続・知青の丘

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「宮崎の西南戦争と迫田鉄五郎」~緒方博文氏講演

2015-10-12 11:16:56 | 俳句
西南戦争歴史講座 第3回(20151011)
            於玉名郡玉東町中央公民館
    講師:日向市立図書館館長 緒方博文
旧日向国6藩における諸隊の初動と
宮崎における戦場、官軍少佐迫田鉄五郎(鉄はややこしいほうの字です!)
の最期などについて講演されました。

宮崎では、
山岳ゲリラ戦を続ける”逃げる西郷軍”と”追う官軍”という構図。

日向の戦場となったところの薩摩軍の動きなどについて
熊本では、なかなか普段は聞けないお話でした。

宮崎での主戦場は小林から宮崎市へ移り、
さらに北上して延岡へ・・・・。

西郷隆盛が初めて陣頭指揮を執った和田越、
追い詰められて、
8月16日「解隊」布告を発した俵野(ひようの)。
この時愛犬4頭も解放したそうで。

最終決戦地である、北川町俵野(ひょうの)
から迫田鉄五郎が戦死した可愛岳(えのだけ)突破(8月17日)の時のこと。
薩摩軍前軍の辺見十郎太が「迫田、おまえになにができる!!」と言って
切りつけた?!とか・・・・。

迫田は、西郷さんの膝に抱かれたりしていた
薩摩武士だったそうで~。


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玉東町に入る前に、田原坂公園に行きました。
ここは一の坂、二の坂、三の坂がある小高いところで
薩摩軍と官軍の激戦地のひとつ。


弾痕の土蔵家(復元)


美少年の像
     雨は降る降る じんばは濡れる
     越すに越されぬ 田原坂
     右手(めて)に血刀(ちがたな) 
     左手(ゆんで)に手綱
     馬上ゆたかな 美少年



水原秋桜子の句碑
      大綿や古道いまも越えがたき
      辺見隊守りし嶮ぞ烏瓜
      吉次越狐の径となりて絶ゆ
他にも、句碑や歌碑があります。
吉次峠は地獄峠と言われるほど恐れられた戦場。
官軍は田原坂攻略のため、玉東町二俣に砲台を築き
要衝となった横平山を警視抜刀隊に攻撃させたそうです。


西南役戦没者慰霊之碑
 薩摩軍総勢約3万人、官軍約6万人
  計9万人のうち戦死者約1万4千人と言われています。
  碑の後方には双方の戦没者の名前が刻まれています。


豊岡眼鏡橋
(官軍はこちらから攻めのぼり、田原坂で激突)
  植木や玉東のこの辺り一帯は
  薩摩軍と官軍が陣を構えた激戦地ばかり。


初期の石橋造りの特徴である石の楔が
輪石に打ち込まれている。


七本官軍墓地

階級によって墓石の大小がある。

*日本赤十字発祥地と言われる・・・
元老院議員佐野常民が田原坂周辺の悲惨な状況に心を痛めて、
ヨーロッパの赤十字思想を導入し、敵味方の別なく救護をすることを提案した。
官軍総指揮有栖川宮の許可を得て、玉東町正念寺や徳成寺で活動を開始したという。


志高い有能な若年青年が沢山死に、
薩摩の顔見知りの侍同士、
同じ日本人同士の戦いで
西南戦争のことは知れば知るほど
切なく哀しくなります・・・

そしてなんだか
何かにとりつかれたような気分になり・・・・
~知青の5句~
新そばを食ふて波打つ田原坂
夕焼けて一の二の三のざわざわす
賊軍となりて鬼哭く険青葉
狐火を点す峠の不眠症
人魂のゆくえ蜜柑畑の黄の後ろ


征韓論についても色々議論があるとおもいますが、
(西郷は征韓論者ではなかった!)
西郷が下野したのはちょっといただけないなあ・・・・

また、反政府勢力となる不平武士などを
西郷が全て引き受けて死んでいった、
だから近代化の速度が速まったというような評価は
許せない気がする。


参考資料:「西南戦争ガイドブック  植木・玉東」
      植木町・玉東町西南戦争遺跡群連携保存活用協議会編集
      玉東町教育委員会発行


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夏木久第2句集『笠東クロニカル』(平成27年9月26日発行、夏気球舎)

2015-10-01 17:47:39 | 俳句


「豈」「連衆」同人
『神器に薔薇を』に続く、早くも第2弾の手作り句集。
「足跡確認」的編集になっていて、俳句誌掲載順。
人に読ませようとする句集なら、
この編集では少し不満がのこるのは私だけかな!?

夏木久第2句集『笠東クロニカル』より共鳴句

5  日の丸の裾で汗拭く老教師
7  仰角を妣に甘えり雲の峰
11 墓石よりはらりと蝶のはがれたり
15 案山子笑む証明写真撮る最中
16 実柘榴の失笑買ってをり真顔
   さざんかや言葉散らかる勝手口
18 菜種梅雨煮崩るやうに父母の墓
   戦争が回転寿司のやうに梅雨
19 鯨幕つまみ眼鏡をふくダリア
21 疲れ目に入り狐火出て行かず
冬銀河どれほど髭を剃ったやら
22 風待ちや吹奏楽隊は焚火して
24 束の間へ通されてをり麦の秋
27 病床やそっと林檎の尻を撫で
28 天の川なほも言葉は抱卵期
哺乳瓶ふれば吹雪の紐育
一畳の枯野に酒はニ合半
36 豆腐屋の辻より海市町内会
38 日の丸の孕み具合が南風忌
44 にほんごのゆげもおこげもひとまろき
46 残る鴨サラリーマンになると言ふ(一番印象に残りました!)
47 物干しに春月垂らす父となり
51 花吹雪く回転木馬の初速にて
52 さくじつのうつつはくもりのちアヤメ
61 ほたるふりつもるはなしをすとくいん
64 菜の花を探しにゆけば試着室
   息継ぎが下手で音痴で水中花
   遺跡より言葉のあふれをり文月
72 すこしづつすべてくるひて春立てり
76 可燃物となりし彼女を蛍の夜
78 って言ふかと書けばどうとふ女郎花
79 底なしの空そこはかと神の旅
湯豆腐や乾く話に水をかけ
80 聖樹点くまで消火器の独り言


夏木俳句を読むと、鑑賞するにも俳句を書くにも、
既成概念に囚われない意識変革が必要だなという気持ちにさせられ、
大変勉強になります。
夏木さんはこのあとどのように展開されるのでしょうか。

次の句集は2年後だそうで、
もうすでに走り出されているようです。




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