台風18号はかなりの風と雨の被害をもたらし、とりあえず太平洋に出た。現在北海道東部に向かっているが、強い風雨が続いているようだ。京都・福井・滋賀の川の氾濫の状況はなかなかすごい。復旧作業など災害対応の業務に携わる人の苦労、経験があるだけに頭が下がる。特に同じ政令指定都市の京都市については仕事がら交流もあっただけに業務の大変さを身近に感ずる。
横浜も朝から強い風雨にさらされた。さいわい私の団地の周囲では被害はなく、停電もなかった。
朝から予定していた墓参りは延期とした。この台風が去るまでは外に出歩くことはできないと、朝から家で溜まった仕事に着手。
まずは明日までに印刷しなくてはならない組合の退職者会のブロックの会報。A4裏表2頁の作成。一昨日、昨日の東京での退職者集会の報告記事を入力し、写真を貼り付けて出来上がり。50数部を印刷し終わったのが13時。
続いて、大学の同窓会の新聞形式の報告書の作成。これはこの連休に集まった原稿二つ分を枠に流し込んで、レイアウトを修正。あと6名分で完成する。
続いて昨日訪れた「浮・透・韻・奏」展の感想の概略を仕上げた。まだ言葉が硬いのでもう少しこなれた言葉に直していかなければいけない。
この時点で17時近くになった。外の天気は風も収まり、雨はとっくにあがっている。湿気も少なくすごしやすい。日も照ってきた。
ということで、葦原の山姥様に指摘された如く、ウォーキング&ジョギングに出発。1キロ速歩、1キロ軽いジョギングを4回繰り返して8キロあまり。私と同じように台風が去るのを待ちかねて走り始めたらしい人とたくさん行き逢った。
還り際に西の空を見ると赤く染まり、爽やかな夕景が広がっていた。富士にすすきの穂と赤い夕陽と空。ちょっと通俗的過ぎるがそれでも美しいことに変わりはない。
しかしやはり私の元の職場の職員は土曜からずっと出ずっぱりだったようだ。私の属した道路・下水道・公園管理の出先職場は市内18区にひとつずつあるが、走っている途中で、この区の車が道路脇に1台止まっていた。18時を過ぎていたから休日出勤の上に時間外まで作業をしているようだ。車を離れて歩いている後姿だけを見かけた。誰かはわからなかったが、それでも車の傍をとおり過ぎるときついこの車に頭を下げた。
災害時出勤して風雨の中、出歩いて何事も無いのが当たり前。小さくとも土砂崩れでもあれば片付く目処が立つまで何時間でも張り付かなければならなくなる。多分管理職から担当職員まで、土曜から本日の警報の解除まで満足に寝た人はまずいないと思う。職員だけではなく、業務を請け負う企業の社員も長時間対応で疲労が重なってくる。
職員は食事もコンビニやスーパーのお弁当ならいいほう。たいていはカップ麺かインスタントラーメン程度。中田市政時代に災害時の所属内での調理が一方的に禁止された。非常米の購入も禁止されご飯を炊くことも、みんなでお金を出し合って買っていた味噌で味噌汁を作ることも許されなくなった。今は復活できたであろうか。
朝の風雨の一番強かったときもごみ収集車がいつものように来てくれた。このような災害時にも決まった時間にキチンと来てくれる安心感というのは、心強い。収集後の簡単な掃除もこの風雨でなかなか大変そうであった。
就職したての頃に、「天候の悪い時は作業に出なくていい」と危険を理由に業務命令を出さない管理職が多かった。そして仕事をしないから現業部門は縮小という悪循環であった。それ対して「キチンと仕事を指示しろ、安全教育を行え、必要な器具を揃えろ」と幾度も管理職や局の総務課に詰め寄ったことが、私の組合活動のはじめでもあった。 そんな活動を続けているうちに、あらたに係長になる若い方が次第に私たちの主張を理解してくれるようになった。彼らは課長・部長になっても仕事の体系や業務の研究に熱心に対応してくれた。組合とは違った観点から現業業務の改善で提起を受ける時もあった。人員の削減はそのような努力とはまったく違って、天の声のように提案されるが、それに対抗するのに大きな力にもなってくれた。そのような方たちとは今でも年賀状のやりとりをさせてもらっている。
さらに付け加えるならば、建設業の業者にも多くの外国籍の社員がいる。作業主任クラス、いまでは代理人クラスでもいる。災害時にも大きな戦力である。彼らがいなければ日本の都市基盤の施設管理も、災害時の復旧もまったくできない時代になっている。政権の中枢を握る人を先頭に、現在偏狭なナショナリズムが声高な時代になってしまった。街頭でヘイトスピーチが問題になっているが、自分の住んでいる地域を下支えしてくれる大きな力に対して無知をさらけ出している。あるいはそれを知っていても、否知っているからこそなのだろうか。常に第一線のつらい、きつい仕事を外国籍の人に押し付けてきたのが日本という国の伝統ならばそれは即刻あらためなければならないと思う。
ジョギングの途中で、同窓会に参加した2人から感想文が届いたことを知らせるメールが来た。夕食後これを枠に流し込んで本日の作業は終了。17名中あと4名分となった。なかなかいい出足である。ありがたい。
さて、明日の朝は眼科に行って緑内障の点眼薬をもらいに行く。またかなりの金額を払わなければならない。午後は月一度の退職者会の幹事会。今月はニュースと諸資料を郵送するための袋詰め作業もある。結構あわただしい。
横浜も朝から強い風雨にさらされた。さいわい私の団地の周囲では被害はなく、停電もなかった。
朝から予定していた墓参りは延期とした。この台風が去るまでは外に出歩くことはできないと、朝から家で溜まった仕事に着手。
まずは明日までに印刷しなくてはならない組合の退職者会のブロックの会報。A4裏表2頁の作成。一昨日、昨日の東京での退職者集会の報告記事を入力し、写真を貼り付けて出来上がり。50数部を印刷し終わったのが13時。
続いて、大学の同窓会の新聞形式の報告書の作成。これはこの連休に集まった原稿二つ分を枠に流し込んで、レイアウトを修正。あと6名分で完成する。
続いて昨日訪れた「浮・透・韻・奏」展の感想の概略を仕上げた。まだ言葉が硬いのでもう少しこなれた言葉に直していかなければいけない。
この時点で17時近くになった。外の天気は風も収まり、雨はとっくにあがっている。湿気も少なくすごしやすい。日も照ってきた。
ということで、葦原の山姥様に指摘された如く、ウォーキング&ジョギングに出発。1キロ速歩、1キロ軽いジョギングを4回繰り返して8キロあまり。私と同じように台風が去るのを待ちかねて走り始めたらしい人とたくさん行き逢った。
還り際に西の空を見ると赤く染まり、爽やかな夕景が広がっていた。富士にすすきの穂と赤い夕陽と空。ちょっと通俗的過ぎるがそれでも美しいことに変わりはない。
しかしやはり私の元の職場の職員は土曜からずっと出ずっぱりだったようだ。私の属した道路・下水道・公園管理の出先職場は市内18区にひとつずつあるが、走っている途中で、この区の車が道路脇に1台止まっていた。18時を過ぎていたから休日出勤の上に時間外まで作業をしているようだ。車を離れて歩いている後姿だけを見かけた。誰かはわからなかったが、それでも車の傍をとおり過ぎるときついこの車に頭を下げた。
災害時出勤して風雨の中、出歩いて何事も無いのが当たり前。小さくとも土砂崩れでもあれば片付く目処が立つまで何時間でも張り付かなければならなくなる。多分管理職から担当職員まで、土曜から本日の警報の解除まで満足に寝た人はまずいないと思う。職員だけではなく、業務を請け負う企業の社員も長時間対応で疲労が重なってくる。
職員は食事もコンビニやスーパーのお弁当ならいいほう。たいていはカップ麺かインスタントラーメン程度。中田市政時代に災害時の所属内での調理が一方的に禁止された。非常米の購入も禁止されご飯を炊くことも、みんなでお金を出し合って買っていた味噌で味噌汁を作ることも許されなくなった。今は復活できたであろうか。
朝の風雨の一番強かったときもごみ収集車がいつものように来てくれた。このような災害時にも決まった時間にキチンと来てくれる安心感というのは、心強い。収集後の簡単な掃除もこの風雨でなかなか大変そうであった。
就職したての頃に、「天候の悪い時は作業に出なくていい」と危険を理由に業務命令を出さない管理職が多かった。そして仕事をしないから現業部門は縮小という悪循環であった。それ対して「キチンと仕事を指示しろ、安全教育を行え、必要な器具を揃えろ」と幾度も管理職や局の総務課に詰め寄ったことが、私の組合活動のはじめでもあった。 そんな活動を続けているうちに、あらたに係長になる若い方が次第に私たちの主張を理解してくれるようになった。彼らは課長・部長になっても仕事の体系や業務の研究に熱心に対応してくれた。組合とは違った観点から現業業務の改善で提起を受ける時もあった。人員の削減はそのような努力とはまったく違って、天の声のように提案されるが、それに対抗するのに大きな力にもなってくれた。そのような方たちとは今でも年賀状のやりとりをさせてもらっている。
さらに付け加えるならば、建設業の業者にも多くの外国籍の社員がいる。作業主任クラス、いまでは代理人クラスでもいる。災害時にも大きな戦力である。彼らがいなければ日本の都市基盤の施設管理も、災害時の復旧もまったくできない時代になっている。政権の中枢を握る人を先頭に、現在偏狭なナショナリズムが声高な時代になってしまった。街頭でヘイトスピーチが問題になっているが、自分の住んでいる地域を下支えしてくれる大きな力に対して無知をさらけ出している。あるいはそれを知っていても、否知っているからこそなのだろうか。常に第一線のつらい、きつい仕事を外国籍の人に押し付けてきたのが日本という国の伝統ならばそれは即刻あらためなければならないと思う。
ジョギングの途中で、同窓会に参加した2人から感想文が届いたことを知らせるメールが来た。夕食後これを枠に流し込んで本日の作業は終了。17名中あと4名分となった。なかなかいい出足である。ありがたい。
さて、明日の朝は眼科に行って緑内障の点眼薬をもらいに行く。またかなりの金額を払わなければならない。午後は月一度の退職者会の幹事会。今月はニュースと諸資料を郵送するための袋詰め作業もある。結構あわただしい。