岩木山の思い出 2022年05月09日 21時54分50秒 | 山行・旅行・散策 岩木山に登った時の地図が出てきた。登りは嶽温泉から、下りは百沢コース。池は「鳥の海」で会った。 登りはずいぶん楽に登った記憶がある。天気も良かったが、リフトの頂上駅からガスに巻かれ、風も強く頂上の避難小屋の中は寒く、早々に下山開始。 七曲くらいからようやく天候が回復。百沢温泉でようやく体を温めることが出来た。 この時は白神山、十二湖を回ることも考えたが、八甲田山に回った。いつかは行きたいものである。 #岩木山 #白神山 #十二湖 #百沢温泉 « モーツアルト「ホルン協奏曲」 | トップ | 「日経サイエンス6月号」 »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 白黒写真はいいね! (阿修羅の叫び) 2022-05-10 10:39:06 Fsさんは私と同世代とみました。プロフィールからもですが日々の「独り言・つぶやき」からそのことがよく分かりました。何となくですが最近出てきたという白黒写真を見せてもらった時に特にそう感じたのです。 私もカメラ歴は50年にもなりましょうか、けっして安くないフイルムのひとコマひとコマをちびちび使った時代は白黒写真でしたね。その頃のフイルムも今では何処かいってしまいましたが、アルバムにかろうじて残っている白黒写真をふと思い出してみています。 最近のカメラはデジタル、フイルムカメラは骨董品でよ。貴ブログの「連休も明日で終了(2022.2.7)」に載った白黒写真のガクアジサイとビオウヤナギですが素晴らしいですね。感激ですよ。改めて白黒写真の素晴らしさに酔っています。 そういえばデジタルカメラでは白黒写真は撮れないそうで、だから「グレースケール」という表現を使っているとか。「モのクロ写真」と「白黒写真」とではその味わいは違うものですね。私はデジカメで撮ったモノクロにはいまいち物足りなさを感じています。 坐骨神経痛やひざ関節痛に悩まされながらも住宅地図を持って歩いてカメラを向けていますが、知らずに私有地の路地に入っていったり、よその家の庭先にカメラ目線を送ると睨まれたり、何覗いている?などと怒られたりしてますがやめられませんよね。ブログ「岩木山の思い出(2022.5.9)」の写真の地図も楽しいですね。山行きは苦手ですが旅行や散策は写真とともに私の必須的趣味になっていて地図に関する書籍を見ては夢想の世界に浸っています。また白黒写真見せてください。しかし今、世界の地図に目を向けると、衝撃的事件になっているウクライナを含むユーラシア大陸の地図と歴史に浸りながらも、かの国の民の行く末を按じているのです。(阿修羅) 返信する 阿修羅の叫び様 (Fs) 2022-05-10 20:00:08 長文のコメント、ありがとうございます。 私は1951年生まれ。団塊の世代のすぐ後ろの世代です。 カメラ歴50年というのはすごい。私は労働組合の機関紙を作るために行政の市民向けの無料の写真講座を受けたのが40歳前後のことでしたので、たかだか30年未満。たまたま白黒の造形写真の先生でしたので、いわゆる「きれいなものをきれいに撮る」「風景写真」「人物写真」「報道写真」とはまったく別の世界に入りました。組合の機関紙編集にも役に立ちませんでした。 しかも団地住まいですので暗室を作るわけにもいかず、現像は写真店任せでいつもモヤモヤし通し。その後デジカメしか使用していないんですm(__)m 坐骨神経痛と膝痛は私も。そのためにかがんで下からの撮影ができないので、いつも「上から目線」になってしまいますね。 私はフォトショップで「カラーを削除」してから、コントラストをかなり強くしたりしながらフィルム写真に印象が近づくように操作しています。邪道と言われれば邪道なのですが、それもまた私の独りよがりの世界です。 ウクライナの問題を解くカギはどこにあるのでしょうか。悩みますね。私にもわからないことだらけです。 私が言えることは、スターリンの作った「国家」も、ヒトラーの作った「国家」も、毛沢東・習近平の「国家」も、「国家」であることには変わりはない。色川大吉の指摘で言えば「国権」よりも「民権」。国の論理が市民生活にのしかかるようであるならば、その国家は桎梏でしかない、ということ。「国家」があっての「市民生活」という枠組みを取っ払うことしか、「戦争」は無くならないと思っています。 レーニンの「国家と革命」の「国家の死滅」に私は昔とても惹かれました。その夢は持ち続けたいです。 ウクライナ問題、まずはロシアのふーちん政権がウクライナに侵攻したことは断固として許せないし、戦争犯罪は断罪するべきです。ウクライナの人々の抵抗の仕方に私たちはこうしろ、ああしろということは出来ません。しかし同時に軍事でプーチン政権の強権に対抗する、というウクライナの国家の有り様については違和感はあります。 私の頭には1967年のチェコの「プラハの春」の衝撃と教訓があります。これが私の原点です。ソヴィエトの侵攻後四半世紀という膨大な時間はかかりましたが、ビロード革命というほとんど無血革命で1967年の目的を達成しました。そういった意味で私は現在の日本の憲法の理念が普遍化されることを願っています。 1960年代のどこかの党のようなうわべだけの「平和主義」で、裏では権力に異議申し立てをする人間に暴力を奮っていた組織は信用できません。本気の平和主義に現在心惹かれています。 ウクライナでも当初は人々の座り込みでロシアの戦車を止めようという努力がありました。それを足蹴にしたロシアのプーチンの強権がゆるせません。しかしその強権を武器で押し返したとしても、それは武器が優位の国家の再生産でしかないように思うのは私だけでしょうか。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
私もカメラ歴は50年にもなりましょうか、けっして安くないフイルムのひとコマひとコマをちびちび使った時代は白黒写真でしたね。その頃のフイルムも今では何処かいってしまいましたが、アルバムにかろうじて残っている白黒写真をふと思い出してみています。
最近のカメラはデジタル、フイルムカメラは骨董品でよ。貴ブログの「連休も明日で終了(2022.2.7)」に載った白黒写真のガクアジサイとビオウヤナギですが素晴らしいですね。感激ですよ。改めて白黒写真の素晴らしさに酔っています。
そういえばデジタルカメラでは白黒写真は撮れないそうで、だから「グレースケール」という表現を使っているとか。「モのクロ写真」と「白黒写真」とではその味わいは違うものですね。私はデジカメで撮ったモノクロにはいまいち物足りなさを感じています。
坐骨神経痛やひざ関節痛に悩まされながらも住宅地図を持って歩いてカメラを向けていますが、知らずに私有地の路地に入っていったり、よその家の庭先にカメラ目線を送ると睨まれたり、何覗いている?などと怒られたりしてますがやめられませんよね。
ブログ「岩木山の思い出(2022.5.9)」の写真の地図も楽しいですね。山行きは苦手ですが旅行や散策は写真とともに私の必須的趣味になっていて地図に関する書籍を見ては夢想の世界に浸っています。また白黒写真見せてください。
しかし今、世界の地図に目を向けると、衝撃的事件になっているウクライナを含むユーラシア大陸の地図と歴史に浸りながらも、かの国の民の行く末を按じているのです。(阿修羅)
私は1951年生まれ。団塊の世代のすぐ後ろの世代です。
カメラ歴50年というのはすごい。私は労働組合の機関紙を作るために行政の市民向けの無料の写真講座を受けたのが40歳前後のことでしたので、たかだか30年未満。たまたま白黒の造形写真の先生でしたので、いわゆる「きれいなものをきれいに撮る」「風景写真」「人物写真」「報道写真」とはまったく別の世界に入りました。組合の機関紙編集にも役に立ちませんでした。
しかも団地住まいですので暗室を作るわけにもいかず、現像は写真店任せでいつもモヤモヤし通し。その後デジカメしか使用していないんですm(__)m
坐骨神経痛と膝痛は私も。そのためにかがんで下からの撮影ができないので、いつも「上から目線」になってしまいますね。
私はフォトショップで「カラーを削除」してから、コントラストをかなり強くしたりしながらフィルム写真に印象が近づくように操作しています。邪道と言われれば邪道なのですが、それもまた私の独りよがりの世界です。
ウクライナの問題を解くカギはどこにあるのでしょうか。悩みますね。私にもわからないことだらけです。
私が言えることは、スターリンの作った「国家」も、ヒトラーの作った「国家」も、毛沢東・習近平の「国家」も、「国家」であることには変わりはない。色川大吉の指摘で言えば「国権」よりも「民権」。国の論理が市民生活にのしかかるようであるならば、その国家は桎梏でしかない、ということ。「国家」があっての「市民生活」という枠組みを取っ払うことしか、「戦争」は無くならないと思っています。
レーニンの「国家と革命」の「国家の死滅」に私は昔とても惹かれました。その夢は持ち続けたいです。
ウクライナ問題、まずはロシアのふーちん政権がウクライナに侵攻したことは断固として許せないし、戦争犯罪は断罪するべきです。ウクライナの人々の抵抗の仕方に私たちはこうしろ、ああしろということは出来ません。しかし同時に軍事でプーチン政権の強権に対抗する、というウクライナの国家の有り様については違和感はあります。
私の頭には1967年のチェコの「プラハの春」の衝撃と教訓があります。これが私の原点です。ソヴィエトの侵攻後四半世紀という膨大な時間はかかりましたが、ビロード革命というほとんど無血革命で1967年の目的を達成しました。そういった意味で私は現在の日本の憲法の理念が普遍化されることを願っています。
1960年代のどこかの党のようなうわべだけの「平和主義」で、裏では権力に異議申し立てをする人間に暴力を奮っていた組織は信用できません。本気の平和主義に現在心惹かれています。
ウクライナでも当初は人々の座り込みでロシアの戦車を止めようという努力がありました。それを足蹴にしたロシアのプーチンの強権がゆるせません。しかしその強権を武器で押し返したとしても、それは武器が優位の国家の再生産でしかないように思うのは私だけでしょうか。