本日は1月28日=128番の日付ネタです。
今回ご紹介するキハ52 128は、国鉄時代末期の『首都圏色』化を免れ、
さらにはJR化後も旧塗色を堅持していた事で有名でした。
1995年当時は、木次線の運用に就いていましたが、
その年の夏に山陰を周った時には木次線の撮影は予定しておらず、
始めから見る事は諦めていました。
が・・・!
米子運転所見学の際、偶然にも・・・
真夏の陽射しを浴びて休んでいる姿を撮影する事が出来ました♪
案内をしてくださった所の方も『今日はツイてたねぇ』と
仰っていました^^
乗務員室ドア後部窓の四隅の突起物は、小牛田時代に
急行『いなわしろ』に使用されていた時のタブレット保護柵の
名残りだったように思います。
国鉄時代末期に『首都圏色』化されなかったのも、
急行運用があるためだったのかもしれませんね。
米子運転所の構内を見れば、DD51とDE15群、国鉄特急色のキハ181系、
急行色のキハ58系、首都圏色のキハ40系と、まさに『国鉄時代』!
この128号車が、小牛田から米子に転属して来た事も旧塗色を
維持出来ていた大きな要因だったのでしょう。
昨今のリバイバル塗装とは、どこか一線を画する!
そんな雰囲気を持った128号車でした。
1995年7月31日、米子運転所にて。
今回ご紹介するキハ52 128は、国鉄時代末期の『首都圏色』化を免れ、
さらにはJR化後も旧塗色を堅持していた事で有名でした。
1995年当時は、木次線の運用に就いていましたが、
その年の夏に山陰を周った時には木次線の撮影は予定しておらず、
始めから見る事は諦めていました。
が・・・!
米子運転所見学の際、偶然にも・・・
真夏の陽射しを浴びて休んでいる姿を撮影する事が出来ました♪
案内をしてくださった所の方も『今日はツイてたねぇ』と
仰っていました^^
乗務員室ドア後部窓の四隅の突起物は、小牛田時代に
急行『いなわしろ』に使用されていた時のタブレット保護柵の
名残りだったように思います。
国鉄時代末期に『首都圏色』化されなかったのも、
急行運用があるためだったのかもしれませんね。
米子運転所の構内を見れば、DD51とDE15群、国鉄特急色のキハ181系、
急行色のキハ58系、首都圏色のキハ40系と、まさに『国鉄時代』!
この128号車が、小牛田から米子に転属して来た事も旧塗色を
維持出来ていた大きな要因だったのでしょう。
昨今のリバイバル塗装とは、どこか一線を画する!
そんな雰囲気を持った128号車でした。
1995年7月31日、米子運転所にて。