続・知青の丘

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映画『終の信託』

2012-10-31 17:41:54 | 映画
周防監督は、ある番組で、
「特に何もいうことはない、この映画の観賞は鑑賞者に任せる」
というようなことを言っていた。

私は、観終わってずっと気になった。

検察の取り調べのうす汚さと
裁判所の、
このようなケースの医師に対しての厳しさとがー。

裁判所は、
いっぽうでは例えば、
飲酒運転で人を殺した場合の事実認定などは甘く、
判決は大変軽いと思う。


患者さんから慕われ、信頼される医者で有ればある程
患者さんに寄り添う医者で有ればある程
映画の中の医者の場合のようになる可能性は高い。

だから、医者ももっと脇を固めないと・・・
誠実なお医者さんが多いから・・・

患者さんも医者が罪に問われないように
もっと法律的に有効な「living will」の表明のしかたをしておかないと
思わぬ事態になることになる。


まったく関係ないことだが、
最近、
零余子の塩コショウ焼をしたら
はまってしまった!
オーブントースターでアルミ箔を敷いて焼くのだ。

畑をみたら、結構大粒なのがぶらさがっていて・・・
採りながら、ぼたぼた随分落としてしまったが~。

お砂糖の入ったお菓子なんかより
ずーっと美味!
いやあー、いいおやつだなあ。

ちなみに、今年はおいしい栗も柿も頂いたし、
干柿もとっくにできあがっている。しあわせな~。

水音に抱き合うひとのいる無月  知青








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対馬日和かな(10/6~10/8)

2012-10-18 23:38:10 | 古墳・菊文研
対馬から帰ってからどうも体調が思わしくなかった。
しかし、日程が詰まっていてなんとか動いていた。
が、とうとう12日、喉の痛みがピークに達し
唾を呑み込むのもつらくなった。
ほかに、軽い頭痛、寒気、食欲不振、・・・
とにかく1週間で
痲黄湯エキス+ビタミンC配合の風邪薬でのりきった。

今日(17日)やっと、ブログに簡単にまとめておこうと入力開始~。

伏せりながら、
憂国の士である西本医師の書かれた「対馬レポート」に再度目を通していた。

同氏は、国防を考える上で対馬の現状を自分の目で確かめるため、
大胆にも自衛隊のレーダー基地周辺とその隣接地、
昭和天皇の「行幸啓記念の碑」が敷地内にあるという
「韓国人専用」の宿泊施設「RESORT TSUSIMA」を独自に取材された。
同敷地は、「大洋真珠」が廃業する際、2002年自衛隊に土地買取を打診したものの、
国が近隣諸国に配慮して買取拒否したため、韓国資本に移ったものという。
自国の土地をいかに活用しようと他国から何言われる筋合いのものでもないような~
内政干渉するなかれ!では済まないような問題だったのだろうか!?
尖閣諸島国有化の比ではないだろうに・・・・

さすがに、観光旅行ではここまでは行けない。

対馬に行って思ったことは、

とにかく韓国が近い!

いままでもこれからも、
対馬には対馬の生きる道があった(ある)のだろう!ということ。

江戸時代の日朝間の国書改ざんの歴史もあるという。

今は過疎のこの島に観光客が来て、お金を落として行ってもらわねばならない。
日本人も韓国人も・・・どこからでも。

このツアーは総勢26名。
対馬市福岡事務所の職員さんが3日間ずっと随行してくれて、
色々便宜を図ったり、差し入れをしてくれたり・・・
めいっぱいの案内と快適な旅行のサポート役に徹してくれた。
夜の宴会には、市長さんや観光物産協会長も姿をみせるという熱の入れよう。
ハングル併記は、頂いた名刺にもー。

プサンまで49・5キロという海の隔たりは、
太古なら、人やモノが自由に往来する近さ。
海は道なのだから。
実際、この海の道をどれほど多くの人々が行き来し、
どれほど多くの文物を日本にもたらしたことだろう。
それに、つい何十年か前までは、
島民はプサンに買い物や歯医者に行っていたともいう。

人間の歴史の進展?とともに、国家・主権や領土が争いの的となる。
不幸といえば不幸なことかもしれないが、
国家があるからこそ、わが身の安全も保障されるというもの!
じゃないのかな。

*10月5日(金)
   博多駅近くのホテルに前泊
*10月6日(土)
   福岡空港7時50分発ANA→約30分後着対馬空港着
    →午前中いっぱいは古代山城サミット出席(厳原・対馬市交流センター)
    →陸路による金田城めぐり~ここからずっと九州国立博物館展示課長赤司さんと~。
       (南西部石塁・三の城戸、ビングシ門跡・土塁)~浅茅(あそう)湾を見下ろす崖には沢山の段菊の花が!

三の城戸

    →黒瀬観音堂(国指定・統一新羅銅造如来坐像、高麗銅造菩薩坐像)
    →根曽古墳群(国指定・古墳時代・前方後円墳)、出居塚古墳群(道悪く途中までしか登れず)
    →「志まもと」で夕食→万松院まつり(草臥れた足で提灯を提げ夜の階を上った!)
       約16000歩<ホテル金石館宿泊>
*10月7日(日)
    お船江跡(対馬藩の船着場5基、石積み)~写真が下手過ぎていかんいかん//

    →西山禅寺→万松院(宗氏の菩提寺)、諌鼓(かんこ)
    →金石城跡、李王家・宗伯爵家御結婚奉祝記念碑→県立対馬歴史民俗資料館
    →藩校・日新館→宮谷地区石塀・武家屋敷→半井桃水館で昼食・「対州そば」(ちょっと甘め!) 
    →万関橋→西の漕手→小船越→円通寺(室町時代の宗氏の墓地)
    →豊砲台跡





    →韓国展望所(水平線!に沈む秋落暉は寸でのところで不可)


→夕食後、再度同展望所へ(花海荘のサービスで)
    プサンの灯がみえた・・・・     約12000歩<ホテル花海荘宿泊> 
*10月8日(月)
   上対馬・塔の首遺跡(国指定・弥生時代)→異国の見える丘展望台(島でも珍しいくらい視界のいい日)
    →対馬野生生物保護センター(ツシマヤマネコ・福馬くん!)

イエネコとの違いは、
しっぽが太くて長い、斑点模様、耳先が丸い、鼻が犬みたいになっている!
イエネコとは交配しないそうだ。

    →峰町歴史資料館・ガヤノキ遺跡(下から見上げただけ)
    →海神神社(着いたらパトカーが来ていた!
            宝物館から国指定の重文の統一新羅仏が盗まれたという。なんてこった!)
    →藻小屋(海藻を乾燥させて肥料にする)


ヤクマの塔(夏の収穫祭の時の石積み)


    →和多都美神社・豊玉姫墳墓(古事記の世界!パワースポット!)→烏帽子岳(豊玉町)
    →土産に「炙りあなご」「剣先イカの一夜漬干し」「真珠貝柱」「粉かじめ」を買う

    対馬発19時半頃のANAで福岡へ帰った。
                  約8000歩

    山男であって俳人でもある方もきておられた。
    私はあいかわらず納得いく俳句はできない・・・・

    句会仲間が、「俳句よりブログのほうがはるかに上手い」と言ったあー((~_~メ))
    くやしいから負けない!

  



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どうにかできるのか~辺見庸からフランクルへ

2012-10-04 21:00:43 | その他
9月29日付け地元新聞に辺見庸氏の
「中国は『一皿の散沙』か~領土で鳴動する表層と古層」
と題する文章があった。
その中で同氏は、

いまの日中関係について、
「愛も友情も敬意も余裕も感じられない」
「愛するものを抱きかかえるのと同じように憎むものを抱きかかえよ、
と述べた魯迅の知はどこにいってしまったのか」
と嘆き、

事は中国だけでなく、
「中国に怒る日本の政治も暗転しつつある」
と警戒感を示している。
きな臭くなっているということだろう~

さあて、こういう時の打開策とはいったい・・・???

これは国家間のことだが、
一方、個人間というか組織の中でもトラブルがおこれば、
中国が国連で発言したような感情的で下品な言葉で中傷非難してくることもある。
一つの事実を悪意で言うか善意でいうか次第で、責任問題があればあるほど、
相当異なる様相をみせる。

しかし、どんなときでも
自分を貶めるような醜い応酬はしたくないものだ。


思えば、『夜と霧』の著者V.E.フランクルは
毎日毎時毎分が死と隣り合わせという
極限のナチによる収容所生活においてさえ、
人間性を壊さず人格の尊厳を保ち、生きることができた。
なぜ?
精神科医という職業を持っていたからだろうか。

医師ということで、最初は何も優遇されたわけでは全くなく
過酷な労働に身を強いられ、
辛い時は最愛の妻(離れ離れに収容され亡くなっていた!)
を想うというトリックに身をまかせ~
それでも、収容所生活の飢餓、寒さ、重労働に終わりはなく
とうとう病気になって~
あとでは、収容所内の発疹チフスの医師として働くことにはなるのだが、
命をなんとか持ちこたえられたのは
神様の思し召しか運が良かったのか。

常に観察し分析し、静かに自分をコントロールし、
生き延びえた暁には、
この収容所でのことを全世界に伝えるという使命を
一途に持ち続けたからであろうか。
それに、書きためていた自分の論文が没収され、
その再構成という未来志向的な仕事が残っていたからか。

幸いにも、精神的に孤立の状態にはなかったようだしー。

話は飛びすぎた!

6~8日まで、
古代山城サミット参加を兼ねた観光旅行に
対馬に行ってきます☆彡







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椎葉村日帰りツアー(9/25)

2012-10-02 18:45:17 | 日帰り旅行
熊本駅~山都町~265号線を上って目指すこと約2時間。
椎葉村だ!

十根川重要伝統的建造物群保存地区(鳥居のむこうの斜面に並ぶ家並)



国指定天然記念物(八村杉・樹齢約800年)


この社には榧の木があり、実を小鳥が食べに来て、
青い外皮だけ落としていくのでそれがかなりの芳香!

日本初アーチ式ダム・上椎葉ダム・日向椎葉湖(この名付け親は吉川英治!)


国指定重要文化財・鶴富屋敷(那須家住宅)~平家落人”伝説”
建物自体は、1700年代の椎葉式民家


昼ごはん。これに、温かいおそばが付く!
ぶどう以外は、全て椎葉の山の幸!

ぎぼうしの和え物を初めて食べた!なかなかうまい。


母親が那須家の出でこの鶴富屋敷に住んでいた
という現地ガイドさんは
役場勤務だったそうで村全体に詳しく、なによりも民謡の歌い手
全国大会で優勝経験もおありのかたで、
駄賃付け唄やひえつき節などいくつかのどと踊りを披露してくれた。

鶴富屋敷内でひえつき節を


椎葉民族芸能博物館
椎葉独特の民俗芸能が色彩豊かに展示されている。





→椎葉厳島神社→椎葉村物産センター→
お土産には「菜豆腐」と椎茸茶,柚子の味噌漬を買った。
椎茸茶は椎茸スープとして売り出したほうがいい!

11月に入ると、村内27か所のどこかで椎葉独自の神楽が舞われるそうだ。

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