続・知青の丘

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『熊本の近代化遺産 上・下』(弦書房、2014刊)

2014-07-20 22:44:18 | 近代化遺産
今日は、
上記の本の中に収録されている建造物を見てきました。

       7月13日に熊本産業研究会総会出席して、
       面白そうだったので購入してきました。
         ちなみに、熊本産業研究会・熊本まちなみトラスト編です。

さて、これはなんの建物でしょうか?
なんだかちょっと、ホテルっぽくないですか?









1937年建造。
玄関車寄せ部分と時計塔部分(ステンドグラスあり)に装飾を集中させたアール・デコ建築。非対称形。
2001年国の登録有形文化財指定。

現役で活躍している県立玉名高等学校本館でした。

次は、



正面からはよくみえませんね。


これも、昭和初期のアール・デコの特徴を有する建物。
1924年建造。元は、熊本電気(株)高瀬火力発電所。1956年操業停止。
現在は、九州プラスチック工業(株)

最後に
見た目には何の変哲もない建物群の一部



敷地はかなり広いようだが、無断では入れず遠巻きにして撮影。
現在の建物群の建造年は不明。
製糸の工程をおおよそたどることができる主要な建物や自動繰糸機や揚返機などの機械が
残されているという。

この一帯は県下有数の養蚕地帯で、1918年に玉東製糸(株)が設立され、座繰繰糸機193釜が設置されたそうだ。
紆余曲折を経て、現在は、城北製絲(株)だが、構造的不況により1993年操業休止状態だが、
敷地内に桑の木が植えられたり、かつての女工用食堂が養蚕室に改造されたりして、
養蚕業の灯を消さないようにする動きが始まっているという。


*説明はほぼ上記の「熊本の近代化遺産 下」による。





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「熊本の戦跡をフィールドワークする Ⅲ」(2014・0531)

2014-06-04 11:11:19 | 近代化遺産

熊本産業遺産研究会の活動の一つとして案内があったので
大江渡鹿地区の旧陸軍施設の見学会に参加した。

同地区のあまり長くはないルートで一時間超。
暑かったが、熊本市内にこういう戦跡があるということを初めて知った。

「玉名荒尾の戦争遺跡をつたえるネットワーク」の方の説明は
年配の方だったが
大変分かり易く、また的確だった。


熊本学園大学内にある
歩兵第十三連隊食堂・酒保所棟(現学園大学第2体育館)
窓の上方のコンクリートが少し張り出した部分には
装飾として煉瓦の半分サイズが張り付けてある。
入口の支柱も装飾的である。



中の方は天井はあまり高くなく柱も太く頑丈な造作である。


歩兵第十三連隊営門


いまでは騎兵第六連隊碑が残るのみ。


ヒメシャラの花


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新緑の肥薩線~人吉駅から隼人駅まで(その2)

2014-05-08 17:01:00 | 近代化遺産
近くの青井阿蘇神社(国宝)に行って時間をつぶした後
人吉駅から乗車。

愛知からフェリーで大分に着き、
2泊3日を九州のローカル線で乗ってまわる「乗り鉄」がいた。
ほとんど乗って揺られているのだそうだ。

大畑駅(おこばえき・標高536、9m)
~名刺を置いてくると出世する?といわれ
沢山の名刺が駅舎の壁にべたべた貼られている。


大畑駅をバックで出発し、助走をつけてループの稜線を上ると
眼下に大畑駅が見える。


矢岳駅(やたけえき標高294、1m)
SL展示室D51-170号型蒸気機関車




日本一の車窓といわれている風景


真幸駅(まさきえき・標高380m)

昭和20年8月22日
真幸駅から2番目の「山神第二トンネル」で
多くの復員兵を乗せた列車が登りきれず立ち往生。
列車から降り避難しているところに
列車がバックしてきて56人もの犠牲者が出たという。

吉松駅(標高213m)で特急「はやとの風」に乗り換え。



大隅横川駅(肥薩線最古の駅・明治36年開業時の駅舎)


嘉例川駅(大隅横川駅と同日開業の駅舎)
ここのお弁当が有名で前日までに予約して
「はやとの風」車内で受け取るのだそうだ。




山奥の花(あやめ)の色はこんなにも鮮やか!




あやめ澄む無人の駅舎ばかり撮る  知青

私は、垂水に行くため、隼人駅で降車しました。

「はやとの風」に乗れて
やっと肥薩線制覇!
前回(2011・11)は吉松駅まででした。

*肥薩線の運んだものの特徴的な一つは
戦前戦後にかけて我が国の経済成長に
大いに貢献した石炭産業に
必要な坑木であった。
(『肥薩線の近代化遺産』2009・弦書房参照)

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新緑の肥薩線~人吉駅まで(その1)

2014-05-06 21:46:30 | 近代化遺産
東京から鹿児島子育て時代の友人が
ひとりでやってきたので、
肥薩線で鹿児島まで同行することにした。

熊本駅9時44分発SLひとよし乗車!



20年ぶりくらいなのに
なんの違和感もなく・・・・フシギな縁ですね。

どこの駅だったか、九州横断鉄道が入ってきた!

第一橋梁を渡った!


新緑に黒いSLが映える。


第二橋梁を通過して機関車の煙が・・・


これから乗る「いさぶろう」号と先ほどの九州横断特急


人吉駅前のからくり時計
13時を知らせているとこ。


あ、車内ブッフェ販売の焼酎アイス、美味しかったああ~
是非、ご賞味あれ。
(310円)

きょうのとこはここまで~。

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軍艦島(端島)に行った(近代化遺産)

2013-06-08 17:42:05 | 近代化遺産
5月25~27日は、
所属俳句結社の全国大会で長崎にいた。

26日午後は自由吟行。
軍艦島に渡るには絶好の5月晴。
ここまで来たからには、踏ん張って行ってみようっと・・・・

もともとは、草木のない水成岩の瀬にすぎなかった島を
6回の護岸堤防拡張工事を繰り返し、コンクリートで固め、
高層鉄筋アパートを立ち並ばせた。
その外観が軍艦「土佐」に似ていることから
軍艦島と呼ばれるようになった、そうだ。

島には、小中学校や病院、商店、社寺、呑み屋、映画館、テニスコート、パチンコホールなど
揃っていて、テレビなど電化製品の普及は早く、豊かな島だったようだ。

いざ、長崎港から乗船! ↓       
 
三菱造船・イージス艦 ↓

いよいよ高島~軍艦島も見えてきた↓
 


もうすぐ接岸↓

上陸したら、瓦礫の山↓
 
写真(上も下も)中央奥の方は小中学校校舎。屋上に幼稚園があったそうで。
鉄砲ユリが咲き、白い野イバラが地を這っていた。


鉱山の中枢の総合事務所。↓
 
???
 
海水のプール↓


3か所の見学広場での説明を聞いた後、再び乗船。
右回りに島をめぐって・・・・もどる


島の北側?(裏側)には、高層の社宅アパートが立ち並び、潮受になっている。
 

端島神社の祠のみ残る↓

左側の建物は病院↓


1974年に84年間の幕を閉じる。
同年4月20日より無人島になった。

ここには、掲載していないものがまだいっぱいあるので、
やはり軍艦島には、自分の足で上陸して実感してほしいなあ~。

青葉潮軍艦島の昼の逆光 知青

長崎港から乗船。
150分コース・・4000円+300円(上陸料)

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