『災害ユートピア』
そもそも、人災と天災を分けて考える必要はないだろう。純粋な自然災害などないのではないか。
日本では、以前にも大津波に襲われた地域に建造物を建てる許可が下りていた。これは人間が下した決断だ。
人災の最たるものである世界大戦後にも束の間のユートピアは出現した。独裁政権下の社会にも共通して見られる。
束の間のユートピアとは言い換えれば、地獄のパラダイスなのだ。
そう考えると、われわれは今、なんと災害の起こりやすい時代にいるのだろうか。貧困問題、過剰な都市開発計画、気候変動など、
われわれを脆弱にする要素は枚挙にいとまがない。
そうしたなか、自分達が誰で、どんな人生を送りたいかを考えることは、今、非常に貴重なことだと思います。
われわれは、心理的な私有地の中に生きていると思いがちだ。人生とはプライベートなもので、愛もロマンスも家族も消費も、休暇までもが
プライベートなものだと感じてしまう。だが、それは本当に私たちが望んでいる世界なのか。
災害の際に見せる姿が本質だとすれば、心の中にある隠している感情を表に出す事を拒む日常は、別のかたちの災害ではないのだろうか。
そもそも、人災と天災を分けて考える必要はないだろう。純粋な自然災害などないのではないか。
日本では、以前にも大津波に襲われた地域に建造物を建てる許可が下りていた。これは人間が下した決断だ。
人災の最たるものである世界大戦後にも束の間のユートピアは出現した。独裁政権下の社会にも共通して見られる。
束の間のユートピアとは言い換えれば、地獄のパラダイスなのだ。
そう考えると、われわれは今、なんと災害の起こりやすい時代にいるのだろうか。貧困問題、過剰な都市開発計画、気候変動など、
われわれを脆弱にする要素は枚挙にいとまがない。
そうしたなか、自分達が誰で、どんな人生を送りたいかを考えることは、今、非常に貴重なことだと思います。
われわれは、心理的な私有地の中に生きていると思いがちだ。人生とはプライベートなもので、愛もロマンスも家族も消費も、休暇までもが
プライベートなものだと感じてしまう。だが、それは本当に私たちが望んでいる世界なのか。
災害の際に見せる姿が本質だとすれば、心の中にある隠している感情を表に出す事を拒む日常は、別のかたちの災害ではないのだろうか。
政府に対して、現場からどんどん提案するシステムを作っていかないと、何をどうすできなのか、把握しきれないと思います。