ショッポーの趣味部屋

鉄道・旅行・散歩・・たまにグルメ?の、のんびりブログです。

飯田線1977年夏。

2017-08-27 19:14:16 | 旧 旧型国電の部屋
今までにも何度か投稿していますが・・・


今から40年前の今日、1977年8月27日。
この日が飯田線初訪問でした。


この時の画像は既に殆どが投稿済みですが、
未掲載の画像を何枚か。


イメージ 1
豊橋駅の飯田線ホーム先端から撮ったと思われる豊橋機関区。
本線を往く165系は普通列車でしょうか。


ここから長い飯田線の旅が始まりました。


イメージ 2
こちらは東栄駅での交換風景。
対向列車の最後尾はクハ47の100番代。


この後、中部天竜機関区にお邪魔してEF10の22号機を撮影♪

再び辰野を目指し、中部天竜を発つ頃には夕暮れ時となり、
駒ヶ根を通過する頃にはすっかり夜も更けて。
イメージ 3
酷い手ブレ写真で恐縮ですが・・・
色的にはとても気に入っているだけに残念。
乗車疲れが出たのでしょうか^^;


この後、辰野で帰りの夜行アルプスを待っている間に
撮ったクモニ83100の写真などは手ブレもMAXでした(惜)


1977年8月27日、飯田線にて。






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踏切の思い出。

2017-08-26 21:45:14 | 旧 構内係の部屋
今回は久しぶりに構内掛として働いていた頃の思い出話を。

当時働いていた操車場からは、3本の専用線が出ており、
それぞれいくつもの踏切がありました。
工場地帯ですので、各工場への出入り口や、大型トラックなどが
バンバンと行き交う片側二車線の大きい道路を横切る踏切など
大小様々です。


中でも、(仮にU線としておきます)は、沿線の石油ターミナルから
積み出されるタンカー列車が主で、列車本数の設定も多く
需要が高まる冬場などは重連牽引となるほどの線です。


そのU線から操車場へ戻る列車は、途中の運河橋を乗り越えて来るため
橋を下り切ると結構なスピードになっています。
何せ油類が満タンのタンカー列車ですから(汗)


自分たち構内掛も機関車に添乗して操車場へと戻るのですが・・・


やがて緩やかなカーブを曲がると場内信号機が見えてきます。
その手前には大きな踏切があります。
厄介な事に、その踏切の直ぐ近くに大きな交差点があり、トラックが
踏切を支障していることが極稀にありました。


幸いな事に、事故になったことはありませんでしたが、そんな理由から、
場内信号と踏切の安全が見えてくるまでは、いつもヒヤヒヤしたものでした^^;


そんなU線とは対照的に、朝夕一本ずつの列車設定しかないC線がありました。
こちらは、沿線に点在する工場への化学薬品を積んだタンク車と、埠頭へと
陸揚げされた穀物類を積んだワム車が主な荷でした。


このC線にも大きな踏切が数ヶ所ありました。


ある冬の日の夕方。
埠頭での入れ替えを終え、工場から数量の空車タキを連ね、操車場へと戻る時に
踏切の遮断桿を壊してしまった大型トラックがいました。
列車は緊急停止し、トラックの運転手さんは平謝りです。
壊してしまった遮断桿を弁償してもらうため、トラックを保線事務所まで
案内する事になり、その案内役を自分がする事に・・・


列車は一足先に操車場へと発車していきました。
トラックの助手席に乗り込み、『さて、それじゃあ行きますか』と言うと、
運転手さんが申し訳なさそうに『埠頭で先に荷下ろしだけさせてもらえませんか?』と
お願いされてしまいました。
たぶん、着荷の到着時刻の約束事でもあったのでしょう。
何も考えずに、『いいですよぉ』と了承。
埠頭の事務所でストーブにあたりながら、運転手さんに買ってもらった
缶コーヒーを飲みつつ、しばらく待ちました。


そんなこんなで埠頭を出る頃には陽もとっぷりと暮れ・・・
無事、保線事務所へと案内し、構内本部へ戻ってみると・・・


帰ってきた自分を見て、みんなが驚いています・・・??
なんか、全体的に騒ついているし・・・


直ぐに助役が飛んできて、『こんなに遅くまで何してたんだ!!』と、怒っています。
どうやら、あまりにも自分の戻りが遅いので、どこかへ連れ去られちゃったのでは??
と、大騒ぎになっていたそうです^^;


当時は、『遮断桿の弁償がしたくないくらいで、どっかへ連れ去るわけないじゃん!』
なぁんて思っていましたが、電話の一本も入れるのが社会人としての常識ですよねぇ(反省)
まぁ、その辺のことは”若気の至り”ということにしておいてください^^;

イメージ 1
こちらの画像は再掲かと思われますが、工場地帯の踏切ということで・・・


1978年7月2日、鶴見線 浅野駅?にて。


長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。




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今宵も巣鴨で。

2017-08-23 22:28:06 | 旧 食べ歩きの部屋
ちょっと遅めの暑気払いということで、
いつものメンツでお好み焼き屋へ。


いつも通りに、ひとしきり盛り上がり・・
恒例となったコージーコーナーへ^^


咋夏と同じく、数量限定の『桃のスイーツ』に目がとまったのですが・・
『桃のパフェ』と『桃のフラッペ』どちらか一品分の桃しかないとのこと・・・


ということで・・・
イメージ 1
桃のパフェが自分のところへ


桃のフラッペを食べ損ねた後輩は・・
イメージ 2
ストロベリーフローズンドーム!
あまりの大きさに三人してビックリ(笑)
付いてきたスプーンが、スイーツを食べるような
小ぶりなものではなく、カレーライスを食べるような
スプーンといえば、お分り頂けるでしょうか(笑)


そして、もう一人は・・
イメージ 3
マンゴーパフェ。


ということで、桃の取り合いがあったものの、
おっさん三人の暑気払いは、いつも通りの甘~い〆となりました^^;






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『チンチン電車の日』

2017-08-22 21:05:54 | 旧 路面電車の部屋
本日、8月22日は『チンチン電車の日』だそうです。


1903年のこの日、東京電車鉄道の路面電車が新橋~品川間で
営業を開始し、東京で初めて路面電車が走ったとか。


ということで、だいぶ端折りますが・・・
その当時の唯一の生き残り?
イメージ 1
元 東京電車鉄道(後の東京市電気局)の1形。
函館市電のササラ電車、排4号です。


イメージ 2
2011年の都営交通100周年にちなみ両国の江戸東京博物館で
催された『特別展』にて、76年ぶりに東京へと里帰りした姿です。

電車は電車で、東京の街並みは街並みで、お互いに
変わり果てた姿に驚いたことでしょうね(笑)




2011年9月8日、江戸東京博物館にて。






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資格。

2017-08-20 16:14:50 | 旧 伊那谷
今朝のTVニュースで、飯田線全通80周年を記念した
『飯田線80周年アルプス号』なる列車が運転された
ことを知りました。


その時は音声のみを聞いていたため、どのような車両で
運転されたのかと調べてみると・・・

いつもと変わらぬ313系?だったようですね。




『アルプス』を名乗るなら・・・
イメージ 1
せめてこれくらいは・・・
と思ってしまう、おっさん鉄でした。




1995年12月13日、飯田線 七久保~伊那本郷間にて。






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