石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

町内会「石巻被災地ガイドツアー」に参加してきました。

2019年09月14日 | 活動

 

      左の建物は「南浜町つなぐ館」。右側の白いポールはこの地を襲った津波の高さなのだそうです。

 

  皆さんは、

 「えっ!! うそでしょ!!・・・・・」

と思う瞬間を経験をしたことはありますか?

 多くの人たちが一斉にそう思った出来事 「東日本大震災」の後の大津波!!

 その声を生で聞かせていただき、そしてその後の石巻の対策の一端を知ることができました。

 先日、台風15号が関東で猛威を振るっているさなか、町内会主催の「石巻被災地ガイドツアー」に参加しました。

 初めは、雲雀野(ひばりの)海岸海岸から1キロメートルの場所に位置している「白謙かまぼこ門脇工場」の見学。

 平成7年頃にできた新しい建物です。かまぼこ製造の工程やその設備等のビデオを視聴し、衛生面での厳密な管理に感心しました。ここまでして作られた製品なら安全安心と感じられます。ビデオを見ながら、熱々のささかまぼこをほおばりながらその美味しさもあってか本当に復興して良かったと今さらながら思いました。

 震災後も製造が続けられ石巻の産業の一つとして業績を上げていることに安堵しました。

 

 その後、知人と一緒に震災津波が起きた時の工場の様子を伺いました。

 地震の揺れが起こった時、工場にいた職員の人たちは、2階の休憩室か何かの部屋に避難したそうです。

 津波は2メートルほどの高さで、2階には浸水しなかったそうです。しかし、建物は孤立してしまい、職員の方たちは、検査用?の少量のかまぼこを分け合って食べて空腹をしのいだとのことでした。

 隣に建っていた倉庫は破壊され現在のものは建て替えたものなのだそうです。

 工場は平成になってから建てられ比較的新しい建物だったので、その後まもなく立ち直ることができたのかもしれません。

 玄関入り口には、詰め合わせのかまぼこセットがいくつか展示してありました。

   

 

 写真にあるように様々な種類のかまぼこがあります。

 我々団体客のためには、お得なセットが用意してありましたが、その他にバラのものも並んでいました。

 私はとりあえずセットのものを購入しましたが、一つひとつ選んで買っている人もいて、40人近くの団体なので大変ですよね。

 でも、工場直営なので自宅の近くのお店にあるものよりも何より新鮮だし、もしかしたら近くのお店では売っていない種類もあるかも・・・ネ。

 材料はすべて高級魚の「きちじ」とのことで美味しいはずですね。

 

 

 さて、次は白謙工場を後にして海沿いの道路を日和大橋の方向に進んでいって、左手に「日本製紙工場」の敷地が見えてきます。

 海側から工場の奥を見たのは初めてです。ここの「日本製紙石巻工場」の広さは「日本ドーム〇十個分」とか説明していました。とにかく広いということです。

 ここにももちろん大津波は襲いました。以前どんぐりさんのレポートで石巻の「日本製紙工場」の復旧についてお知らせしたことがありましたが、まさにその時のことです。

 

 こんなに大きな工場なのに、大津波当日ここでは数人のけが人の他には誰も犠牲にならずに避難できたそうです。

 そのわけは、日ごろから実施している津波避難訓練によるものだったようです。

 この工場では、海のすぐ近くにある工場ということで常に津波避難訓練を行っており、津波発生の際に慌てることなくすぐに訓練通りに行動できたのでした。

 門脇小学校に通っていた人ならばほとんどの人が知っていると思いますが、工場の正門側から山に登る階段が二つ、そして少し広い上り坂があります。そこから避難するようになっていて実行できたのでした。

 大きな工場なので随分大人数の方々が勤務していたことと思いますが、一人の死者も出さずに速やかに避難できたことは誇れる事実だったと思います。 

  

 しかし、工場の被害が甚大で、もう復旧は無理ではないかと言われたそうですが、様々な所から支援を受け、結果3年で復旧できたのです。とても素晴らしいことでした。犠牲者がでなかったということも社員の励みになったのではないでしょうか。

 それにしても、あの紙の原料のチップのもとのたくさんの大丸太が津波の時は次々に流れて凶器にもなるのだという話も聞き、驚きました。

 

 ここでは、普段の避難訓練がいざという時にいかに大切かということを強く感じさせられました。

 それと同時に、逆に海から少し離れているからと油断していてはいけないのだと感じました。

 ガイドさんは、震災の時自分の家は海から離れているから津波がくるという感覚は全くなく避難が遅くなったが、実際は川から津波が押し寄せてきたとのことでした。(「河川津波」というようです。海から川をさかのぼってくる津波です。)

 

 おりしも現在千葉県では、台風15号による被害で、電気等のライフラインの供給がストップしています。

 この猛暑のさなかに電力がストップするなんて本当に命の危険を防ぐ手立てがストップしたということです。

 あの東日本大震災の直後の東北の様子が思い出されます。

 あの時は雪が降りだして寒かった。でも、今年のような猛暑では寒さよりもっと防ぐ手立てがないようで、どうしたものかと思います。

 そして、災害の前では、電気に頼った現代の生活のもろさを感じさせられます。

 電気の復旧が遅れている原因として、電力会社の「想定外」という言葉ももうあまり説得力を持たなくなってきているように感じます。

 どうか、少しでも早く復旧しますようにと祈らずにはいられません。

 そして今後もこのようなことが起こりうるという考えで対策を立てておく必要を感じます。

 

 話がそれてしまいましたが「油断大敵!」という言葉を思い出させられた出来事でした。

 海のすぐそばでなくても津波が襲うことがあると思い、どこでも避難経路の確認をしておくことによって命を守れる可能性が高くなるということですね。

 

 さてここからバスは日和大橋に向かって進んでいきます。そのお話は次回にしたいと思います。

 

  あっ!そうそう。

 昼食をとるために道の駅「上品の郷」に着いた時、隣のバスに乗ろうとしている高校生らしい男子生徒たちがいました。よく見るとバスには「高知」という表示がありました。

 高知県からこちらまで来ているのですね。「南海トラフ」による地震が心配されている四国。やはり備えの一環として勉強にきているのですね。しっかり学んでいってほしいと思います。


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2 コメント

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教訓にしなければ、ね (どんぐり)
2019-09-15 22:52:37
早いもので8年半ですね。
先日の台風は、関東に大きな被害をもたらしています。多摩地域の我が家の周りも、樹木が倒れ、枝が折れ、クリや銀杏の実がたわわに実った枝が折れて実がたくさん散らばっていました。
千葉は未だに停電している地域がありますし、屋根を吹き飛ばされた方たちもブルーシートさえかけられない状態ですものね。
アマゾンの熱帯雨林に火をつける人たちの気が知れない。自然災害が大規模化するのは、人間の行いによるもので、人類はそのうち自滅する運命にありますね。
とにかく東日本大震災のときの石巻の方々や東北の方々の経験を、今こそ教訓にしなければならない。
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身近になる災害 (まつぼっくり)
2019-09-19 14:58:24
 どんぐりさんの地域もそんな被害があったのですね。
 最近は台風の被害も大きくなってきているように思います
 先日テレビであるコメンテーターが、電柱の被害のことで、そうならないように地下にすれば良いのではないかと言っていました。
 でも、そうしたら地震の時に停電になるのでは...。と思いました。
 様々な災害に備えるのは難しい..と思います
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