竹本仰の前号俳句鑑賞
早蕨の未明を抱へ湿地躰 楠本 奇蹄
萬葉集すべての歌に目を通した訳ではないが、志貴皇子の〈石走る垂水の上の早蕨の萌えいづる春になりにけるかも〉が屈指の歌だと信じている。湿地躰という表記からこれは人体の事と思うが、一個の人体の上にも幼少年期、否もっとホモサピエンス以前の、細胞の記憶としての「未明」を感じたのではないか。誰という特定の記憶でもない何かの記憶。安部公房『第四間氷期』に水中棲息化した人間が昔の人類の記憶で涙する、という結末があったが、それに近い感覚ではと思った。
永遠だと思ってふたつになっている 早舩 煙雨
わたしは二人いるという感じは大事ではないか。伝え合える何かが存在すること、それが生命の存続を促しているだろう。よく孤高の作家などという文句があるが、編集者や読者がいなければ成り立たず、孤高というレッテルでつき合うしかない生き方を甘受しているのだろうな。富沢赤黄男の句に〈草二本生えてゐるだけの 時間〉とあった、何となく剥き出し感の強い表現の裏に、何かに縋りつきたい思いを感じる。生を支える要件は永遠に生きられるという感覚だろう。もうこれは本能の世界だ。
視野広き人に譲ってもらう虹 貴田 雄介
ありゃ、ひょっとして虹じゃないかい?そんな見知らぬ人の独り言のような一言に、虹を貰っちゃったという事だろうか。そういえば、あら、月見草、という一言に「富士には、月見草が似合う」という名作「富嶽百景」を生んだ太宰治を思い出す。人にとっては自分以外の人は誰でも視野広き人ではないか。或る時、手にした文庫本や耳にした唄の中に、これってこの人の自分探しじゃないかと痛切に気づいた事がある。視野広き人に出会うことは幸いである。松下竜一の本の中に「にじ通信」というのがあり、見つけた人はご一報くださいと実際にやっていたらしい。虹は対話を生む。感謝。
芭蕉布や袖に入りたる夕の風 籾田 ゆうこ
ああ、気持ち良さそうだなと思った。劇作家の松田正隆さんが或る本のあとがきに、いい舞台には風が吹いている、と書いていた。堀辰雄の『風立ちぬ』の冒頭にも、風立ちぬいざ生きめやも、と何やら訳の分からない擬古文があり、和歌でも「風の音にぞおどろかれぬる」と詠まれたように、ハッと気づかされるものなのだ。そう思って読み直してみると、芭蕉布を揺らす大きめな風と袖に入るくすぐったいような小さい風と、この高低差が楽しく、持って帰れた楽しい風の記憶が盛られているのだ。ビートルズが来日した時、授業をさぼって会場に席を占めた当時の女子中学生は、薬瓶にその時の会場の空気を入れていまだに大切にしているという。あなたも持って帰ったんでしょうね、と思った。
そう言って蒲公英の種旅立ちぬ 林 よしこ
「そう」は何を言ったのだろう、なんて野暮なことは聞かない。ただこの空白のスペースが貴いのだ。旅立つ瞬間はアッという間だ。今、何て言ったの?ねえねえ教えて。あれは決定的瞬間なのだが、誰も解読できなかった。そこに言語は役立たない。中也の「言葉なき歌」を思い出す。「あれはとほいい処にあるのだけれど/おれは此処で待つてゐなくてはならない」、故・谷川俊太郎さんが朗読したのを聞いたことがある。しっかりした、切りそろえたような語尾ではっきり、言葉なき世界を語ろうとしていた。地球の大半は海である。言葉の向こうには海がある。耳を澄まし聞いてみなければならない。
辺境のたましい灼ける咎なき火 阪野 基道
ガザのこと?と捉える方も多いだろう。だが、いつも辺境は熱い。そして火はいったん点くともう広がるしかない。その点、火にはまったく咎がない訳だ。これは恋愛を代表とする人間関係、みんなそうだ。軋轢や衝突によってしかお互いを知ることは出来ない。よく思うのは、平和の間に戦争があるのではなく、その逆だ。戦争の合間の時代を束の間の休憩と見るほかは無い。カフカに「歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族」という短編があり、鼠の歌姫についての考察ながら実は民族についての見解らしい。ユダヤ人カフカが自らチュウチュウ鳴きをする鼠族の中に身を置き、慨嘆したのであろう、まだホロコーストもシオニズムもパレスチナ問題も発生しない頃の貴重なスナップ。実は、生命みな辺境ではないかと思い至る。そこに人格とか品位とか国家とか纏っているだけで。
少年に与ふ剃刀夏の朝 松永 みよこ
清水哲男の詩「パン」に「夏休みのはじまった朝/パンを焼く匂いのなかで/ぼくは猛然と/単純な夢の退路に/鋭いナイフで挑戦する」とあったのを思い出す。ナイフと剃刀では違い過ぎる。ナイフなら頑張ってくれだが、剃刀なら「どうするの?」となる。平凡に伸びたばかりの髭をそるか、或いはこっそり自傷するか、封筒に入れ自分の淋しさを届けるか、その点は任せるから、となる。少年というもの自体が絶えず変貌をとげるものであるから、ぬっと与えたその手自体が何なのだろうか。少年が怖いのではなく、逆に少年よと、その存在価値について問いかけているのだと思う。
冷蔵庫いつか悪女と呼ばれたい 森 さかえ
善人だと言われることが苦痛なのだろうと思う。重たい布団を被せられているような嫌な負担がそこにある。そこへいくと、悪女はいい。軽くショールを脱ぎ捨てるように飄々と歩いていける。だがそれもそうではないのかもしれない。悪女のレッテルをたえず刷新していかねばならない。沽券という点ではそちらの方が重い。轟寅次郎がフーテンの流儀を保つためにいかに苦労しているか。山田洋次も善男善女にいかに反発しているか。そして、善人も悪女も、ああ、またやっちゃった、と奮闘努力の甲斐もなく、呟くしかないのだろう。トランプもノーベル賞を貰いたがっている。それに比べれば、あなた。何とかわいい呟きをお持ちなんでしょう。ドンマイ。
ゆきやなぎ私は良い子じゃありません 内野多恵子
誰しも良い子じゃありませんと、答えたくなる。一つひとつ、今までの事を素直に振り返ることができる時ってある。でも、それを誰に伝える?ここではその相手がいないのだ。そういう貴重な瞬間が活写されているように思う。寺山修司の作詞でカルメン・マキが唄った「時には母のない子のように」を思い出す。母のない子のように海を見つめていたい。〽だけど心はすぐ変わる 母のない子になったなら 誰にも愛を語れない…。この句は自分に言い聞かせて、このスペースを大事にしたいのではないか。
時の記念日時を戻せぬ星に生き 江良 修
そう、生まれた時から時は戻せない。自分に与えられた時間を失くしていくこと、それが生きるという事なのかもしれない。時の記念日は、日本に初めて時計を設けた六六一年の四月二十五日からだという。当時は漏刻、水の落ちる時間により時刻を定めた。今は秒針であり、電波であるが、いかにしようとも止まらない。止まらないからこそ大事にというのだが、そうはいかない。縮めたり延ばしたり、ときには止めてみたり…無理を承知で。星に生き、という表現に平和を希求する心を感じた。
星霜の教科書に棲む山椒魚 小田 桐妙女
かつて国語の教師をしていた時、「山椒魚」で不思議な体験をした。岩穴に閉じ込められた一生物の一生なんて、閉所恐怖症の私には苦手な作品だった、つい一緒に閉じ込めた小エビが死にかけ、本当はお前のことが好きだったんだという結末。愛しているか憎むのか。と、そんな話を当の授業を受けていた或る生徒の、そのまた聞きをした妹から言われた。「お姉ちゃんは感動していました。そしてその話を聞いた私も」。いい授業とも思えぬその話を家で妹に語って聞かせるなんて。いや、実は山椒魚は教科書の中にだけ棲んでいたのではない。家の岩陰にもいたんだと、胸が痛んだ。
少年の鰭ひらひらと街を出る 男波 弘志
そうだ、我々もかつては水棲生物だった時代があったのだ。そして、陸地が水没する未来にもそうやって若者は出ていくのだろう。ということは、若者が出ていくあのひらひら感は、生物系統的に持ち込まれた記憶の発露なのかもと思える。別に都会がどうのという訳じゃなく、初代ゴジラが水爆で呼び覚まされたように、あてどない帰郷に目覚めているのかもしれない。これは比喩でも何でもなく、説得力があると感じた。
夜桜やいたるところを獣臭 加能 雅臣
ひと頃、桜の樹をほとんど一年中見ていたことがあった。興味などでなく、不安や悩みを吹っ切る散歩の目的地に偶々樹齢七十年になる桜の大木があったからだ。年間を通してみると、本当に様々な表情があり、大いに惹かれることがあった。だが、桜の開花期間、それも三分咲き以降は近づけなかった。というのも有象無象にまったく見なかった人の群れが押し寄せるからで、それは肉に群がる獣のように凄まじかった。ライトアップし悲喜こもごもの四方山話あり、デートにもなり、飲酒&BBQ…何というか近寄れない熱気の前に、遠巻きに一瞥する。人生もそんなものだ、人気に人だかりができ、やがて去る。去り尽くし散り尽くしての夜桜はまたいい。では、少しお話ししましょうか?やっと桜のナマの匂いが嗅げるというものだ。
人影を吐き空蝉の部屋震ふ 斎藤 秀雄
空蝉の部屋は、いわば青春の形見かと思えた。たとえば、卒業式後の教室のような。誰もいない、しかしみんながいた気配と熱気の残る空っぽの空間。もう誰も戻って来たりしないのだが、初めてここにいたんだと感じられる空間。ふと震えた。何だ?そういえば、芝不器男に〈みじろぎにきしむ木椅子や秋日和〉のというのがあった。何が起こったのか、部屋が怒ったのだ。そして、震える主体は部屋だと思えるが、立ち位置は人影の方にあるように感じる。そうすると、空蝉は国家とも民族とも、無いようで有る透明な器ともとれ、そう思わせる処がとても面白い。
この国の水平保つ植田かな 島松 岳
遠景にはいつも秩序がある。どんな奇妙な出来事だって、遠景のもつ秩序や枠からはみだすことなどできやしない。と安部公房は言ったが、水平と束縛とは表裏一体なのかもしれない。自由を求めれば田舎を出るしかない、そんな『青春の門』の流れがあったが、当今の深刻なコメ不足となると誰が責任を取るのかという話で、本当は常に揺らいでいた米がクローズアップされてきた。そしてこの騒動を高笑いしているのは商人ではなく、コメ自身かもしれない。これだけこの日本の世を動かし続けた主は俺だ。人知の及ばない遠景がそこにある。
キリストの墓の住所が変わります しまもと莱浮
こんな転居通知が来たとして、多分大騒ぎが起こるんだろうなあと思う。でも…聖地だったのはT氏の例のTタワーになりましたから、そうですね、どうしてもという方がおられましたら、あの新タワーマンション地下の礼拝所へおいでなさい。あのー、イエス様は引っ越しをなさったのですか?イエス様に永住権は無かったのですか?大丈夫です、天国はいつもイエス様と共にありますからね、イエス様のゆく処どこであろうと、イエス様も天国も常にあなたとともにあります。本当の聖地はあなたの処ではありませんか。イエス様もきっとお悦びでしょう、きっとあなたのお近くになっている事でしょうから。
風がふくぼくのおならはたびに出る ようたろう
ちゃんとおならの事を考えてるんだ、偉い。人生、これまでこれほど身近な事柄を見落として生きてきたことにはたと気づく。そういえば、いいおならをして来なかったもんなあ。人のおならには気づくのに。わが配偶者が独身の時、当時付き合っていた私に丁寧にいかに自分のおならが貴いものであるかを説明してくれた。結局、うぬぼれというのはそういうものだと後で気づいたが、私に縁のない考え方である。で、この句にはそれを越えた哲学がある。社会的に公認されがたいおならの行方を考える。これはこれは、だ。ふいに生き方を反省してみたくなってしまう。そうだな、まだしもうんこなら、日々対峙して対話があるのに、そうか、小椋佳の〽僕は呼びかけはしない…ではダメなのだ。おならも大事な生きものである。ありがとう。
くらいのをうちゅうでねてるとおもったらすっかりねむれるんだよ こうしろう
子供のころ、異様に闇を恐れていたのを思い出す。ところが小五の時、天体観測で小学校に泊まった時、ずっと星を屋上で眺め、クラス全員教室で雑魚寝したのだが、みんなこんな風に寝るんだと熱い闇に心打たれたものだ。そして翌朝、解散し、家の寝室で寝っ転がると、何だかまだ星空の中にいるように思い、とても安らかに寝入ったのだ。そう、一人でもひとりじゃないって感覚。初めての手術の前夜、病室のベッドの上で胸の上に銀河を感じて妙に幸せだった。何だろう、映画『オズの魔法使い』のラストのあのベッドでのドロシーのふかふか感、あれなんだが、ほんとはみんないるって感じ、生まれてきてよかったなとつくづく思えるのだ。
樟の切株恐竜の春愁 加藤知子
春愁と恐竜。思わず、そうか、あなたもか、と言ってしまった。この場合の春愁は、事の大小を問わず、何かとても痛い喪失感のおもむきだろう。ほんとうは昨日のように咆えまくっていたいのに、何だか頽れているような呟きの低声がぐるぐると聞こえてくる。これは一体何なのだろう。その「もやもやの何だろう」が、春愁というやつである。「早春譜」によれば〽春と聞かねば 知らでありしを 聞けばせかるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か…と語りかける、実にうっくつとした心情をうまく歌詞にのせている。だが、匂いがない。掲句の「樟」は伐ったばかりのクスノキととらえたい。ナマナマしくも鼻腔から脳髄をつらぬき、心中の恐竜が咆えたくて仕方ないのだ。だから語ってみろよ、恐竜くん、わたしと。そう、出来れば、恐竜語でいいんじゃないか、解き放て、春愁。
この花はハマユウ
散歩中に人さまの畑にさいていたヒゴダイ
もうそんな季節なんだなあ~と
それにしても意外な場所に咲いてますね。
これはノコギリソウかな
前回のブログアップから二日後くらいだったか
恵の雨が降り、その後はいい塩梅に雨が降ってくれています。
水かけもしなくてよくなって
オクラは収穫始めました。
今は、外気温23℃
窓開けていると半袖では寒く感じます~
さて、本日We20号の入稿に
印刷所まで行ってきました。
なんとなく、
一週間前から体調を崩していて
(その前に友人の家に行ったら、
アデノウィルスに罹っていた赤ン坊がいて
泣いたのでしばらく抱っこしていたのだけど、
このくらいで感染するかなあ~)
ここ3日間はルル3錠にお世話になっています。
薬の効果が切れるとまた頭痛がしてきてきつくなって・・・
夜寝て、午前中に寝て、夕方寝て
と、よく眠っています~
食欲減退も症状の一つですが
体重は減らない
ハンミョウを隣家の敷地で見かけました~