太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

食パン3枚

2024-06-25 08:30:30 | 日記
小学校時代、給食はパンとおかずだった。
たまに、ソフト麺とカレーの時があるだけで、米飯が出た記憶は殆どない。
5歳違いの妹の時は、米飯の回数がけっこう多かったらしい。

給食のパンは、食パンとコッペパンがあって、どちらのパンも給食独特の味がした。
低学年の時は、パンは1枚(コッペパンは1個)で、中学年になると2枚、さらに2枚半になり、6年生になると3枚だった記憶がある。

冷静に考えてみて、食パンが3枚って、12歳にはかなりのボリュームじゃないか?
大人だって、3枚は食べられない人が多いと思う。
それも、昨今の高級美味なパンではなく、給食の匂いのするパサついたパンだ。
ジャムの小袋と、銀色の紙に包まれたマーガリンがついてくる。
たまにピーナツバター風のものがあったが、あとから思えば、あれはピーナツの匂いのする甘いもの、だったと思う。

この食パン3枚の記憶が、どうにも信じられなくて、姉に聞いてみたのだが、覚えていないという。
しかし、2枚半というのは、半分に切ったパンの記憶があるので間違いはないと思う。


給食といえば忘れもしない、小学1年のとき。
まるごとのイカに詰め物をしたものが出た。
生まれて初めて丸ごとのイカを見た私は、目の前の不気味なものが食べられなくて、うつむいていた。
今はどうか知らないが、当時は給食は絶対に残してはいけないことになっており、
私はそれを食べるまで席を離れることを許されず、まわりの生徒たちが掃除を始めても、ひからびていくイカを見つめながら椅子に座っていた。
そのイカをどうしたのかは記憶にない。
しかし家に帰り、イカを食べられなかったことを母に言うと、

「あらー」

と、シラっと言われただけだったのは覚えている。
母は、自分が好きじゃないものは食卓に出さない。それがわかったのはずっと後になってからで、だから、納豆も結婚してから初めて食べた。
そんな母も晩年は納豆を食べていたから、途中で気が変わったのだろう。

今の給食って、どんなふうになっているんだろう。
先割れスプーンが問題になったのは、私が高校生ぐらいのころか。
パン食も、マーガリンのトランス脂肪酸問題も、まったく言われることのなかった古い時代のことである。




強制断水、解除

2024-06-25 08:02:06 | 日記
強制断水の話を同僚にしたら、

「まるでキャンプ!」

と大笑い。
朝5時半にオープンする水回りの店に仕事前に寄った夫は、そこではTOTOを扱っていなかったために空振りに終わり、結局仕事終わりにTOTOで部品を買ってきた。
店は4時に閉まるので、昼休みに電話をして取り置きしてもらい、少し早めに仕事を切り上げてギリギリ間に合った。
私が帰宅すると、バスルームで目下作業中。
金槌で叩いたり、なぜか知らないがノコギリを使う音もしていて、見に行くのが怖い。

40分後、ようやく終了。

「この部品、たった20ドルだったよ。
10年使えば消耗するんだよね、これであと10年もつよ」

確かに、人に頼めばその10倍以上の出費になるところではあった。
でも、自分をまったく信用していないうえにめんどくさがりの私は、はなから自分で何とかしてみようとは思わない。
夫のこういうところは、とてもアメリカ人ぽいと思う。

とにかく断水解除されて、喜ばしいかぎり。