一昨日の夜は妻が好きな栗ご飯であった。それもいつもより多めにつくっていた。本日もそれを温かくして賞味できた。
秋はいろいろな具材で炊き込みご飯ができる。きのこは種類ごとに作ったほうがいい。栗は細かく砕いた栗がいい。零余子、銀杏の炊き込みご飯も食べたい。
実は学生時代に、秋刀魚を大量に安く購入した。魚屋さんが、指をくわえて秋刀魚を見ている私を哀れに思ってくれたのか、薄いが大きめのビニール袋にぎゅうぎゅうに詰めてくれて、50円位で譲ってくれた。秋刀魚自体は小さめだったが、今年見る秋刀魚よりは太っていた。
小さな冷蔵庫の冷凍室に入りきらないほどで、もっとも小さい脂があまりのっていない秋刀魚の内臓を取って、1尾をまるごと2合の米で炊いてみた。軽く醤油を入れ、生姜の千切りと昆布片を入れて炊いたのだが、これが実に美味しかった。しかし妻にそのときのおいしかったことを幾度も言ってもつくってくれない。私が再現しようとしても台所を使わせてもらえない。拒否されている。
今年の秋刀魚はやせ細って、いかにも脂ののりがない。炊き込みご飯にはちょうどいいのだが、今年も私の口には入らないのが悲しい。
もっとも20歳前後の時の舌には合っても、この歳では少々くどいご飯なのかもしれない。
それにしても今年の秋刀魚は出始めとはいえ、哀れでしかも高いのだそうだ。塩焼きにするにもあまりに寂しい姿である。煙もたたないのではないか、と余計な心配をしている。
確かにアユの炊き込みご飯ならば、臭みは少ない。
学生の頃は生姜を多数いれて少し和らげました。今思えばくどい味だったし、生臭かったかもしれません。
それでも学生の時はご馳走でしたよ。2回ほど作りました。
そうですね。妻の味にすっかり慣れ切っています。