生きているうちには、あれはなんだったのだろう、ということがいくつもあるものだ。
昨日、庭に出した猫たちを家に入れようと思い、裏口のドアを開けた瞬間
何かが シュッ と私の足元をかすめるように飛び込んできて
ガレージに続く廊下に向かった。
裏口のドア
それは生き物というより、黄色っぽい色のついた空気の塊、といったふうで
私はすぐにそれを追って廊下を見たが、何もいない。
ガレージに続くドアは閉まっていて、廊下は行き止まりだ。
私が離婚したあと、一人暮らしをしていたときのことだ。
ある朝、起きてベッドから降りたら、立てなくなっていた。
両ひざに、まったく力が入らないのだ。
何度も立とうとするのだけれど無理で、私は床を這ってリビングまで行き、
大の字になって天井を仰ぎ、途方に暮れた。
これじゃ車も運転できないし、とりあえず今日は仕事は休みだな、
そんなことを思った。
膝をさすって、「昨日まで動いてくれてありがとう、これからも動いてくれてありがとう」と言った。
どのぐらいそうしていただろう、恐る恐る膝を立ててみたら、立ち上れた。
何事もなかったように、仕事に行った。
小学生の頃の遠足の帰りのバスの中で、どうにもトイレが我慢できなくなり、
激しい懊悩の結果、とうとう漏らしてしまったことがある。
はいているジーンズはおろか、座席にもしみこんでしまったに違いなく、その惨状を確かめようと手を当てたら、
ジーンズも座席も、まったく濡れていなかった。
私の膀胱は空っぽであり、漏らしてしまったのは確かなのだ。
温かいものが太ももを濡らしてゆく感覚だって、ちゃんとあった。
そのとき、ジーンズの後ろのポケットに、出がけに祖母がくれたお守りが入っているのに気づいた。
お守り効果?
こういう、結局答えの出ない出来事は、自分に都合のいいように決めて「めでたし」にするに限る。
だからドアから飛び込んできたアレは、福の神だったということにしているのである。
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