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東禅寺城 伊勢 150m超の断崖絶壁を利用した城郭は隣接する巨刹 東禅寺との関連があったか

2024-01-09 | 歴史

東禅寺城は三重県いなべ市藤原町東禅寺字神垣内にあります。築城の時期は明らかではないようですが城主は片山平三、斎藤助六が伝わります。片山氏は南北朝の頃、上木村を中心に付近十ヶ村を領したとされ、斎藤氏は東禅寺の坊官を務め東禅寺から石川城に移ったとされます。※石川城は東禅寺の北東800m付近の藤原町石川にありましたが、セメント工場の建設によって消滅しました。今回の参考資料は(1)「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著2008  (2)「三重の中世城館」三重県教育委員会1976  (3)Webサイト いなべ市地理情報「いなっぷる」などです。

東禅寺城 東禅寺は戦火で焼かれ焼亡したが東禅寺城に隣接した遺跡が確認されている
 東禅寺は地名として残るほどの巨刹寺院で、東禅寺城が東禅寺に隣接して築かれたといったほうが良いかもしれません。

東禅寺城 城域と多志田川の高低差は150mを越えるが城郭遺構はシンプル
 東禅寺城は多志田川と東禅寺に挟まれた狭い立地でした。城郭遺構としては小規模なⅠ郭とⅡ郭のみとなっていますが、往時はお菊稲荷とその東側にも曲輪があったかもしれないと想像しましたがどうでしょう。Ⅰ郭北側の堀状地形④には堀切があったかもしれませんが現況は城郭遺構というよりも自然地形のように見えました。

東禅寺城 お菊稲荷の鳥居が立つ 道路右に東禅寺廃寺  奥に水道施設 南東から
 東禅寺城のⅡ郭の東側にはお菊稲荷が祀られ、その参道入口には鳥居が建っていました。

東禅寺城 城域北側の水道施設 北東から
 東禅寺城の城域北側には藤原町東禅寺配水池がありました。路肩にスペースがありましたのでここに車を停めて見学に向いました。

東禅寺城 お菊稲荷 曲輪に造営されたかも 東から
 Ⅱ郭の東側にはお菊稲荷が祀られていました。往時は城郭の一部だった可能性を感じる場所でした。

東禅寺城 お菊稲荷に築かれた東禅寺の経塚を復元した塚と案内板
 巨刹 東禅寺の裏山には経塚も築かれていたようで、それを移転復元した興味深い塚がお菊稲荷に築造され案内板も立っていました。

東禅寺城 お菊稲荷の奥にⅡ郭 東から
 お菊稲荷の平場から一段上がってⅡ郭がありました。写真左側は多志田川まで150m超が切れ落ちている断崖絶壁でした。

東禅寺城 Ⅱ郭西側の土塁① 東から
 Ⅱ郭からⅠ郭への直進を防ぐように土塁①が設けられていました。土塁①とⅠ郭の間は幅広の堀状の地形でした。

東禅寺城 Ⅱ郭の北側の切岸 右奥に水道施設 東から
 東禅寺城の南側は断崖絶壁ですが北側はⅠ郭Ⅱ郭とも切岸が防御の備えでした。

東禅寺城 Ⅰ郭 虎口aと土塁② 南西から
 Ⅰ郭の東隅には土塁②で守られた虎口aがありました。虎口aへの城道は周辺が水道施設の工事等で改変を受けたためか見つけるのが難しかったです。

東禅寺城 Ⅰ郭 北辺土塁 西から
 Ⅰ郭北辺の土塁はコの字型に残っていました。Ⅰ郭の西側は断崖絶壁ですから西側の土塁は必要なさそうですので、単なる削り残しなのかもしれません。

東禅寺城 Ⅰ郭 北西端 北から 右は断崖絶壁 見どころです
 Ⅰ郭の北西隅は削り残しと思われる低土塁地形ですが、ここから多志田川まで高低差150m超の断崖絶壁が見どころでした。恐るおそる覗いてみましたが、大迫力でした。

東禅寺城 東禅寺廃寺 と東禅寺城の案内板  Byいなべ市教育委員会
  東禅寺廃寺跡の東端付近に廃寺跡と城跡の案内板が立っていました。東禅寺の境内はここから300m程奥まで続いていて堂宇が並び建っていたと思われ、当時の寺院勢力の大きさを改めて感じました。

東禅寺城はシンプルな城郭遺構でしたが、東禅寺や武士勢力との関連などの歴史との係わりを探ることで、以外に興味深い見学ができて良かったです。


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