万寿寺の起源は、平安時代後期、白河天皇が六条内裏に建てた六条御堂にさかのぼり、皇女・郁芳門院(媞子内親王)の死を悲しんだ天皇が菩提のために六条御堂を建てたといいます。
かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山のひとつとして栄えましたが、永享6年(1434年)の火災後、衰微。
天正年間(1573年-1592年)には五山第4位の東福寺の北側にあった三聖寺の隣地に移転。
三聖寺は鎌倉時代には禅宗式の大伽藍を持つ有力寺院でしたが次第に衰微し、明治6年(1873年)に万寿寺に合併され、明治19年(1886年)には万寿寺が東福寺の塔頭となりました。
鐘楼(重要文化財)は、室町時代の建築で、上層に鐘を吊り、下層は門を兼ねています。
元は三聖寺の建物で、現在は東福寺の所有となっているそうです。
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かつては天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺とともに京都五山のひとつとして栄えましたが、永享6年(1434年)の火災後、衰微。
天正年間(1573年-1592年)には五山第4位の東福寺の北側にあった三聖寺の隣地に移転。
三聖寺は鎌倉時代には禅宗式の大伽藍を持つ有力寺院でしたが次第に衰微し、明治6年(1873年)に万寿寺に合併され、明治19年(1886年)には万寿寺が東福寺の塔頭となりました。
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