しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

五百羅漢  其の三

2011-08-26 22:06:19 | Weblog

               ここからの3部、10幅にわたって続く「禽獣」のパートでは
               一信はさほど明確な計画を立てずに描き勧めたのではないか。
               「羅漢動物園」を作るようなつもりで。

 

          

                     第61,62幅  禽獣

           61幅では、羅漢が一角獣と鹿とが合体したような動物の耳掃除をしている。

           62幅では、従者が巨大な亀を指さして羅漢に語りかけている。
           甲羅には星のような模様があり、羅漢は占いの結果を書き留めようとして
           いるのか。    すっかり手なずけられた動物たち。

 

 

            

                  第63,64幅  禽獣

             63幅では、雌雄一対の鳳凰が飛来する、羅漢たちはその様子を
             一斉に見上げる。
             前景の3人だけでなく、遠景の円相が重ねられるほど小さく描かれる
             羅漢までも、クライマックスでも主役以外は素知らぬ顔をしているのに
             ここでは全員一致で喜んでいるようだ。

             64幅でも、同様に鳥が飛来する、でもこちらでは「なんだこれは」と
             巨大な赤い鳥の飛来を恐れているように見える。
             この鳥実は右手前従者の暢気に餌をやっている龍の子を狙って
             いるのである。
             ガラスの器に入れられて過保護の龍、危うし。

 

 

            

                    第69,70幅  禽獣

             69幅  羅漢たちがなんとか手なずけようとしているのは、霊獣・白澤、
             角は5本も生え、目は脇腹にも沢山ある。
             麒麟ビールの「麒麟」のようなものだと思われるとよい。

             70幅では、2匹の獅子がきれいな模様の玉を手にじゃれ合っている。
             それをにこやかに眺める羅漢。  従者の1人は面白がって、獅子を
             ちょいちょいと突いている。

 

 

                  羅漢たちは海に出て行き、竜宮を目指す

 

           

                第73,74幅  龍供 (りゅうぐ) 

            八人の羅漢たちが列をなして、74福に描かれている竜宮の主・竜王の
            出迎えを受ける。
            73幅右下、最後に到着した最も老齢の羅漢は、従者に手を取って
            もらいながら、ようやく竜宮入り口の石畳に登ろうとしている。

            右上には、先に到着した2人の羅漢が、手厚いもてなしを受けているのか
            相好を崩して座る。
            その背景には水墨の龍の衝立、いかにも狩野派的な画題であり、
            一信が自らの出自を示す、密やかな自己主張である。

 

 

            

                   第75,76幅  洗仏等

             75幅、まず目を引かれるのは、胸も露わにぐったりとうなだれ、従者に
             介抱される女性。
             その下では、羅漢が生まれたての赤子を手に持ち、産婆が水を掛けて
             いるから、釈迦の誕生の場面。

             一信は、灌頂盤の上にのる誕生釈迦仏から発想したのだろう。
             それにしても出産直後の母、つまり摩耶夫人をこの様にエロティックな
             姿で描くとは。
             53福の首吊り死体と同様、一信の女性に対する屈折した視線が濃厚に
             反映されている。

             上部には、仏像、光背。蓮台を洗う羅漢たち。
             「洗仏等」という外題の「等」には実は本題の画題から逸脱した一信の
             構想が示されているのである。

             76幅では、舎利、つまり釈迦の遺骨を洗う羅漢たちが描かれている。
             これから分骨しさまざまな宝塔に納めようとする場面。

             しかし遠景にはこの「洗舎利」とは一見無関係な、巨大な鯉の口から
             童子がはき出される場面が描かれる。
             その光景に驚く羅漢たちのモデリングには、弟子・一純の関与が
             想定される。

 

 

            

                    第77,78幅  堂伽藍

             寺院建立のため、大工として労働に従事する羅漢たち。
            
            77幅では、机の上に設計図が広げられ、墨壺、曲尺などもおかれている。
            「羅漢設計事務所」打ち合わせの図である。
            遠景には材木を切り出し鉋で削る羅漢たち。

            78幅では材木を鋸で挽いたり、鑿でほぞを刻んだり、さらに詳細な建築の
            行程が描かれる。
            
            一信は、北斎「富嶽三十六景」、広重「東海道五十三次」などの浮世絵に
            描かれる職人たちの情景に感化されつつ、現実の江戸の町における
            建築現場も、注視していたのだろう。

            この「五百羅漢」の制作途上、安政2年(1855)には安政の大地震が
            江戸を襲った。
            一信が幼児から親しんだろう本所の羅漢寺も大きく被災した。
            現実を見つめる一信の視線が濃厚に反映されているのである。

 

            「羅漢建築事務所」から「羅漢工務店」に発注された寺院の建設は
            黙々として働く大工としての羅漢たちに悪鬼たちも殊勝に協力し、
            建築が進み、骨格が出来上がって行く。

 

 

           

                   第81,82幅  七難 震 (しん)

          第81~90幅まで、これまでの画面構成から一転して、背景はすべて真っ黒に
          塗り込められている。  その陰鬱な画面の中に、人生において見舞われる
          かも知れない、7つの災難、しかし経文を唱えることによって避けることができる
          災難が面々と描かれて行く。
          だがいずれも上部に羅漢を配し、下部に災難に見舞われる人々を描くという
          画面構成は、10幅すべてに共通する凡庸なものであり、ここでもはや一信は
          下絵の制作にすら関与していないのではないかと思われる。

          
          81,82幅とも地震の場面、もちろん安政2年(1855)旧暦10月2日、
          安政の大地震は弟子と共に体験しているから、リアルな記憶が反映
          されているはずだ。

          また円山応挙による「七難七福図巻」に類する丸山四条派の作品を参照した
          可能性もある。

 

 

            

                    第83,84幅  七難   風 (ふう)  

             地震だけではない、安政3年(1856)8月には、台風による大洪水が
             江戸を襲い、甚大な被害を与えた。
             この「七難」の場面はその数年後、被災の記憶を反映して描かれたもの。
             やはり円山四条派から感化された可能性もある。

             83幅左下、海の中で孤立しながら、観音菩薩を一心に拝む女性が
             小さく描かれる。
             観音は二筋の光明を届けるが、その姿はほとんど闇の中にとけ込む
             かのよう。 救済のありようは、この場面では著しく後退している。

             84幅では、沈没寸前の船から、羅漢が乗組員を救済しようとする場面が
             描かれる。  錫杖など羅漢から差し出されたものにすがる人々。
             だが、上方4人の羅漢たちはかたちだけ祈るばかり、これでは助からない。

 

 

            

                   第85,86幅  七難  羅刹 (らせつ)

            「七難」の後半、第85~90では「羅漢ビーム」が全開。  激しい動きが
            ある場面だが、いずれも背景は黒で塗り込められ、全体として画面構成が
            単調になっていることは否めない。
            一信本人が関与する割合はさらに低くなっている。

            85幅では、杵を付く親子に羅刹が襲いかかる、その奥には恐れおののく
            老婆。  親子三代の平穏な生活に、突然降りかかる災難。
            遠景には、捕らえた人たちを棒に括りつけて運ぼうとしている、羅刹を
            懲らしめるビーム。

            86幅では、山中で悪鬼に襲われた人々が描かれる。
            ビームを放つ羅漢が持っているのは、経本、その本をアコーデオンのように
            操って光を放つ羅漢の攻撃はよほど強烈なのか、悪鬼たちはっちまち
            退散しようとしている。

 

 

            

                  第87,88幅  七難  刀杖 (とうじょう)

             いつまで経っても戦争や犯罪を繰り返す愚かな人々。

             87幅では、甲冑に身を固めた兵士たち同士の戦いを描く。
             敗走する兵士に追い打ちをかけようとするもの、その刀の一振りで
             危うく切られそうになるが、すんでのところでビームが届いて、刀は
             バラバラと折れる。

             88幅では、旅する商人たちの一行が、盗賊たちに襲われる場面が
             描かれる。
             びゅーんと腕を伸ばした羅漢の手、その手が持つ宝珠から放たれる
             ビームが、やはり刀をバラバラと折る。 羅漢が腕を伸ばす特徴的な
             図像にも先例はあるが、それをさらに劇的に強調して描かれている。

 

 

           

                 第89,90幅  七難  加鎖 (かき  加に木偏が付く)

         89幅は、罪人たちが裁きを受ける場面。 建物の奥には閻魔大王がいるから
         地獄の入り口の審判なのだが、手前に描かれる刑罰の様子はいかにも生々しく
         江戸時代に実際に行われていた拷問を反映していることは間違いない。

         羅漢は罪人にも、獄卒にも、さらに拷問の道具にもビームを放つ。
         裁く方も、裁かれる方も、もうこんな事はやめなさい、と言わんばかりに。

         90幅は、「鬼平犯科帳」など時代劇でおなじみの押し込み強盗の場面。
         富裕な商家を襲う強盗、屋敷の奥では、当主、妻、娘が冷静に向き合っているが
         手前には凄惨な光景が描かれている。

         羅漢は錫杖で盗賊を小突いたりするが、ビームは一筋のみ。富裕な人々に
         対しては冷淡である。
         ここまでの「七難」の場面、一信は入念な下絵を描いたであろうが、病を発した
         彼に前半分のような筆技を駆使する力は残っていない。  
         ほとんどが弟子・一純が描いているのだろう。

 

 

 

           

                  第91,92幅  四州  南

           「五百羅漢図」全100幅も最終盤。 ここに至って一信の余命もそろそろ
           尽きようとしている。
           最後の10幅で描かれるのは、「四州」すなわち須弥山を中心とする仏教の
           世界観で外周に位置する東西南北の「州」=「島」のありさまである。
       
           残る10の場面を割り振るに際して、一信は南に4幅をあて、残り6幅を
           東、西、北に2幅ずつあて。
           資料に寄れば一信は96幅まで描いたところで没し、残り4幅は10分の1の
           下絵をもとに妻と弟子が補作したとされる。

           91,92幅はインドのアショカ王が即位する場面、ほとんど連続する図様で
           ある。  両幅とも画面下方に描かれる、やまと絵風の松に違和感が
           一信はこんな指示をしてなかったはずだ。

 

 

          

                   第93,94幅  四州  南

          93幅の右中ほどにいるアショカ王が、仏塔を建立する場面。
          94幅には、完成した仏塔、建設途上の仏塔が描かれる。
          それにしても完成したはずの仏塔の描写が、なんとへにょへにょと弱々しい
          ことか。 ここでもはや10分の1の下絵だけを残した一信は、ほとんど本画の
          製作には関与していないのだろう。
          羅漢をはじめとする人物の所作もバラバラで、いかにも散漫な画面となって
          しまっている、残念だ。

 

 

       

               第95,96幅  四州  東

       富裕な人々の暮らしが描かれる。
       95幅では、俵に詰められた品々を従者たちがせっせと運ぶ、。 天井から降りて
       様子を見に来た羅漢に、童子が供物を差し出す。

       そこにはお約束のように富の象徴、つまり戦後日本におけるダイアモンドのような
       アイコンである珊瑚が描かれるが、羅漢はもちろんさっぱり無関心。

       96幅では、絹織物や魚の交易の様子が描かれる。
       この2幅はさしずめバブル期のデパートの光景、羅漢たちはこれも徹底的に無視。
       そんな図様は一信の発想だろうか、弟子たちはもはやそれを描ききる技術も
       気力も持ち合わせていない。

 

 

        

                 第97,98幅  四州  西

        98幅では牛馬が、98幅では、羊が交易される様子が描かれる。
        羅漢たちはもはや現実世界にはなかなか降りてこようとはせず、ほとんどが
        天井に小さく描かれる。
        背景の最上部にはうっすらと朱が施されており、この壮大な叙事詩の終篤を
        予告している。 一信はこの下絵を描いた頃、四州の西、つまり西方浄土へと
        向かう心づもりをすっかりしていたのだと思う。
        また妙安や弟子たちも、ここに至ってはすっかり覚悟を決めていっと思われる。

 

 

          

                 第99,100幅  四州  北

             西方浄土の光景、もはや羅漢たちは、天井から見下ろすだけ。
             この寂しげな結末を、果たして一信自身どれほど見届けることが
             できたのか。

             100幅の落款には「法眼一信書」と記される。
             一信が法眼に叙任されたのは、文久2年(1862)7月10日
             没したのは翌文久3年9月22日である。
             これと同様の落款がおそらく叙任以前の作にも見られるから、
             いずれも彼が自ら記した落款ではない。
             妙安、あるいは一純が筆癖をまねて記したに違いない。

             一信はただひたすら絵を描きたかったのである。
             その絵が150年近くの歳月を経て今甦る。
             草葉の陰の一信が、少しは喜んでくれるだろうか。

 

 

          

               釈迦文殊普賢四天王十代弟子図      (成田山新勝寺)

          安政5年(1858)に完成した成田山新勝寺不動堂に描かれた強大な壁画
          明治33年(1900)に壁画から外され、軸装にあらためられた。
          ここ30年ほど、公開される機会はなく、寺外で展示されるのははじめて。

          増上寺「五百羅漢図」と並行して描かれたものだが、こちらは水墨を基調として
          金泥が加えられるのみで、増上寺本のような彩色は施されていない。
          しかし明らかに増上寺本と共通する鋭い形態感覚、筆技の冴えが見られ、
          一信壮年期の充実した画業を示す壮大な画面である。
              (縦4m、横5mを超える大きさ)

 

          増上寺が所蔵する「五百羅漢図」全百幅がこのためだけに展示されて、
          大きさが130×90と聞いていましたが、実際表具も含めると縦が3m位、
          2幅ずつ展示されていました。

          ほとんど予備知識なく実物をいきなり見て、衝撃を受けたあとでこの図録
          (明治学院大学教授・山下裕二氏)をゆっくり見直しました。

          全幅見たあと頭の中でごちゃごちゃになっていたのをようやく少し整理して
          紹介しましたが、一信が30代後半から約10年の歳月を費やした命がけの
          仕事を見ていただきました。
          見ていただきありがとうございました。

 

 

 


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