発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュを歩くまで)-120
5)バングラデシュを歩くまで
日記から-10
2月12日 (日曜日) 晴れのち曇り
今日、歩きを始めるため、朝早く起き、船に乗ろうと7時前から船を待っていた。
昨日はこちらの人は7時に船が出るとはっきり言っていたのに、今日は10時だという人もいる。
それで、食堂に行き、2時間以上時間を潰す。
再び、船着き場へ10時に行ったら、海水が満ちておらず船が動く状態ではないと言うではないか?どうなっているんだ。
この様に途方に呉れている中、バングラデシュ人で世界を旅し、ユネスコで働いているという男に会う。
結局、今日は歩くのは止めになる。
彼は今日、俺にこの Teknaf(テクナフ)の村の案内をしてくれる。
いろいろな所に連れて行ってくれたのだが、印象的なのはこの回教の国で隠れて酒を飲んでいる所である。
そこは仏教信者の集る場所で、酒を飲む前には何か物を焚き、煙で清めるのである。
この国にも裏には裏があるのである。
しかし、この男はいろいろ連れていてくれるが、何だか信じられなく、彼のペースで動くのが嫌で、彼が待たせた時に別行動を取る。
彼には60タカ貸したのだが、どうせ返してくれないと思ったので、惜しいが諦める。損をした。
夜、宿所から村にまた出る。警官の下っ端の人と仲良くなり村を回る。
この警官も泊まっているボーディングハウスの使用人も「日本に連れて行け。」と言うのである。
そんなに簡単なものではないのになと思うのだが、、、、
彼らは俺をこの国の人に説明する時、「彼はエンジニアだ。」と誇っているように話している。
何処で、俺のことを知ったのか?それとも日本人は皆エンジニアなのか?
実際、俺はシビルエンジニア(土木工学科)を学んだ。
今日も一日面白いことばかりであった。
昼のユネスコの男は自分の国の人々を教育がない奴らだと馬鹿にしていた。
本当にそれは実感することがある。それは彼らが話している内容が単純に思えるからだ。
また、隣の国がビルマ(ミヤンマー)その隣がタイであり、という風に地図を書くと彼らは感心している。
それからすると日本という国というととんでもない遠い国であり、想像もつかないのであろう。
それとも、夢でも見ているようで全然頭に入らないのかもしれない。
それにしても、ユネスコの男の様に自分の国の人を卑下して良いのか?
教育はなくても良い人は多くいる。下手に知識があると騙してやろうと悪いことをするのだが。
出費141タカ
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筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
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