新聞や雑誌で気になる本を見つけた時、先ずは書店へ行く訳
けだが、お目当てのその本が見つからなくても、店員に尋ねたりはしない。あっさり諦めて帰るのだ。読まなければならぬ時、必ずやその本にめぐり逢える。そんな天からの声が聞こえてくる。
東京で暮らしていた時代、何故か大阪のおひと、司馬遼太郎の作品ばかりを読んでいた。
「関ヶ原」での石田三成びいきという共通項があるにせよ、今思うと不思議でならない。
勿論、五木さん、清張、吉川英治、尾崎士郎、西村京太郎なども読破した訳だが。
滋賀へ移ってからは、池波正太郎ひとすじである。「鬼平犯科帳」など何回読み直しただろうか?
ビデオを見れば原作が読みたくなり、小説を読めばドラマが見たくなる。
そしてつくづく悔やまれるのが、何故、もっと浅草や深川辺りを歩かなかったのか、と言うことだ。
鬼平や密偵たちが歩き回る、江戸の町のただずまいが、もっと濃密に肌感覚として感じられる筈である。仕事場も家も、ずっと中央線沿線であったのだ。四谷辺りならば、その空気の匂いはわかるのだが。それもこれも、縁というものなのだろう。
江戸時代の古い資料から、池波さんが鬼平こと旗本、長谷川平蔵を探り出したのは30代の頃だった由。だが、池波さんが述懐するには、その頃はまだ、文章が固くて江戸の世話話を書くには早すぎると、長く温存されていた。信州・真田に材をとった「錯乱」で直木賞を受賞され、池波節が確立し機が熟した頃、あの名作が書き出された訳だ。
テレビドラマでのはまり役を演ずる、中村吉右衛門もまたしかり。話が持ち込まれた時、
考えた末に断ったとか。彼の演技力が熟成されつくした頃にドラマが始まったのだった。
池波さんに出会うためには、私もまた、人生の経験と内なる成長が必要だったのだ。それでなければ、小説の面白さの上っ面だけ
を味わったに過ぎないのである。天はじっと無言のうちに、待っていてくれたのだ。人の世の機微と、底知れぬ面白さに満ちた池波ワールドを味わい尽くすだけの、成熟の時を。
天の声には、一切の無駄はないのである。最適の時に、最適のものや人と出逢うのである。