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日常生活のあれこれ

広重 「江戸百景」   赤坂・霞ヶ関周辺

2013-04-07 07:22:24 | Weblog

                 江戸東京博物館友の会見学会,今回は「江戸百景」の
                 赤坂・霞ヶ関周辺を歩きました。
                

                  

                      歌川広重 (1797~1858)

                江戸常火消同心安藤家の長男として誕生、父親の職を
                継ぐが、1809年2月に母を、12月に父を亡くす。

                その後浮世絵師を志し、15歳の頃歌川豊広の門下となる。
                入門した翌年に「広重」の号を与えられ、歌川と称することを
                許された。

                広重27歳の時に家業の火消同心を嫡子に譲り、絵師を
                職業にした。
                「東都名所」を機に名所画、風景画を多く描くようになった。

                のちにゴッホやゴーギャン、ロートレックといった西洋の画家
                たちにも大きな影響を与えることとなる。

                

                  

              9人ずつのグループで、リーダーと順次出発したのは、JR四ッ谷駅

              1639年(寛永16)にはここ外堀の内側に四ツ谷門が造られ、
              見付番所が置かれて甲州街道の要衝となりました。
              門は明治5年に撤去され、現在は石垣の一部が残っているのみです。

         

          江戸時代四ツ谷見付橋は江戸の防衛上の理由から甲州街道からかなりずれて
          架けられていました。 明治政府は交通の障害になることから、44年に外堀に
          新しい橋を架けて、街道を直進させる工事に着工、大正2年に完成した。

           現在の橋は、大正時のデザインを残した橋、平成3年に完成したもの。
           橋桁に残る赤いレンガは最初に架けられたときのものだそうです。  

 

                

                        迎賓館前を通り

           

                 紀伊殿邸跡 (赤坂御用地)

            うっそうとした緑の一角は赤坂離宮の森で、かつては徳川御三家のひとつ
            紀伊殿の中屋敷でした。  (8代将軍吉宗、14代家茂を輩出している)    
            屋敷跡は、明治時代は赤坂離宮になり、現在は南は東宮御所のある
            赤坂御用地に、北が迎賓館になっています。  
            この門は迎賓館への門でもあります。

 

                 

                   この門の前の坂は紀伊徳川家にちなんで

                     

                          紀之国坂といいます(紀伊国坂)

 

                    

                       「紀の国坂赤坂溜池遠景」

                この絵の坂の右側に沿って紀州家の中屋敷があった、この屋敷は
                右端に火の見櫓だけでかろうじて示されている。
                この屋敷のある辺りは、昔は茜が茂る赤根山と称し、そこへ登る坂が
                赤坂であった。

                左の樹が茂っているところが山王台地、山王権現が鎮座している。
                口をへの字に結び、いかめしい顔で二列の大名行列が、坂を
                登ってくる(下りているようにも見える)先等に飾り鞘を被せた長い
                槍を持っているが、合計4本の槍を許されたのは徳川御三家のみで
                あった。

                左の水は江戸市民の飲料水源の溜池である、神田、玉川上水が
                整備されるまではこの溜池の水を上水として利用していた。

                

                   

                   紀之国坂から弁慶掘、左森の奥はホテル・ニューオータニ
                   (彦根藩井伊家中屋敷跡)
                   頭上を通るのは首都高速新宿線

           

           その先に弁慶橋、奥のビルはだいぶ低くなった解体中の赤坂プリンスホテル

           小泉八雲の怪談「狢」(むじな)は紀国坂を舞台にしている、夜遅くある商人が、
           紀国坂を上ってゆくと、1人の女が、濠の畔にしゃがんで袖で顔を隠して泣いて
           いる。 商人が声をかけると女は振り返ったが、その顔は、目も鼻も口もない
           ”のっぺらぼう” だった・・・。

           日暮れすぎ、遅くなって1人で通る通行人は、この紀国坂は通らず、遠回りを
           したそうな。明治期の紀国坂あたりは、不思議な物語を生む夜の闇の世界が
           残っていました。  

 

                   

                        「赤坂桐畑雨中夕けい」

             赤坂御門から山王台地の麓を湾曲しながら南へ伸び、虎ノ門へ至る
             ひょうたん形の池があった。
             この池は涌水が自然に溜まった池で、名前も溜池と呼ばれていた。

             のちにこの池の西北の湿地帯が埋め立てられて町屋が出来たり、
             空き地では桐の栽培が行われ、桐畑といった、この絵の前景にその
             桐畑が描かれている。

             溜池の北岸には赤坂御門へ向かう坂道があった。 夕闇と激しく降る
             雨で暗く煙る中、傘をさして往来する人々が描かれている。

             坂を上り詰め、御門を潜って入った左には、紀伊家、井伊家の上屋敷、
             尾張家の中屋敷が続いていた。
             遠景に見える森はこれらの屋敷内にあったものであろう。
                      (2世広重と落款されている作品)

 

                 

                       山王日枝神社大鳥居

                 徳川家康が江戸に入国した時、江戸城内の紅葉山に移設し
                 鎮守としました。秀忠による江戸城改築の際、社寺を江戸城外
                 麹町隼人町に移設し、庶民が参拝できるようにしました。

 

            

             明暦の大火(1657年)により社殿を焼失したため将軍家綱が(1658年)
             松平忠房邸地を社寺にあて現在地に移した。
             この地は江戸城から見て裏鬼門にあたります。

             江戸時代は山王大権現と呼ばれていました、ここの祭礼の山鉾は、江戸
             城に練りいれることを許され、将軍がこれを上覧したので、神田明神と
             ならんで天下祭りと呼ばれた。

 

         

                    日枝神社境内の桜は散り始めていました


             

                  

                         現在の溜池辺り

 

                    

                           「赤坂桐畑」

                 2代広重の「赤坂桐畑雨中夕景」が、山王下より北方赤坂見付
                 方面を描いているのに対して、本図は南東見付下より溜池と
                 山王台を眺めている。

                 真ん中に桐の木を大きく描き、その向こうに溜池の水面が
                 広がっている、対岸に見える建物は日枝神社の一部で、
                 左奥の松は山王の丘、その下の池の畔には民家を描き、
                 遠く桐畑が続いている。

                 承応3年(1654)に玉川上水が完成し、その水が虎ノ門まで
                 伏樋で運ばれるようになるまでは、この溜池が上水の役割を
                 果たしていた。

                              溜池は二代将軍秀忠が、琵琶湖のフナや、淀川の鯉を取り寄せ
                 放したのでフナや鯉の名所となったといわれている。
                 また蓮が多く植えられて、不忍池と並ぶ蓮の花の名所ともなった。

 

                   

                    溜池の内閣府下交差点を左折、議事堂方面に向います

 

                

                       坂を上ると左手に国会議事堂が見えます

 

                  

                   霞ヶ関方面に下る道は左手が外務省、この坂は潮見坂

                                潮見坂、汐見坂名は、皇居東御苑をはじめ多くにみられます。

 

                  

                        次の坂が霞ヶ関坂、広重が描くと

 

                    

                         「霞かせき」

               江戸時代にこの辺りは諸大名の広大な屋敷が立ち並ぶ地域だった。
               ここから海のほうを見ると雲霞のごとく美しかったことからこの名が
               付いたといいます。

               この絵の右側が松平美濃守(福岡藩黒田家)の上屋敷、左側は
               松平安芸守(広島藩浅野家)の上屋敷との間の坂を霞ヶ関坂と言った。

               密集した町家の屋根の上に一際高く突き出た屋根は、築地本願寺、
               広重は門松で飾られたこの坂にさまざまな人を登場させて正月風景を
               仕上げている。

               画面右から年賀の扇を買い取る払扇箱買い、羽子板を持った母娘、
               威儀を正した武士とお共、太神楽一行、漫才の太夫と才蔵、こはだの
               鮨売り。
               広重は子供たちのあげる凧に「魚」の字を書き入れ、「江戸百景」の
               出版元「魚栄」への敬意を表している。

 

                  

                      霞ヶ関坂を下りた桜田通りに「霞ヶ関跡」

                  

            

              桜田通りを左折すると右手の赤レンガの建物は法務省、向かいが警視庁

 

                  

                  晴海通りを渡ると、右手奥が桜田門ですが現在工事中

                万延元年(1860)3月3日、江戸城桜田門外で水戸・薩摩の
                浪士たちが、登城中の大老井伊直弼を襲撃し殺害した事件、
                「桜田門外の変」。    井伊大老の死によって、反幕府の
                尊皇攘夷派と幕府内の開明派の力を強めた。
                以降情勢は江戸幕府封建体制の崩壊へと急展開します。

                

            

                  桜田濠に沿って少し行ったところのが事件現場

 

           

               弁慶掘 (今の桜田濠)

 

                   

                         「外桜田弁慶掘 糀町」

                 事件4年前の描写です。弁慶堀の端から井伊家上屋敷と
                 麹町方面を望んでいます。

                 左の朱塗りの門は、彦根藩井伊家の上屋敷、朱塗り門の後は
                 三宅坂の三河田原藩三宅家上屋敷です。

                 門の右側に3つの釣瓶がかけられている、これが江戸の名水
                 として名高い「桜が井」である、この屋敷にはもうひとつ濠沿いに
                 進んだ柳の見える場所にある「柳の井」という有名な井戸がある。


                 井伊家から桜田門まではわずか400m、今の警視庁前
                 あたりで事件は起きました。    
                 この絵が描かれたとき井伊直弼はまだ大老に就任していません。

                 江戸城の内掘に造られた桜田門の外側に位置する外桜田は
                 江戸城における重要な地区だった。

                 

 

        

                この桜田掘から内掘通りを隔てたあたりに

 

        

              国会前庭園の三権分立時計塔が見えます、その近くが井伊邸跡

 

               

              名水が湧き出たという「桜の井戸」の石組みが歩道脇にあります

 

               

                お濠の斜面に「柳の井戸」枠もひび割れて残っています

                    (芽吹き始めているのは柳の木です)

        

                  この辺りは

 

               

                     三宅坂

                  三宅備前の守邸があったことによる。

                 左道路際、最高裁判所敷地内に渡辺崋山生誕の
                 地の案内板があります。
               

 

        

                濠の突き当たりは半蔵門、広重の絵に残る半蔵門は

 

                 

                      「糀町一丁目山王祭ねり込」 

           遠景に一番目を行く南伝馬町の「猿の山車」が半蔵門あたりにさしかかり、
           絵中右半分だけ描いた二番目を行く大伝馬町の「大太鼓の上に諫鼓(かんこ)
           鳥を乗せた山車」が画中より今にも飛び出さんばかりの迫力で、江戸城
           桜田濠に沿って重々しく進みます。
           天下祭といわれる山王祭の壮大、華麗さを描いています。

           もうひとつの天下祭神田明神祭の時の列は、鳥の山車を先にして、猿の
           山車を後にしています。
           山王祭の山車もこれに準じていたといわれています、しかしこの絵の山車の
           列は猿が先で、鳥が後になっています。

           この理由ははっきりしていませんが、絵師としての広重は、鳥の尾の流麗さを
           構図に取り入れようとして、意識的に鳥と猿の順序を逆にしたようだ とも
           いわれています。

           

            

               江戸城内にねり込んだ祭も明治政府によって禁止されてしまいました

 

                 

                       半蔵門

                門の名は、この門の警備を担当した服部半蔵に由来します。
                服部家の部下である伊賀者の屋敷が門外に与えられていたことと、
                大手門とは正反対の城の裏手に位置し、まっすぐ甲州街道に
                通じていることにより、将軍が非常時に脱出するための門だった
                とも言われています。

                普段は警戒厳重なこの門も山王神社の祭の日には、山車が
                半蔵門を通って城内に入り、将軍の御上覧を受けました。
                この祭が「天下祭」といわれるゆえんです。

                
                太平洋戦争で旧来の門は焼失し、現在の門は、和田倉門の
                高麗門を移築したものです。
                門内は吹き上げ御所であり、天皇家の住居となっています。

                日枝神社大祭は今でも毎年6月15日におこなわれます。

                 四ツ谷見付から出発して、赤坂、溜池、霞ヶ関、桜田門から
                三宅坂を上がり、半蔵門まで4時間近く歩きました。
                広重「江戸百景」を巡る(その8)街歩きは楽しいです。
                 
                  
                      
                              
                  


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