Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

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2018年09月02日 22時12分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 少しは読書をしようと思い、「図書9月号」を手にした。2頁も読まないうちにうつらうつらしてしまい、手放した。読んだ活字が活字として認識しても、意味として頭の中に入ってこない。諦めた。
 胃のあたりがゴロゴロ鳴っている。その音を聞きながら再び寝てしまった。

 しかし不思議てある。これほどうつらうつらして眠りが浅いのに、夢を何も見ない、というよりは夢を何も覚えていないという方が正しいと思われる。
 むかしから夢を何も覚えていない。いつからだろうか。小学生の低学年の頃は夢を見ていて、それを覚えていた。高学年になるにしたがい、夢の記憶は無くなって行く。
 そして就職してから十数年間は「卒業単位が足りない、就職先をやめさせられる」という強迫されるような夢だけを見ることになったが、今はもう見ていないし、覚えていない。この脅迫はつよいものがあった。

 何しろ確か90単位必要なところを91単位で「卒業」したのである。それも卒論はおまけのAだが、それ以外はすべてBかC評価だった。一科目2単位くらいだったので、ひとつでも落とすと、或いは選択した科目の単位計算に間違いがあるとすべてご破算という状況だった。
 もっとも「うるさい学生だから、さっさと卒業してほしい」というのが指導教官の本音だったのではないか。そうでなければ、コンピューターのプログラムの失敗で、結果が白紙の卒論がAと評価されるわけがなかった。

 もっとも卒業証明書はちゃんともらって就職先に提出したので、「卒業」したことは確かである。もう44年前の話である。

 熱が下がり始めたようだ。少し汗が出てきた。

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