『過疎地と原発』
もう、37年前の私が二十歳のころ、名古屋にいた時にある老人の方が福島に出来る原発を危ないと言っていましたが、まさかその原発の近くに住むことになるとは というより、原発事故災害が起きるまで、原発の脅威とか危険とか原発の恩恵とかを感じては来なかったので原発に対する知識なども持ち合わせてもおらず、情けない話ですが、放射能の危険もわからずきていましたが、災害が起きてからいろいろと情報が入るようになると複雑な事がわかってきましたね。
最近民報で連載している記事には驚かされます。
かつては原発反対の先頭で活動していた人が町長になるや原発増設の陳情に力を注ぐようになることと、原発推進なのかと思っていた以前の知事が実は慎重だったとかそのことで失脚させられたようだとか、過疎の町を救うには原発しかないと町長になるや考えを変える人と推進したがその後東電や国の対応に不信を抱いて慎重になり原発に依存しない復興策を模索し始めた知事。
反対と賛成が入れ替わるほど原発ってものは複雑なものなんですね。という事を記事をみて感じました。
もう、37年前の私が二十歳のころ、名古屋にいた時にある老人の方が福島に出来る原発を危ないと言っていましたが、まさかその原発の近くに住むことになるとは というより、原発事故災害が起きるまで、原発の脅威とか危険とか原発の恩恵とかを感じては来なかったので原発に対する知識なども持ち合わせてもおらず、情けない話ですが、放射能の危険もわからずきていましたが、災害が起きてからいろいろと情報が入るようになると複雑な事がわかってきましたね。
最近民報で連載している記事には驚かされます。
かつては原発反対の先頭で活動していた人が町長になるや原発増設の陳情に力を注ぐようになることと、原発推進なのかと思っていた以前の知事が実は慎重だったとかそのことで失脚させられたようだとか、過疎の町を救うには原発しかないと町長になるや考えを変える人と推進したがその後東電や国の対応に不信を抱いて慎重になり原発に依存しない復興策を模索し始めた知事。
反対と賛成が入れ替わるほど原発ってものは複雑なものなんですね。という事を記事をみて感じました。