続・知青の丘

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春の夜の歪んでなほされぬ陰部  斎藤秀雄

2020-03-14 11:57:38 | 俳句
竹本仰さんの鑑賞文の全文を掲載します。

春の夜の歪んでなほされぬ陰部   斎藤秀雄

陰部とは、何か? 触れたがらぬ大切なものであろうか。触れたいのに触れない、だが、触れずには済ませられない。こういうやっかいなものにより人間は生かされている。
安倍公房に『鞄』という小品がある。半年前の求人広告をもち、「私」の事務所へ就職面接に来た青年、鞄に導かれて来たという。その、赤ん坊の死体なら三つ位入りそうな鞄に惹かれて青年を採用する。その重さに惹かれ鞄を抱え、所長の「私」も青年のようにさ迷いだすという話。
 昔のレコード盤のB面。裏面である。自由にもB面がある。切実なるB面がある。
以上。

この句の鑑賞をした竹本仰さんについて。彼は、20数年続けた高校の国語教師を辞め、高野山での一年間修行に耐えて僧侶になられた方です。同年代ですが、下山と同時に癌判明。僧侶の仕事をしながらの癌闘病中の身でもあります。だからといっていいのかわかりませんが、私(達)には読めないものも読めるのかなとも思います。

鑑賞文から、わたくし流に解釈すると、次のようになります。
陰部といえば、陰陽、明暗、内外、裏表、レコード盤ならA面B面ということでしょうから、ここでは、自分のこころの暗部と受け取れば、表向きはフツーに社会の一員として暮らしているように見えて、実は心は、いつもさ迷っているのではないかという問いかけ。そして、厄介な心に従ってしまう、どうしようもなさを謳っているのではないかな、と。
春は生物の躍動を始める時期で、人間社会なら異動、転機の時期であろうから、このような春の夜のこころに憑りつかれたら、長く深いのかもしれない。そして切実だ。
でも、若さがないとそういうことには耐えられないだろうとも思う。

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