Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

久しぶりの俊成

2010年05月09日 10時28分38秒 | 読書
 「図書5月号」(岩波書店)が手元にある。
 坪内稔典「柿への旅」と高橋睦郎「詩の授業」は必ず読む。
 特に今月の「ARS POETIKA 「源氏物語」」は興味のある部分であった。俊成の判で有名な『左大将家(後京極摂政良経)百番歌合(六百番歌合)』、その13番枯野の歌と判詞を解説している。俊成の有名な「源氏見ざる歌詠みは遺恨事也」が現れる箇所だ。
 むかし幾度読んでもわかりにくかったが、今回の解説でかなりわかったような気にしてくれる。当時の政治的な背景、俊成・定家の御子左家と六条家の関係等々は概略理解できていても、実際の判詞の意味するところはなかなかつかみきれなかった。
 「歌はもはや(俊成より)200年前、紫式部の転載がフィクションの中でしたように、歌人ひとりひとりがフィクションの中で真実を述べざるを得ないところに来てしまった。それが御子左家流新風の共通認識」、ということで、「見し秋を何に残さん草の原ひとつに変わる野辺のけしきに」の秋が現実の宮廷の雅びへの挽歌として見ることを教えてくれた。
 要は源氏物語の歌の意と、良経の歌と判詞が結びつけられなかったのだ。家隆の歌も合わせイメージとしてはつながった。あとは自分の言葉でつながるように反芻する作業だ。
 「授業」と題された連載、授業とは教わろうとする者が断片的に持っている知識を、つなぎ合わせ、体系立て、理解させてくれるもの。あるいは繋がらない糸をつないだり、ほぐれた糸をほぐしてくれるもの、と定義するならば、この授業と題する連載は、私にとっては「良い」授業である。

 5月の岩波書店の出版案内を見たら「私の日本語雑記」(中井久夫)とあった。2100円はつらいがこれは25日発売、購入しなければ‥。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。