日々史跡めぐり

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青蓮院(5)おみくじの創始者・元三大師

2015-02-19 | 仏閣
宸殿前庭 


宸殿は、小御所の西側に建つ寺内で最も大きな建物で、入母屋造、桟瓦葺き。
明治26年(1893年)の焼失後の復興。

おみくじの創始者・元三大師坐像





良源は、平安時代の天台宗の僧。諡号は慈恵大師(じえだいし)。一般には通称の元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。
慈恵大師・良源には「角(つの)大師」「豆大師」「厄除け大師」など、様々な別称があり、広い信仰を集めている。



角大師-2本の角を持ち、骨と皮とに痩せさらばえた鬼の像を表した絵である。伝説によると、良源が鬼の姿に化して疫病神を追い払った時の像であるという。角大師の像は、魔除けの護符として、比叡山の麓の坂本や京都の民家に貼られた。
豆大師-紙に33体の豆粒のような大師像を表した絵である。慈恵大師(良源)は観音の化身とも言われており、観音はあらゆる衆生を救うために33の姿に化身するという「法華経」の説に基づいて33体の大師像を表したものである。

良源は延喜12年(912年)、近江国浅井郡虎姫(現・滋賀県長浜市)に、地元の豪族・木津(こづ)氏の子として生まれた。幼名は観音丸(日吉丸とも)といった。12歳の時(15歳ともいう)、比叡山に上り、仏門に入った。良源は、最澄(伝教大師)の直系の弟子ではなく、身分も高くはなかったが、南都(奈良)の旧仏教寺院の高僧と法論を行って論破したり、村上天皇の皇后の安産祈願を行うなどして徐々に頭角を現し、康保3年(966年)には天台宗最高の地位である天台座主に上り詰めた。(Wikipediaより)

本堂 の厨子には青蓮院の本尊である熾盛光如来の曼荼羅を安置。
通常は非公開。

本堂の東裏には、国宝青不動画像の複製が安置されています。

不動明王ニ童子像(青不動)

画像(Wikipediaより)


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コメント (2)
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