よーこさん、
貴重な情報をありがとうございました!
これを受けて、私もネットで調べてみました。
石光真澄は、真清(慶応4年生まれ)の兄なので
ギリギリ江戸時代の生まれでしょうね。
熊本関連の記事から拾うと、
石光真澄は、熊本洋学校から三井物産社員になっているようで、
「恵比寿麦酒支配人になった実業家」という記載も見ました。
次に、恵比寿ビール誕生について
サッポロビールが
会社の歴史として出しているネット情報を拾うと、
当時泡沫の粗悪なビールが出回っていた、
1887年(M20)に、
東京・横浜の中小資本家がドイツ人醸造技師を招き、
ドイツ製の器具機械を取り寄せ、
本場の味を再現しようと有限責任の「日本麦酒醸造会社」を設立。
東京都公文書館所蔵の
「日本麦酒醸造会社」の「役員上任届」の写真があります。
この届出時の、「支配人」のところには、眞澄の名前はありません。
1889年(M22)10月、
現・東京・目黒区三田にヱビスビール醸造場が完成。
12月からビール醸造開始。
1890年(M23)2月
ヱビスビール発売。
1900年(M33)
パリ万博で、金賞受賞(30か国出品中)というほどにまで、
質を高めていたようです。
1893年
社名変更して「日本麦酒株式会社」となる。
ちなみに、
漱石が「二百十日」を書く材料の阿蘇登山をしたのが、
1899年(M32)8/29~9/2のようです。
日本麦酒醸造会社設立届出時の文書の「支配人」欄には、
眞澄の名前はないようですが、
どの時点かで支配人になっていたのかもしれません。
あるいは、三井物産会社の幹部になっていて、
出資していたのかもしれません。
1889年4月の株主名簿に
三井物産の幹部らの名前が記載されているそうです。
三井物産の会社の社員名簿や
東京都公文書館で調べると、
何か分かると思います。
確かに、この時代に、
阿蘇の片田舎にまでヱビスビールが登場しているのには
そういう人の肩入れがあったことや
九州鉄道が1891年7月「春日駅」(現・熊本駅)にまで
南進していたからではないかなと思いました。
附記:九州鉄道
1885年(M18)大分との間に県道が開通し、
このころより豊肥線構想があったらしい。
1887年福岡・熊本・佐賀の各県令に呼びかけて創立。
1888年政府より設立認可。
1889年博多ー千歳川仮停車場間開業
1891年7月「春日駅」(現・熊本駅)まで南進
1916年(T5)肥後大津~立野間開通
1918年(T7)熊本駅~宮地開通(所要時間2時間半)
昨夜、私がざっと調べたところでは
こんな感じでした。
いろいろ調べていくと面白いですが
私も時間がないので
どなたか、
文献資料等で確認してエビデンスを提示してくださると
有難いですね。
(2月14日17時51分の南西の空)

配色がいいなあと思って
撮りました。