Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

土門拳を見る・読む(4)

2010年05月24日 20時41分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
高山寺石水院冬日1959 

 「ぼくは何十遍高山寺に行ったことだろう。ほんのお志を懐にしては高山寺に通い、石水院の広縁に座って、古寺巡礼撮影で苛立った頭を休めた。行くたびに、いい。いつ行っても、いい。同じところ、同じものを見るだけだが、行くたびに新しい発見がある。だから飽きることがない。そしていつも行くたびに、今日の高山寺が今までで一版よかった、と思って帰る。幸福なことである。」
 何の変哲もない文章に思えるが、実にいい文章だと思う。リズムもいい。歯切れもいい。そしてほれ込んだ実感がそのまま伝わってくる。
 むかし中学生の時、国語の先生から気に入った文章はそのまま書き写してみるとその秘密がわかる、と教えられたことがある。なるほどと思ったが実行したことはない。学生の頃はビラで他人の表現や、月刊誌の文章をそのまま地の文にしてしまったことがあるが、これは盗作というものであろう。
 パソコンで文章を綴るようになって、書くよりは数段早く打てるし、間違いもすぐに直せるので、気に入った文章は時々なぞってみることにしている。しかしこの歳になってはなかなか文章力は向上しない。思考と文章とは分けて考えなくてはならないが、自分の思考を突き放して反芻しながら文章を書くということはなかなか困難で、独りよがりの文章になってしまう。
 土門拳の文章は、ほれ込んだものを書く強さがある。また写真を撮影するときのように、かなり自分を突き放して観察しながら書いているようなところがある。やはり文章の達人だと思う。

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