続・知青の丘

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日盛りの『被爆ピアノ』コンサート

2010-07-26 23:07:10 | その他
   
この暑いのに、『被爆ピアノ』を一目見たくて街に出かけた。
どんな音色がするのだろう。
どんなふうに傷ついてしまったのだろう。
暗いイメージを抱いてでかけた。

会場は、ビルの片陰の広場なので、暑いの何のって!
もおー、皆さん、汗をにじませ、扇子や団扇で扇ぎまくっていた。

すでに始まっていて、
丁度次の女の子がピアノの椅子に腰掛けようと歩いていたところだった。
必然的にそのピアノに吸い寄せられた。
その立ち姿は、控えめな様子で、なんとも言えず美しかった。
これが、被爆して65年以上も経った ピアノなのか・・・・・。


その女の子は、軽快な曲を楽しそうに弾いた。
姿も音色もすばらしいのは、
企画した方々の崇高で熱い志の賜物だろうか。

何人かがとても弾きやすいと言い、続いた後、
高校1年生の男の子が、ベートーベンの「ソナタ7番」を実に感動的に弾き上げた。
昨日は、地元のピアノコンクールの直前に弾きにきてくれ、
今日もまた弾いてくれたそうである。

銀賞を受賞したらしい彼が言うのに、
「このピアノは、今日は昨日と違った響きを聴かせてくれた」。

   弾き手は公募によるのべ約40人。

光沢の汗被爆ピアノを弾く少女  知青

『被爆ピアノ』とは、
昭和20年8月6日に広島市で、爆心地2~3キロの民家や小学校で被爆したピアノのこと。
それを引き取って、広島市のピアノ調律師矢川光則氏が修復(矢川ピアノ工房所有は4台になる)。
そして、ご自身でトラックに積んで全国を運転して回り、コンサートを開催しておられるのだそうだ。
当地での演奏会用のピアノは、ホルゲル・アップライトピアノで、爆心地より2.6キロで被爆。
ガラスの破片が88鍵盤の下の木製部分に数多く突き刺さったそうである。
持ち主の名にちなんで、「和子のピアノ」と呼ばれ、同時に被爆された所有者は、
80歳を超えてご健在だそうで、有り難い。

被爆2世でもある矢川氏は、
今年9月11日には、あの惨劇のあったニューヨークで
慰霊と平和への祈りをこめてコンサートを開くそうだ。

   いつの世にもどこにも、
高邁な志を持って活動される方々はおられ、
頭のさがることしきりである。
   私も含めた戦争を知らない人たちが増えても、
あの八月は、静かに熱く、またやってくるのである。



  

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青葉若葉の東北4日間ツアー

2010-07-10 10:18:28 | 旅行
バスの全走行距離は約2000キロ。東北6県走破!!

第1日目:当地の空港から羽田空港へ。羽田空港から移動はすべてバス。
  案内は、”バスは新車一年生 ガイドの私は中古の一年生”と言う、
吉本にもいけそうな栃木出身のガイドさん。
 はなから、やたらに栃木の県民性を力説。

  猪苗代湖畔:波が打ち寄せ、まるで海をみているような~、散策。
  裏磐梯五色沼;水原秋桜子の句碑あり。
   水続きつゝ新樹の楊ましろなり 秋桜子

 [飯坂温泉泊]
  旅館の部屋の卓には芭蕉の句を挿入した挨拶文があり。
   笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)  芭蕉

第2日目:7時20分頃出発。
 松島海岸:遊覧船に乗る(別途1100円)。
  どこにも名物ガイドはいるもので、説明が上手で面白いガイドさん付き。
  乗船した途端に、ウミネコの歓迎をうける。

  いくつかの島は、ウミネコの繁殖地になっている。

  牡蠣(ここのは、いかだ式ではないので、
潮が引いたらお日様にあたり、身が締まっているらしい。)や、
  昆布(早煮昆布を3袋買った)
  海苔の養殖で儲けたお金持ち900人が、島の御殿に住んでいるそうな。
  あっという間に小一時間経つ。

  芭蕉は、塩釜から舟で松島に渡り、瑞巌寺に詣でている。
  松島の句は、『奥の細道』では示していない。
  「いづれの人か筆をふるひ、詞を尽さむ」や「予は口をとぢて」という記述あり。 
  瑞巌寺の本堂までは、時間がなくて行けず残念。

  ちなみに、松島の手前あたりに西行戻しの松公園がある。
  「西行法師が諸国行脚の折、
松の大木の下で出会った童子と禅問答して敗れ、
身を恥じ松島行きを断念し
   引き返したことが由来」(観光協会パンフより)という。

  秋田きりたんぽ工房:きりたんぽの起こりは哀しいねえ~。

 白神山地:日本初の世界遺産として1993年12月登録。
  ブナの原生林の中を小一時間歩く。
栃の実を初めて見た。
ぶよ(ぶと)に要注意、刺されたら大変!

  駐車場の近くに大町桂月(1869-1925)の文学碑あり。
  碑には、紀行文「岩木山より暗門滝へ、四、暗門滝」より
抜粋された文章が刻まれている。
  初めて聞く名前だが、彼地では有名らしく、
酒と旅を愛した高知出身の詩人、歌人、随筆家、評論家。
  十和田湖に近い蔦温泉が終焉の地。
和漢混在の独特な美文の紀行文は広く読まれたという。
 
 [南津軽温泉泊]
  津軽弁講座と津軽三味線ショーは、楽しいライブだった。

  青松葉少しあと追いみちのくの  知青

第3日目:7時10分頃出発。
 城ヶ倉渓谷。八甲田ゴールドライン、
 奥入瀬渓流:見所の瀬や左右の数々の滝あり。

 阿修羅の流れと白布の滝が印象的。

白神山地よりこちらの散策の方が気持ちよい。

 澄んだ流れと深い森の緑のコントラストは、えも言えぬ美しさ。
 梅雨の時期で天気を心配したが、
この時期のこの緑だから美しいのだろう。

  ドスドスと踏みしだかれてブナ青葉 知青

   阿修羅の流れに行く途中、馬門岩と馬門橋に遭遇。
熊本・宇土の馬門石を連想したが、同じものだろうか。
     宇土の馬門石は、ピンク色の阿蘇溶結凝灰岩で、
古墳時代には畿内の方まで運ばれ、天皇陵や有力
      豪族の古墳の石棺にも使用された貴重な石である。

 十和田湖(十和田湖遊覧):湖上遊覧(別途1300円)
  湖上にて青葉若葉に曳かれよう 知青

 中尊寺・金色堂の入場料は別途800円。
  バスが待っている駐車場まで戻ることを考えると、
ちょっとも時間を無駄にできない。
まずは、芭蕉の句碑へ。

   五月雨の降り残してや光堂 芭蕉翁

  金色堂の須弥壇の上には、
  ご本尊の阿弥陀如来や
観音菩薩、勢至菩薩、六地蔵、持国天、増長天が立ち並ぶ。
  須弥壇の中には、
  中央に初代藤原清衡、向かって左に二代基衡、
右に三代秀衡の遺体と泰衡の首級
  が納められているという。
  金色堂を出て、経蔵、旧覆堂、釈迦堂と駆け足で巡る。
能舞台に行く途中の竹林をふと見るとなにやら石碑。
山口青邨の句碑のようだ。
  人も旅人われも旅人春惜しむ 青邨

  讃衡蔵には、奥州藤原氏のお宝を収蔵。
駆け足で流しながら見る。
  駐車場まで、月見坂を右に左に流し見ると、
句碑らしき石碑があり。
 急ぎ走り寄ると、
なぜかしら、奈良か伊勢で詠んだ芭蕉の句(「笈の小文」から)が。
      草臥て宿かる頃(比)や藤の花 はせを翁

 [山形蔵王温泉泊]
  蔵王温泉は乳白色酸性泉でヌルヌル。
良質の温泉のようで、効験あらたかのよう。
  というか、入湯後部屋に戻ってきたら、3日間の疲れがどっと出て、
   もおー、9時過ぎから朝の5時頃までぐったりぐっすり!
     お陰で翌朝は元気を取り戻した。

第4日目:7時30分頃出発。
 山形・上山さくらんぼ狩り:30分間食べ放題。
  両手を使い、もいでは食べ、もいでは食べ~。
  陽にあたったものが余計甘いと聞けば、
イケメン兄ちゃんからも取ってもらっては食べ、
さくらんぼ最高ー!
  少し酸味がある佐藤錦より紅秀峰のほうが甘くてぷりぷりだった。
  こんなこと言って贅沢だなあ~。

 蔵王山頂”お釜”見学:霧雨と風があり、寒い寒い。
気温20℃という。半袖では辛い。
  エメラルドグリーンのお釜は、あいにく見ることができなかったが、
  荒涼とした中で、高山植物のこまくさを見つけて喜んだのもつかの間、
  残念なことに、デジカメ電池切れ。仕方なく携帯で撮る。
  やはり充電器は持っていくべきだった。
  下山途中で、賽の河原を車窓から見る。
これかあ~。

 蔵王牧場:さくらんぼをたらふく食べたのに、
食い意地が張っているから、各種クリームチーズを試食しまくる。
  そして、「ラ・フランス」と「乳清ジャム」を買う。

 遠刈田(とおかった)こけし工房:
伝統工芸も食べ物の土産に比べたら、精彩を欠くよなあ~。
  普通に回しているうちに逆立ちして回る小さな独楽を買う。
300円也。
   販路や後継者はどうなっているのだろうなどと
要らぬことを考えてしまう。

 車窓より安達太良山、羽田空港へ。

  あだたらや乳頭つんと青葉越え 知青

(安達太良山は少し顔を背けた少女の寝姿だという)

  概して、出された東北の郷土料理といわれるものは、
  九州人の私の口には合わなかった。
  しかし、お土産品には美味しいものが多かった。

  ツアーの悲しさで、どこでも見学時間が短い。
  バスに揺られ居眠りする時間は十分過ぎるほどに。
  6万円の費用だからこんなものだろう。
    とはいえ、折角東北まで出かけて来て、
駆け足の見学とは、残念至極。

   プライベートで来ないと無理なことは承知だが、
   「奥の細道」について、
少しでも想像力を働かせる時間がほしかったなあー。



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梅雨闇(「金閣寺」を読む)

2010-07-02 23:56:43 | 俳句以外
たまたまだった。
朝、ラジオから、1950年(昭和25年)7月2日未明に
金閣寺が炎上したのだと聞こえた。
本当に7月2日なのかしら!?

たまたまだった。
私は、今までというか、この歳になるまで、
読む気になれずにいた三島由紀夫の本を読んでいたのだ。
それも、『金閣寺』。

先週水曜日、
午前10時の映画祭『north by northwest』を観た後、
本屋に立ち寄り、
自分が読みたい本のリストに最近あげていた本の中から、
これを選んだ。
あまのじゃくなので、
名作といわれるものは、今までほとんど読んでいない。
それに映画とは何の脈絡もない!

この実話に基づいた小説の、
身体感覚でかかれた表現に敬意を表しつつ、
ちびちびと読み進めていた。
そして、主人公が徐々に追い詰められて、
『金閣を焼かねばならぬ』という想念を、
現実のものとしていく過程も粗方読み終えていたのだ。

あとは、「その日」の行為のみが残されていた。

ラジオを聴いたあとから、
私は、「その日」はその日に読むことにした。
なにも意識して読み進めていたわけではなかったのに、
なんという幸運だろう。
より多くの想像力を働かせられるではないか。

主人公の「認識」との葛藤も、
「臨済録示衆の章の名高い一節」の言葉を
記憶の淵から手繰り寄せることにより、
行為は決行された。

人を殺すという事件がよく起こるが、
それ以上に『金閣を焼かねばならぬ』という飛躍は、
私には分からない。
わからない分幸せということだろうか。


昨日は、
ご近所の方から頂いたやまももを
砂糖とブランデーとワインビネガーで煮た。
鍋いっぱいに。
そして勿論、ご近所さん方々に配ったさ。

25時半になった。
このままでは眠れないから、
これを、炭酸と焼酎でわって飲もう。
緋色のあまずっぱい夢がみたい。

4日から7日まで東北ツアーに出かけます。
天気が良くないみたいだけど、
雨の日には雨の日のなにかがあるだろう・・・・。





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