石巻白梅ししの会便り

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サンファンバウテスト号の夢

2021年11月28日 | お便り

ひつじあかねさんからお便りがきました。

長い間石巻の観光地の一つとして賑わいを添えてきた「サンファンバウテスタ号」に捧げる物語を書いてくださいました。

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ここで、ちょっと「サンファンバウテスタ号」にまつわる情報をお知らせいたします。

1993年に復元された「サンファンバウテスタ号」は、老朽化に伴い2017年に解体されることが決まったのでした。県慶長施設船ミュージアム「サン・ファン館」(石巻市)にあります。

宮城県石巻市の市民団体「サンファン号保存を求める世界ネットワーク」が県庁で記者会見し、白田正樹代表は「保存を願う声が多く寄せられる中で、ざんきに堪えない」と抗議したそうです。

また、市民団体は6月に、県が充分検討せずに復元船を解体するのは違法だとして村井知事に費用の差し止めを求める訴えを仙台地裁に起こしました。

そして、2月以降に集めた署名1万2876筆を9日までに村井知事に渡そうと、県議を通じて申し入れたが「受け取りを拒否された」と主張したとのこと。

県消費生活・文化課は「拒否した事実はない。(訴訟で)係争中のため意思決定する立場の知事は受け取れないが、署名を提出するのであれば担当課で受け取る」と説明したとのことです。

 

なんだかんだと物議をかもしながらも、決定は覆らず11月10日に遂に大型クレーンを使った解体作業に向けた準備が行われたのでした。

3月下旬には解体を終える見通しです。

テレビのニュースでも解体を惜しむ声は聴かれました。

私もその一人です。

私が見たのは、石巻の河口で、多分まだ完成はしていなかったかと思いますが、家族で見学に行き写真を撮った覚えがあります。素晴らしかったです。

実物大の大きさの船の前で撮ったのですが、船は大きかったです。

県は、復元船の後継として四分の一のサイズの繊維強化プラスチック製の船を造り、ドック棟や展望棟の改修を経て24年度内にリニューアルオープンすると言っていますが、その大きさでは常長の偉業まで小さく感じられてしまうような気がします。

まあ、費用のことがネックになっているので、難しさはあるとは思いますが、県民の心に響く力は....。

 

そんな中、そんなサンファンバウテスタ号に捧げる物語をひつじあかねさんが書いてくださったのです。

 

子どもたちにも分かりやすい形態で書いてくれました。

ちょっと遅くなりましたが、以下に紹介いたします。

 

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サンファンバウテスタ号の夢

 

〜あんじんとつねながを乗せて〜 

 

 僕はサンファンです。ガレオン船という大型帆船です。正式名はサンファン・バウテスタ号といいます。

洗礼者ヨハネと言う意味で、政宗さんが名前をつけてくれました。

 

 僕は1613年に作られてからメキシコに2度行ってきました。2回太平洋を往復しています。

 そのあとでスペインに買い取られて軍艦にもなりました。

 

 僕が生まれた所は仙台藩石巻の雄勝の浜辺でした。

 藩主伊達政宗公が、友人のスペイン人宣教師ソテロにすすめられて、ローマに使節を送る事になったので僕は造られました。

 浜辺には雄勝や仙台藩、江戸幕府の船大工が大勢集まり、メキシコ大使ビスカイノの部下たちと共に力を合わせて造りました。

 とても穏やかで友好的な雰囲気でした。

 

 僕が2度目に生まれたのは平成になってからで、石巻の浜辺で観光地になりました。

遊びに来て下さいね。

 

 僕の夢はあんじん(按針1564〜1620)さんとつねなが(常長1571〜1622)さんを乗せて乗せて、もう一度太平洋を渡ること。

 

 えっ、もう2人はいないって?そんなぁ!

 

 それでは、これから二人の物語を始めましょう。

 

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 按針さんは、本名をウィリアム・アダムスと言ってイギリス人です。大分沖で彼が乗ったオランダ船(リーフデ号)が座礁して、わずか数人が助けられ、そのうちの一人が彼でした。すぐに徳川家康公に招かれて江戸城で謁見します。

家康公は日本一強運の武将です。(あとで分かるのですが、その強運が日本人の幸運の元になるのです)

 一方、その頃、ポルトガル人やスペイン人は家康の許可を得てキリスト教を布教したり、測量をやったりしていました。

 世界は大航海時代で、植民地政策を広げていたポルトガルやスペインは領土を拡大していました。

 

 それから9年後、千葉房総の御宿岩和田村の沖合いで、スペイン人とメキシコ人373名が乗ったガレオン船(サンフランシスコ号)が座礁しました。そのうち317名が地元住民に救助されました。

 

 彼らはその後、江戸城で徳川秀忠公に会い、駿河に至り家康公に謁見しています。

 オー、フジサン!トッテモウツクシイ、オオキイ!と感激していました。

 

 彼らを帰国させるためにガレオン船を造ろうと考えた家康公は、ポルトガル人やスペイン人に頼むのですが、一向に聞き入れてもらえませんでした。

 

 そこでウィリアム・アダムスに頼んだところ、快く引き受けてくれて、ガレオン船はすぐに出来上がりました。

 

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次回に続く(ちょっと長いので、とりあえず今日はここまでにします。)    ~~~~~~~~~~~~~