太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

聞かれたくないことを聞く人達

2020-08-03 11:51:54 | 日記
思いやりは、想像する力だと思う。

私が二十代の頃は、まだ結婚の適齢期が当然のように社会にはあって、
それによれば25歳は行き遅れ。
クリスマスイブには売れたケーキも、25日になると半額になることから、
適齢期を過ぎたらクリスマスケーキだと言われたものだ。

そんな風潮の中で、私たち姉妹は揃って行き遅れ。
妹だけが、なんとか24歳で滑り込んだものの、私が結婚したのは30の手前。
姉など、39歳だった。
両親の、とくに母の気の揉みようといったらなかった。
「誰と結婚したって同じだよ!」
とまで言い放ったが、父しか知らない母に言われても説得力はない。
「親は先に死ぬんだから安心させてほしい」
というのも何度も聞かされたけど、親が死んだあとも私は生きていかねばならないのだから
適当に手を打つわけにはいかないのである。


いつまでも嫁にいかない私や姉が、それはもうよく聞かれたことがある。

「なんで結婚しないの?」

それは自分が一番聞きたいことである。
あの時代に、三十代を独身で過ごした姉が、ぽそりと言ったことがあった。
「私だって牢屋で過ごしてきたんじゃない。みんなと同じ社会で普通に生きてきたのに」
できれば結婚したいと思っているのに、なぜかそうならないジレンマを知っている私や、私の家族は、
独身でいる人に向かって、絶対にその質問はしない。



ようやく結婚したらしたで、私は別のことを聞かれるようになる。

「なんで子供を作らないの」

私の場合、結婚相手との性生活が結婚以来1度もない、という本当の理由を言えば
その場は固まるだろうし、
言いたくもないから「さあ?」とごまかすしかない。
それが妊娠可能な若い頃だけかと思いきや、つい先日も、私は同僚に聞かれた。

「なんで子供がいないの」

子供が欲しくてもなかなかできない人もいることを、情報としては知っていても
目の前のその人がそうかもしれないとは思わない。
私は今の夫との間に何度も流産をしたことを、今はなんとも思っていないからいいが、
そのことを乗り越えられないでいる人だったら、どう思うだろうか。


「旦那さん、何の仕事してるの」

これもよく聞かれる。
私の夫が、ハワイに戻ってきてから転職を繰り返し、
聞こえのいいオフィスでの専門職から、アイスクリーム工場になったときは、
本当に聞かれたくない質問だった。
ましてや無職の期間など、聞こえなかったことにしたいぐらいだ。
現在は、専門職なんかじゃないけど、普通に人に言えるようになった。
でも私は、夫がそういうことになるまで、その質問が誰かを傷つけるのではないかとは思っていなかったと思う。


こういう質問に共通しているのは、その質問に深い意味はない、ということだ。
会話の接ぎ穂、ちょっとした好奇心、聞いても、へえ、そうなんだー、という程度。
けれど、悪気がなければそれでいいかというと、そうでもない。


幼稚園から高校卒業まで、吃音だった私は、よくからかわれた。
「ドングリ食べたの?」
当時、ドングリを食べるとどもると言われていたのだ。
悔しくて見返したくて、しっかり勉強して優等生だったから、苛められることはなかった。
子供はあけすけになんでも言ってしまう。
「なんで変な歩き方してんの?」
「なんで太ってるの?」
「その傷どうしたの?」


結婚も子供も仕事も、私にとっては、そういう子供のあけすけな質問と同じだ。
どうでもいいことなら聞くなよ、と思う。

私は人に、あまり質問をしない大人になった。
友人のジュディスは、視力がとても弱くて、右足に力が入らない。
普通に生活はしているけれど、車の運転もできないし、しりもちをついたら自力で立ち上がるのが大変だ。
友達になって7年たつが、私はその理由を聞いたことがないし、これからも聞くことはないと思う。
彼女が話したれば話すだろうし、知らなくても構わない。


自分が経験したことでなければ、相手の気持ちになることができないのだとしたら、
私は苦労を舐めつくさなければ思いやりのある人になれないことになる。
それじゃあ困る。
だから、想像力が必要なのだと思っている。
人が何をどう思うのかは、その人でなければわからないけれども
私が想像できる範囲のことなら、本人が言うまで触れないでおく、ということが私にしみついている。





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