変われた様な気持ちに成っています。
また、ヘンなきっかけではありますが、昨夏、自分のPCをWindows7に買い換えたのも好都合でした。
人に自分の心境とかって言ってしまえば、そんなつもりが自分には無くとも、色んな誤解も生じるし、揚げ足だって取られる事にもなるんだろうから、PCとかネットって好い話し相手になりますし、人のことはどうであれ、先ず自分が恥と想える事を起こさない、そんな用心が出来たかと思っています。
見た目が老いぼれて小汚い風になっても、心とか精神は青年の様に在りたいと願うだけの毎日です。(* ̄- ̄)人