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◆城主の悲運と共に炎上した城 安土城跡に、織田信長が怨霊となって現れた?

2019-04-19 04:22:59 | Weblog


安土城址に造られた信長の霊廟

天下統一に乗り出した織田信長が、天正4(1567)年から造営を始め、3年後に完成させたのが安土城である。
日本初の本格的な天守(天主)は外観五層、内部七層の目も眩む高さでそびえ、屋根を金箔の瓦で葺き、屋内を狩野派の画家たちによる襖絵で華麗に飾った豪壮な高層宮殿である。城と同時に城下町も整備されて、商人や職人で賑わった。
しかし天正10(1582)年6月に、信長は本能寺の変で命を落とし、安土城には明智勢が入った。明智勢はその後の山崎の戦いに敗れると城を退去したが、安土城はその際に何らかの原因によって炎上。天主は倒壊して灰燼に帰し、築城から僅か3年で姿を消すこととなった。城下町と住民は、その後豊臣秀次によって近江八幡城に移され、現在の安土城址には石垣や石段、天守の礎石が残るのみである。
この安土城には、大量の黄金があったとされている。 生前の信長はよほど安土城が自慢だったのか、諸侯を招いては内部の隅々まで見せていた。 堺の豪商で千利休と並び称されるほどの茶人でもあった津田宗及もその一人で、天正6(1578)年に年貢の為に安土を訪れた際に、信長自身によって城内を案内され、1万枚もの黄金を見せられたことを日記に書き残している。
この黄金の行方については、本能寺の変の直後に明智勢が持ち出して、朝廷や公家、有力寺社に配ったとされる。おそらくは、それらの勢力を味方とすべく贈ったのだろう。
イエズス会の宣教師で、日本に関する多くの著作を書いた宣教師のフロイスは、信長と親交があって安土城も訪れていた、黄金についても、「信長が長い年月をかけて蓄えた黄金を、明智は2~3日で分配してしまった」と記している。

*埋蔵金目当てに山に入った浪人が遭遇したもの  
だが、黄金は持ち出されておらず、埋蔵金として今も安土城の何処かに眠っているという言い伝えがある。 信長の没後、安土山中には埋蔵金が隠されているという伝説が広まり、これを聞きつけた数名の浪人が発掘を試みたことがあったという。彼らは同地に小屋を建てて発掘に当たろうとしたが、或る夜、数十騎の武者が襲いかかって来た。浪人たちは応戦したものの、手応えがなく、何故か同士討ちとなり、死者も出た。そのうちの一人が麓の家に逃げ込んだが、ほどなく死んでしまう。
その浪人は息を引き取る間際に、安土山で見た光景を話して、「武者たちの中に、寝巻き姿の立派な武士がおり、大身の槍で攻撃して来た」と言い残したという。
その寝巻き姿の武士が信長であったかは定かではないが、その後も埋蔵金目当てに安土山へ入った者は皆、奇妙な死を遂げたという。
この話を聞いた秀吉は、安土城址へ入ることを禁じ、信長の屋形跡に廟を建てて旧主・信長の霊を供養したという。 天下統一お目前にして無念の最期を遂げた信長は、霊となって安土城と黄金を守っているのかも知れない。


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