朝陽(1965)
作者は「素足で走らされる朝の耐寒訓練は、初冬の日課であった。芦浦の感覚もなくなる頃、東天の闇をついて陽が昇る。それは疲労、暑さを忘れさせる程の厳粛な美しさだった。」
香月泰男のシベリア・シリーズの2割は、終戦日以前の軍隊体験を告発するものを占めている。私は香月泰男のシベリア・シリーズの重みは個々にあると確信する。時代の犠牲者、スターリニズムの被害者として(それはその通りであり、これは紛れもない事実だ)だけではなく、国家犯罪としての「戦争」そのものを告発する普遍的な重みをこのシリーズが持つ所以である。
戦後生まれの私どもがこの絵から学ばなければならないものの重みがここにある。
作者は「素足で走らされる朝の耐寒訓練は、初冬の日課であった。芦浦の感覚もなくなる頃、東天の闇をついて陽が昇る。それは疲労、暑さを忘れさせる程の厳粛な美しさだった。」
香月泰男のシベリア・シリーズの2割は、終戦日以前の軍隊体験を告発するものを占めている。私は香月泰男のシベリア・シリーズの重みは個々にあると確信する。時代の犠牲者、スターリニズムの被害者として(それはその通りであり、これは紛れもない事実だ)だけではなく、国家犯罪としての「戦争」そのものを告発する普遍的な重みをこのシリーズが持つ所以である。
戦後生まれの私どもがこの絵から学ばなければならないものの重みがここにある。