続・知青の丘

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竹岡一郎第3句集『けものの苗』考 加藤知子(俳句短歌『We』8号より)

2022-03-30 14:48:56 | 俳句
Gooブログ「クリンの広場」にアクセスしたら
坂口安吾の『桜の森の満開の下』の本紹介がされていて
そういえば、
わたしも何かに書いたぞお~
2019年4月11日のブログ
「白玉か何ぞとひとの問ひしとき露と答へて消なましものを」~「桜の森の満開の下」には、ほんの少しで
他にも、直接的ではないが書いたよなあ~
と思い出したので、
ここにUPしておこうと思います。
昨日、孫たちも帰っていったので
やっと自分の身体と時間を取り戻せました。
もうシャガの花が狭庭に咲いていました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 『けものの苗』考      
       ― ドッペルゲンガーを中心として   
                 加藤 知子
『けものの苗』とは竹岡一郎の第三句集である。
収録句三五〇句、十五章の詩作品といえよう。各章題はパロディありユーモアあり。句集全体は、むごたらしくも痛快な事態を出現させた句に満ちている。恐らくそれは、竹岡一郎しか書けない俳句である。「あとがきに代えて」をまじえながらその句を紹介し、少しばかり読み解こうとおもう。その「あとがきに代えて」の文の締めはこうだ。

なつかしいものは、いつだって惨たらしい。産土も人間も積み上がった惨たらしさを抱えて、だからこそ、その惨たらしさを焼き尽くし、なつかしさを遠く離れ、生き変わり死に変わりを超えて、立ちたい。

句集の象徴的な句となっているのは次の句と思われる。

ドッペルゲンガー白檀茂る工場内      「浜降」

「ドッペルゲンガー」(=自己像幻視)はキーワードである。狂気の沙汰のことではなく、当事者竹岡にとっての、〈本気〉、〈実在〉、〈事実〉を描くのである。たとえば、極度の暴力に晒され続けると、そのうち精神は肉体から乖離し、ドッペン(ダブル)の人格が現れてくる。そして、徐々にその防衛が習い性と化していく。このような自己の分身による実体験の作品といえようか。村上春樹作品の主人公(『海辺のカフカ』)もいう。

僕はとても具体的なものごとについて、具体的に述べただけなのだ。(略)現実の僕のまわりに<実際に存在した>のだ。それは比喩とか寓話とかじゃない。

まずは、プロローグの「蛭の履歴」。句集全体の内容のダイジェスト版とみた。それはまさに竹岡の周りで現実に「実際に存在した」ことを通して描かれる。それらの細部はそれ以降の章で明らかになるゆえ、理解を確かにするためには全部挙げたいところだが・・・

あやとりの砦は父母を拒みけり      「蛭の履歴」
狐詫ぶ人の世に吾を置きしこと      
    「狐わらし 十三歳の私を迎えに来た母は狐であった」
雪を喰ふ仕草いつしか獣めく       「鱗の脚」
夭き喉よりくれなゐの手毬唄       「〃」
血の海や巻き揚げらるる錨へ鳩  「尺蠖ハ蟒蛇二非ズヤ」
まづ臠つぎに霊容れ冷蔵庫
「ラヴラヴフランケンシュタイン」
冷蔵庫つひに私の死を保つ     「〃」
天壇の冥さを測るための百合  「なべてあの世の僕の梨」
蛸だらけなる廃園を逃げ惑ふ
             「吾輩は蛸である骨はまだ無い」
革命は蛸である神はまだ無い     「〃」

なつかしいものを拒否しつつ、竹岡の実体験したと思われる暴力とその最たるもの戦争とに対峙し、忌避することの起承転結が、周りの人間関係とのエピソードを抱き込んで展開する。

禁野の鹿夜ごとの月に舌挿し入れ  「接吻一擲無恥一擲」
産めよ呪へよ鮫よ造兵廠すてき    「〃」
殴られすぎて音楽になる雪か     「極私的十三歳」
雪折また回路の僕が焼け残る      「〃」
天井に包丁吊って冴えて安心      「〃」
兄を狩る妹たちの息のむらさき
「本能であるが本望ではない」
海底の鉄屑十二月八日        「〃」
虹に阻まれてぐにやぐにやする行軍    「虎の贖罪」

作者のある時期の〈事実〉の描写は、今でこそ具体的で宿命的にみえる。またビビッドで真に迫ってくる。竹岡の「ドッペルゲンガー」は、この句集ひいては竹岡の言語空間の構築への動機を根底から支えているものであろう。だが、このような痛ましい句の果てには、「剥き出しの希望を重くまとった君が、顔を覗かせる」という。「白檀」の茂みに「君」が姿を見せる瞬間だ。「工場内」とは、その時の竹岡の肉体(いのち)が置かれる目いっぱいの世界なのだろう。

山は少しずつ、だが確実に低くなってゆく。いつか、僕の体が残っている内に、刃物の山は砕け散り、君と僕は同じ地平を見渡すだろうか。

私は、この「君」は、竹岡に光明というか救いをもたらす〈文学〉ないし複数の〈文学作品〉なのではないかと考える。彼の詩魂には、「壊れ切るまで使い倒す道具」として〈「肉体」と「言葉」〉が与えられて、創作活動が始まるのだ。「理想の咒は、生死の螺旋をどこまでも遡り、僕のそして君の、無数の末期の吐息と無数の産声を超える」ものという。だから、竹岡の肉体と言葉がこの世に残っている限り、「刃物の山は砕け散り」、文学作品と竹岡は溶け合って、彼自身が詩をまとい、詩となって、「君と僕は同じ地平を見渡す」時がやってくるのだとおもう。

心臓がとろけて桜しか見えぬ        「浜降」
総身の骨は奏でよ月の大咒         「〃」
位牌数万山越えてより蕩けあふ   「バチあたり兄さん」        
スカートの中が嬉しい雨蛙        「〃」
起つ死者は瀧を天路と仰ぐだらう    「蜜の空輸」

竹岡にとっての、このむごたらしい事態が、虚か実かということは、読者が作品を味わう上ではそれほどの問題はない。前述のドッペルゲンガー(自己像幻視)の世界で謳うことと格闘し、「蕩けあふ」理想の地平へと咒(「思考の流線形」)が作品化されていくことが大事なのだから。各章は、そのときどきの自分の魂への記念碑的鎮魂歌であるといっていいのではないか。

咒を誦せば磯巾着の締まり出す      「蛭の履歴」
若芝に亀歩ましむ帰還兵          「〃」
大兵の掌に蚕あり光吐く          「〃」
よみがへる家族に薔薇の挿木あり     「蜜の空輸」

さてここに、「安吾の『ふるさと』」と題した川村 湊の解説(『桜の森の満開の下』講談社文芸文庫)の一節がある。

文学の究極として、そこで断ち切られ、ぎりぎりの根拠、“後のない”場所として思い浮かべられた「文学のふるさと」。それは安吾にとって、どこまでも孤独に、どこまでも安住することなく、進んでゆかねばならないことを示す道標にほかならなかった。(略)「むごたらしく、救いのない」その道の先にこそ、人間の孤独や切なさを癒し、なだめる一瞬の言葉による救済夢が浮かび上がる。

私は、この川村氏の解説のくだりと、竹岡の「あとがきに代えて」があまりにも見事に重なり、響き合っているのに驚いた。ひとはギリギリの生を生き抜こうとするとき、その先に孤独と切なさをなだめる言葉や文学作品を見出し、救済されると同時に鎮魂されるのである。
「僕」とは〈けもの〉なのだ。「君」は文学作品へと昇華されるための〈苗〉なのだとおもう。ドッペルゲンガーという〈けもの〉から生み出される〈苗〉を育てること、伐ること、焼くこと、挿し木することが竹岡の生を支えるルーティンになっていたのであろう。さらには、それは、12ラウンドの闘いを終えるたびに咒を誦せば、再構築され、家族関係は別の可能性を目指すのであろうか。「なつかしいもの」への回帰願望からは遥かに遠く離れて。この世の因果を超えて続く「生き変わり死に変わり」。その果てに観照する竹岡の世界はどんなものか、どう決着し着地していこうとするのか。

花よ如何に誦し山伏は火のかたち     「蜜の空輸」

各章は俳句形式で書かれた短編小説のようでもある。ドッペルゲンガーを作品化することは、古来追求されてきたようだが、竹岡のそれは、自己との格闘を赤裸々に描く究極のリアリズムに貫かれているといってもいい。

花びらをつつむ虚空という男  知子

         (竹岡の句と章題のルビは省略)

            俳句短歌『We』8号(巻頭エッセイ1-3)より
                    2019年9月発行
とてもかぐわしい肥後スミレ




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ぼくはね、しんしゅのきのこみつけたいんだ(立田山へ)

2022-03-27 21:40:16 | 花や木や空や自然
今更ながらなんですが、
幼児抱えた子育ての大変さを痛感しています。

次男の嫁が9か月女の子と6歳男の子T男を連れて
23日から我が家に滞在しています。

一日があっという間に過ぎて
洗濯と掃除、大人4人分+αの食事の世話、
男の子の世話などの時間に追われています。
夜9時には二階に上がって寝る準備をするので
その後が私の時間になります。

きょうは、T男が
茸を見つけたいというので
16時頃から近くの立田山に行き散策してきました。


図鑑やDVDでしか知らない子なので
茸の生える環境というか
匂いとか湿り気とか光と影とか森の風とか
そういうものを感じてもらいたかったが
どうだったかな~









茸?菌類?の名前は不明ですが
新種ではなさそうですね~。


この新葉は何?

山の散策後
近くの公園を2つ巡って遊ばせ
早く寝るように目いっぱい走らせました。

もう、こちらも欠伸(´Д`)ばかりでています。
身体は痛くて眠いですが
まだ今から風呂に入らねばなりません。

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『社会科・地歴科・公民科指導法』って、なんだ?

2022-03-21 21:51:45 | 俳句以外

大学時代の文学科の仲間(ミニ同窓会メンバー)の手島純から
『社会科・地歴科・公民科指導法』
(2022年2月、星槎大学出版会発行、かまくら春秋社発売)という、
いかにも面白くなさそうな本が送られてきた。
私が、俳句短歌誌『We』をいつも送っているから、
そのお礼ということだそうだ。

読んでくださいとは言いません、
私のところだけでもながめてください
という、お手紙が入っていたので、
仰せの通り、ながめていた。
正直、高校と中学の社会科免状を取得はしているが
教員をしているわけではないしあまり読む気はしない。
が、
予想に反し、面白い箇所があった。
それで、少し紹介しておこうと思う。

まず、この本は、
「新学習指導要領の研究と実践的展開」ということで
現役の社会科教師と研究者の合計12名が執筆(編者:手島純)し、
高校の新学習指導要領実施がこの4月に迫っているのにあわせて、
学生と現役の教師にむけて制作されたものらしい。

面白かったのは、
8人の執筆者のコラム欄(他からも好評だったとか)と
井上恭宏のソクラテスについての授業実践の記述。

井上のコラムは、簡単に述べるとこんな感じかな。
哲学はギリシャ語では「フィロソフィア」、
ソフィア(知)をフィロス(愛)するという合成語だそうで
このフィロスは「友への愛」すなわち、対等なものへの愛
だから、哲学とは「知と友だちになること」なのだそうだ。

そして、哲学は、
「自分が愛しながら愛について考えるといったタイプの学問であり」、「哲学はどのようなテーマであっても、いつでも、だれもが『初心者』であり、『当事者』となるような営みなの」だという。

ただ今現在生きている「この社会」についても、「初心者」のように学び続け、「当事者」の一員として創りあげていくのだ、ということのようだ。

そうして、井上の公民科「公共」の授業実践の要は、
・ソクラテスの「悪法もまた法なり」の意味を探って
現代社会に生きる人間としての在り方生き方を考える。
・「先人の取組や知恵に触れる」ことが、「いま」につながらなければ意味がない。

ソクラテスは、脱獄をすすめられてもそうはせずに、
「悪法もまた法なり。不正を不正で返すのはよくない」として、
毒ニンジンを飲んで刑死した。

井上によれば、
ソクラテスは、「自分さえよい思いができれば、正しさなんてどうでもいい」という考えが社会をダメにするのであり、人間にとって大切なのは「みんなに共通する本当の正しさ」を探求することだと考えたのである、
という。

私は、このくだりを読んで、
この、自分が生きている社会で普遍的な真理を探究する姿勢が大事、
あるいはそのように努力すことが大事だと言ったのだと思った。
そして、このことが、「公共的な空間を作り出」す上で重要なことかなと。

上手く要約できなかったかもしれないが
ご容赦ください。

手島純は、
以前は神奈川県で35年間高校教師をしていて
今は星槎大学で教鞭をとっている。
小田実(おだまこと)の『何でも見てやろう』に影響を受けたそうで
世界を旅して教材を手に入れ、
それらを授業で生徒に見せて対話する、
のが社会科教師の喜びだったという。

(文中敬称略)

これから、高校の社会科教師になろうと思っている人には
必読の書かと思います。
問題意識をもって、この異色の書に触れてみるのもいいかもです。

実は、私には、ソクラテスの句があります。
2015年頃だったか、不本意なことがあったのでした。

杯あおりあおりつつ羽化ソクラテス  知青



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水俣のパール柑と韓国ドラマ「武士ペク・ドンス」

2022-03-19 11:02:45 | つれづれ
水俣の「からたち」から、パール柑が届きました。
とても美味しいものでした。


メールには、こう書いてありました。

45年前、水俣病が発生し海がうばわれ、
生きていくために始めた漁師たちの甘夏みかん作り。
船の網から鍬に持ちかえ、出稼ぎしながら山を切り拓き、
みかんの苗を植えた日々。
”他人に毒を盛られた者は 他人に毒を盛らない”
農薬も除草剤など一切使わない彼らの試行錯誤の日々を想像すると、
 目の前にある甘夏みかん1玉1玉に
今も彼らの想いが宿っている気がします

誠実な生き方に敬服します。


さて、わたくし、
13日に面白そうな韓国ドラマに気付き
アレルギー症状が出ていて、
目や目の回りと耳や耳の周り、背中の痒み
それから頭が重くて食欲もやや落ちていたにもかかわらず
(昨日、2年半ぶりに目薬と飲み薬を貰いに行きましたけど)
全話観なければ気が済まないので、
家人から文句言われないように家事その他も怠らず
昨日などは卒園式で三男夫婦と孫2人の昼ご飯対応し
時間配分を考えながらやって
無事に昨夜23時頃全話観終わりました!
タイムリミットは23時59分。

もともと
チ・チャンウクのファンから始まったのでしたが
壮大な歴史物語に次々と陰謀が仕掛けられ、
面白くて一気に駆け抜けた感じです。

GYAO無料のとこに書いてあった紹介記事には
「イ・サン(正祖)の護衛武士として実在した朝鮮最高の侠客ペク・ドンスと、国王の暗殺を企む刺客集団の対決を描いた大型時代劇。(全29話)
舞台は1700年代の朝鮮王朝時代。何も持たずに貧しく生まれたが、天性の腕力一つだけで民衆の英雄になり、さすらいの剣客から国王イ・サンを護衛する最高の武人に成長する武士ペク・ドンスの一代記。」とありました。

いやあ~悪役がただの悪者(殺手)ではなく、
今でいうテロリストなんでしょうが
悲しき愛と悪の哲学とでもいうのでしょうか
そういうものをにじませていて、
とても魅力的でした~
最後は、当然の如く、悪者は滅びる物語なのですが
観終わって印象に残っているのは、
「黒紗燭籠の天主」の二人、
役者はチェ・ミンスとユ・スンホ(天主の若き後継者)。
チェ・ミンスの描き方も演技も抜群。

”剣は心で握り、
切実な思いだけが
剣を動かす”
(日本語訳ですが)
というセリフは
含蓄がある。

テレビドラマとはいえ
決闘シーンは多く
また剣の一対一の死闘もあり
とても力作だったと思います。
役者さんたちの体力も凄いなあ。

劇中、この長丁場の終わりの方の
チ・チャンウクの笑顔が
素の笑顔に見えたのは
私だけなんでしょうか(笑)



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水俣の「からたち」からメールがきたので

2022-03-11 23:26:09 | ちょッと言わせて
昨年甘夏ミカンを購入した
(2021年2月26日拙ブログ)
水俣の「からたち」からメールがきていて
パール柑があったので、注文してみた。

(何年か前にお隣さんから頂いた黄水仙!?)


きょうは、
このグループに属しておられる
杉本肇(1961ー)さんのお母様のことを取り上げたいとおもう。

(我が家の狭庭に咲いている水仙の花も同時UP。)

(この水仙は実家から掘り出してきたもの。
幼いころからよく目にしていた水仙なので
思い出深い。)

1~2週間くらい前、明け方4時過ぎていたか、
ふと目が覚めて、
すぐには眠れないからNHKラジオを入れたら
杉本肇さんが出演されていて
インタビューに答えて話しておられた。

杉本さんが、水俣を出て東京に移り住んでいた時、
堂々と故郷の話が出来ず、
「故郷を隠した」と発しておられたあたりからぼーっと聞こえてきて
そして、あの有名なお母さまの言葉
「国も許す、県も許す、チッソも許す」という言葉が耳に入ってきた。

「国も許す、県も許す、チッソも許す」
私はずっと前からこの言葉を考えている。

語り部杉本肇でネット検索すると、
そのことについて書かれた箇所がある。

https://bigissue-online.jp/archives/1073831433.html
水俣病にもがき苦しんだ母が受け入れた受難―漁師・杉本肇さんの語り部講話@関西大学 より

“しかしまた母は、差別は絶対に仕返しをしてはならないとして、チッソも許す、国も許す、県も許すと。水俣病というものが一種の「のさり」(天からの恵み)なのだと。人を恨むことは絶対しないと。母の、この「許す」という言葉は、ニ度とこのような事件、差別を起こしてはならないという魂の言葉だったんじゃないかなと思います。

 水俣病を「のさり」と言った母から学んだのは、こうした水俣病という受難を受け入れて、その土地で生きていくという覚悟です。”


「水俣病にもがき苦しんだ母」とは、
杉本栄子(1938―2008)さんのことです。
肇さんの母の栄子さんは勿論のこと、
祖父、祖母(1959年茂道という地域で初めて水俣病認定を受けた)、
父、自分と弟たち(全員は水俣病患者と認定されていないー2018年の肇氏講演より)が水俣病患者。

身体の辛さは、いかばかりだったろうかと思うが、
共同体の中での差別が一番辛かったという。
正直にいえば、
私には、そういう経験がないので、
情けないことだが実感としてはわからない。


(この水仙は日本水仙の八重なのかな。
一重は既に咲き終わった。)

10年前の私は、
そういう人生になってしまって、
チッソも行政も神様も恨まないで「許す」とはどういうことだろう、
なぜ、栄子さんは、
「チッソも許す、国も許す、県も許す」と言ったのだろう、
ほんとに言ったのだろうか、と疑問に思っていた。

自分の人生は自分で好きなように生きるためにあると思っていたからだ。

しかし、栄子さんが水俣病という受難を受け入れたことは、
いまなら少し分かるような気がする。
というのは、
死期を悟ってきて思うことは、やはり残していく子どもらのこと。
母親というものは、
子どもに人を恨むことを教えて死ぬわけにはいかない、ということだったと思うのだ。

ここに、人間の哀しさと尊さをみるような気がする。


(この花の名前がわからない。
白色もある。)

杉本肇さんは、
水俣で無農薬の柑橘類作りとチリメン漁をされているようです。

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