続・知青の丘

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鵙の贄

2011-02-26 21:00:41 | その他
世の中は、理不尽なことであふれている、
と、今更言ってみる歳ではない。

しかし、
人としての尊厳が踏みにじられ、
自尊心を傷つけられるほどの理不尽が
わが身か身内に降りかかってきたとしたら・・・・・・
どうする?

自分を取り戻すために闘うしかないのでは!
それとも、泣き寝入りする?
その方が楽ではあるが。

こういうのを「肥後もっこす!」という!?
難儀な生き方だ。
しかも、相手が悪すぎる!

もう、
これから先の人生は自分だけのもの。
好きなようにすればいい。

負けるか勝つかはわからない。

もし負けても、
何もやらないよりは、
やったほうがいい。

悔いを残さないためにー。

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春の光~「鳥鳴山更幽」

2011-02-21 13:20:31 | その他
県の講座の自主調査研究レポートの提出は無事済んだ。

昨日は、友人の御供で、
表千家のお茶のおけいこに同行した。
800坪という広い庭には高木から低木まで、
季節の草花なども豊かに生えている。

玄関を開けると、
小さなお雛飾りの横には、椿と伊予みずきのお花がー。
女のご亭主は、息子しか持たなかったから後で買ったのだそうでー。
私も同様な気持で、
このごろ博多雛の小さな小さなお雛様とお内裏様を飾っている!

茶室に入ると、まず軸が目に入る。
「鳥鳴山更幽」(鳥鳴いて山更にしづかなり)だそうで、
香合や青磁の茶入、お花が飾られていて迎えられる。

お作法や所作のことは、わからないから教えて頂いて、
主(おも)菓子やら干菓子やら頂き、
濃茶一服と薄茶二服も頂いてお開き?に。

その間中、ご亭主の御心遣いがあふれていて、
その豊かさに敬服することしきりー。

炉のあるお茶室に三時間半ほどいたわけだが、
なんだか別世界にいたような気がした。

帰宅後、世事がばかばかしく思えて仕方なかった。

まだまだ たたかいの日は続くというのに。

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鷹取八幡宮俳諧奉納額~もうすぐ雨水

2011-02-11 12:05:32 | 俳諧奉納額
一昨年から、山鹿市菊鹿町太田にある
鷹取八幡宮の俳諧奉納額について、
ずっと調査している。

この掲額は明治24年6月の奉納である。
まず解読作業は難航をきわめたが、
地元の書道家の方と約1年間かけて完了。
その書道家は、復刻版制作して
昨年4月例大祭で奉納して、念願成就。

私は、その時、俳諧奉納にかかわった
撰者田代静巒の明治23年の日記を田代家からお借りしたことから、
まだひとりで続けているー

県の「くまもと自然と文化の学芸員」養成講座を
受講したことから、その日記の解読作業をまた始め、
認定のための自主調査レポートとしてまとめることにした。

すると、日記であることから、
なかなかおもしろいのである。

もちろん、俳諧奉納あるいは俳諧興行のための撰、
つまり一番撰、二番撰、三番撰(「せり」という語もみえる)
のことはよく書かれている。
集めた句を持ち寄り、共に撰をする俳友らに、
よく飯や酒・焼酎を出し俳話に興じたりしている。

が、詳しいことはさておき、
静巒は、他に、
頭痛腹痛があって薬用しながらも、
米相場や自家用料酒出願、
軍談興行、繰人形興行、佛教談話会など
幅広く活動している模様なのである。

なんとパワーフルな!
私ら庶民には庶民の楽しみ方があるのだな。
そのエネルギーは分けてもらった!

しかし、解読に熱中すればするほど
首が凝る!!





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新燃岳大噴火

2011-02-04 15:13:54 | つれづれ
 新燃岳が約300年ぶりの大噴火だ!

実は警戒範囲4キロ圏ちょっとの所に我が家の山荘があるのだ。
息子たちが小さい時の4年間ほどを住んだことがある。
人間の数より鹿の数が多く、洋芝や庭木、野菜をほとんど鹿に食われてしまう日々ー。
鹿との知恵比べに一時期しのぎを削っていた頃がなつかしい。

誰かが言ったなあ、
こんな山の中で何が恐いかってえ?人間だよ、人間!って。

でも、山の中でなくても、人間はこわい。
人間は時に畜生以下のこともするからねー。
人の道ならぬ外道という道もあると聞く。

凄い噴煙をテレビで見るたびに気になって、
彼の地にすんでいる知人宅に電話を入れてみた。

ご主人が出られた。お元気そうで、要領を得た話しぶりだったが、
奥さんと近所のおばあさんは役場に自主避難しているとか。
噴火の方角から外れているらしく、降灰もうっすら、まだ大丈夫らしい。
だだ、一昨日の空振では、畳のヘリが5センチほど、ピんと持ち上がったそうだ。

今後、マグマたまりの位置や噴火の方角しだいでは、
高温高速の火砕流の心配はあるそうだが、なるようになればいい。
自然には逆らえない。

国立公園内になっている標高700メートルの
あんなところに建てたのは、
私どもの選択。

神様の思し召しに従おう。
それがいい。




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