発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++
日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
フレッド一家と当時の僕。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-616
23)スペインを歩く
日記から-24
9月 2日(月曜日) 快晴
夜、9時にフレッドの家に行く。
ところが、この時間でも彼はまだ帰って来ていないので、僕は少し待つ。彼は10時ぐらいに帰ってくる。
その後から彼と一緒に30km離れたAlcalaの町に行くと言うのである。この町は歩いて通り過ぎた町であるからまた戻って行くカタチである。
その町まではフレッドのオートバイに2人乗りで出かける。彼はスピード狂であるようだ。
夜の道路を100~120kmで走るからである。
夜中にそのスピードで走ると始め僕は通常歩いているから感覚が慣れていないので、怖く感じる。
人間がこの様なスピードでいられるのが異常であると思ったりするのである。
このスピードに慣れるということは人間の感覚が鈍くなったということではないだろうか?などと思うのである。
また、このスピードでは少し間違えたらすぐに死んでしまうのだろうな!などとも思ってしまう。
そんなことを思っている内に、このスピードに慣れて、怖くなくなって来るから不思議である。
ああ!また僕も感覚が鈍くなって来たのだな!
そのAlcalaの町に着き、彼の友人の家を探したり、待ったりして時間を費やした。
やっと友人と会えたのが、夜の11時過ぎである。
そして、飲み屋に入り、少し酒を飲みに行く。これが一回目である。その後、その友人のアパートに行く。
そしてまた、外に飲みに出かける。これが二回目である。
この様に無茶苦茶なことをすると、何だか20歳位の時のことを思い出す。
その後もちろん、ペンションまでオートバイで帰ったのである。
その時は気分が良いのでオートバイのスピードのことなどは頭になかった。こんな事で良いのかな?
あまりにも遊び過ぎ結局、ペンションに着いたのが早朝の4時である。
================================================================================
筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
================================================================================
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます