故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.1.112 「初戦敗退」のお話。

2017年01月16日 | 日記

昨年末、撮影した多くの写真を整理していた中で、私の「ブログ」に掲載できなかった写真が数多くあることに気が付いた。今日掲載する「初戦敗退」もそのひとつである。

 

正式な大会の名称は「水戸市長杯 第22回 選抜古希軟式野球大会」で、地元の茨城県を始め千葉県・神奈川県・栃木県・群馬県など関東地区を中心に24チームが参加する大会である。

 

私の所属する≪新潟エージレス野球クラブは、主催者からの招待を受け、この大会に初めて参加することになった。初戦の対戦相手は東京都代表の強豪「朋友古希倶楽部」。

 

試合は相手チームのエース・松村投手(72歳)の剛速球に抑えられ、ヒットは散発の4本のみ。結局、0対2で初戦敗退してしまった。


相手チームの松村投手(72歳)の剛速球に抑えられた。

打席に入っている筆者(背番号11)。







 


No.1.111 「92歳の現役選手」のお話。

2017年01月15日 | 日記

上には上があるものである。私が参加した「水戸市長杯 第22回選抜古希軟式野球大会」のプログラムには、当然のことであるが≪古希≫を過ぎた70歳以上の選手だけが掲載されている。


私の所属している「新潟エージレス野球クラブ」の最年長は昭和8年生まれの83歳。新潟のチームを20年前に作られた選手の1人が茨城県代表の「全水戸」チームに所属している高濱選手である。


大会の選手名簿に記載された高濱選手の生年月日は“昭和”ではなく、なんと“大正”13年10月生まれとなっていた。「92歳の現役選手」である。嬉しいことに試合の前日、雨の中、わざわざ私達の夕食会場へ激励に来てくださった。


挨拶の中で“野球が人生の「生きがい」として楽しんでおられる様子がヒシヒシと伝わってきた。単純計算すると70歳の私にとってあと20数年、野球が楽しめることになる。92歳の現役選手」を見習いたいものである。 

天外有天。去年11月,我参加了水户市长杯第22届古稀软式棒球选拔赛。在参赛选手的名单上,当然登载的都是年过古稀的选手。 

我加入的新潟永葆青春棒球俱乐部中,年龄最大的成员是1933年出生的,今年83岁。20年前新潟队成立时的一名选手叫高滨,他现在是代表茨木县的全水户队的选手。 

参赛选手的名单上记载的他的出生年不是“昭和”而是“大正13年”。他是92岁的现役选手。令人高兴的是,比赛前一天下雨,他却特意来到选手们的晚餐会场鼓励我们。 

他在致辞中说:“享受棒球的乐趣,让我感到人生有意义。”我切身感受到这一点。如果我能活到92岁,我还能享受 22年棒球的乐趣。我要向92岁的现役选手学习。

92歳で現役の高濱選手から激励の言葉を頂戴した。

高濱選手から当チームの優秀選手に記念品が贈呈された。

10年前の大会において82歳で「最高年齢者賞」を受賞した高濱選手。

今年のプログラムの表紙。



No.1.110 「笠間稲荷神社」のお話。

2017年01月14日 | 日記

先日、昨年末に撮影した写真を整理していたら、私の「ブログ」に掲載していなかった写真を見つけた。その一部が茨城県笠間市にある「笠間稲荷神社」へ参拝した時のものであった。


この神社は農牧、水産、養蚕を始めとした殖産興業の神、蘇生(よみがえり)の神、生成発展の神、産霊(むすび)の神、防火の神として霊験あらたかな御神徳があり、全国から多くの人々から崇敬されているという。


私は境内で最初に“手水の作法を学んだ。 (1)まず左手、次に右手の順に手を清める。 (2)次に左手に水を受け、口をすすぐ。(3)最後に口をすすいだ左手を清める。なお、柄杓(ひしゃく)に直接口をつけることは礼に反する作法とのこと。


続いて“参拝の作法を勉強した。(脱帽 2拝 2拍手 1拝 次に“神拝詞を三唱⇒下の写真参照) この作法に従って必勝祈願をし「水戸市長杯 第22回選抜古希軟式野球大会」に臨んだ。初戦の試合結果は明後日にお伝えしたい。



No.1.109 「招き猫」のお話。

2017年01月13日 | 日記

顧客や財宝を招くといわれている「招き猫」が新潟市中央区西堀にある地下商店街の“西堀ローサ”の広場に飾られていた。この白い「招き猫」は高さが2mほどもあり、それも2匹飾られていた。


道行く人々が足を止め、≪千万両≫という小判を胸にぶら下げた大きな「招き猫」を眺めていた。“西堀ローサ”は長さが約330mあり、若者向けの洋服店、靴屋のほか薬局、パン屋、レコード店など40以上の店舗が連なっている。


例年、新潟の冬は北風が吹き、雪が降る。足元が悪くなるが、この地下商店街は天候に左右されることもない。冬でも暖かく、快適に地下街を歩くことができるため、ジョギングやウォーキングを楽しむ人の姿も見られる。


毎年、撤退する店舗が出ている“西堀ローサ”であるが「招き猫」の効果で、再度、多くの買い物客が押し寄せてくれることを期待したい。





No.1.108 「一斉放水」のお話。

2017年01月12日 | 日記

「消防出初式」のパレードを見た後、私は2人の孫を連れて日本一長い信濃川に架かる「萬代橋」へと移動した。「萬代橋」と下流に架かる「柳都大橋」の間の両岸には、既に数十台もの消防車が整列していた。


これだけ多くの消防車を一度に見ることは、なかなかできない。しばらくすると、信濃川の中央付近に一艘の「消防艇」が現れた。午前10時20分の定刻にその「消防艇」から放水開始の花火が打ち上げられた。


この花火の音を合図に両岸に待機していた消防車からサイレンがなり響き、豪快な「一斉放水」が開始された。「萬代橋」の歩道上に集まっていた多くの見物人から大きな歓声が上がった。


偶然、今年も国会議員の石崎徹先生に橋の上でお会いすることができ、孫と一緒に記念写真に納まった。


 

 

 


No.1.107 「消防出初式」のお話。

2017年01月11日 | 日記

新潟県糸魚川市の大火の後、我が家の近くでも火事があり1人が亡くなった。先日、防火意識を高めるため、新潟市中央区古町7番町で「新潟市消防出初式」のパレードがあるというので、私は2人の孫と一緒に見に行くことになった。


新潟市消防音楽隊の演奏する曲に合わせ、消防職員と消防団員が隊列を作って行進を開始した。孫に行進して来る「消防車」や「救急車」の台数を数えさせたら、60台を超えていた。


石油火災で活躍する「大型化学消防車」やトンネル火災に威力を発揮する「特殊災害対応車」、50mの高さまで到達できる「ハシゴ車」、地域の消防団に配置されている「小型ポンプ車」など様々な消防車が目の前を通り過ぎて行った。


それぞれ機能に合わせて消防車の大きさや型が少しずつ違っていた。なかなか勇壮な「消防出初式」であった。



No.1.106 「大気汚染」のお話。

2017年01月10日 | 日記

先日、久しぶりに中国黒龍江省ハルビン市在住の友人・田龍さんから私宛に1通のメールが届いた。そこには田さんが元旦にハルビン空港近くのガソリンスタンドを撮影した写真が添付されていた。

 

田さんの説明によると、最近のハルビン市内の大気汚染はかなり深刻なものとなっており、この影響でハルビン空港も麻痺状態になっているという。私が黒龍江大学に勤務していた頃も暖房用として当大学を始め、街全体が≪石炭を燃やしていた。


これに自動車の≪排気ガスも加わり、大気汚染に悩まされていた。親しい中国人から「長生きするには、ここにいてはダメですよ!!」と言われたことを私は思い出した。


逆に新潟空港に降りた中国人観光客が、遠くにある雪をかぶった越後の山々を見て「新潟は空気がきれいですね。」と驚きの声を上げた。新潟のおいしい空気に感謝しなければならない。


ハルビン空港近くのガソリンスタンドの写真。(撮影者 : 田龍さん)

 

数日前、私が撮影した新潟市内の写真。遠くに見える雪をかぶった越後の山々。

ズームで写真を撮ると、日本海や佐渡島も見える。

  


No.1.105 「書初め」のお話。

2017年01月09日 | 日記

先日、我が家から徒歩で10分程度のところにある新潟市中央区古町7番町のオーバーアーケードの下で“平成29年の夢「第14回 新年書初め」”というイベントが開催された。


残念ながら私が会場に到着した時は、既にイベントが終了していた。そこには小学生や中学生が幅が約2m・長さ約200mもある長細い紙の上で大きな筆を使い、丁寧に書き上げた作品だけが路上に展示されていた。


作品中、1文字では「新」「愛」「夢」「金」、4文字では「初志貫徹」「全力投球」「日々努力」「文武両道」「心機一転」、更に長い文字数では「新たな気持ちで 一から頑張る」「人生笑顔で感謝」などが目に止まった。


また、今年の具体的な目標を掲げた「本を二百冊読む」「走幅跳4m80㎝」という頼もしい作品も見られた。


 






 

 


No.1.104 「我が家の新年会」のお話。

2017年01月08日 | 日記

毎年恒例となっている「我が家の新年会」が開催された。以前は拙宅で行っていたが、兄弟姉妹や孫などを含めると約30人の「新年会」とあって、狭い我が家では対応できなくなった。

 

昨年に引き続き、今年も「ホンマ健康ランド」が会場となった。大浴場やサウナでタップリと汗を流してから、宴会場を借り切って開催された。遠くは茨城県、埼玉県、長野県などから新幹線や自家用車で親戚が集まってくれた。


酒に酔う前に全員で記念写真を撮り、95歳の母から新年の挨拶をもらった。ビールやジュースで乾杯し、お互いの健康や家族の近況などで話が盛り上がった。「カラオケ大会」では大人から子供までステージに上がり、歌や踊りを披露した。


おいしい食事と地酒を楽しみながら、約3時間にわたる「新年会」で懇親を深め、次回での再会を誓い合ってお開きとなった。皆さん、たいへんお疲れ様でした。




No.1.103 「初詣で」のお話。

2017年01月07日 | 日記

先日、我が家の神棚にあった「しめ縄」と「御札」を持参し、近くの「白山神社」へ向かった。この日は雪もなく青空がのぞく穏やかな日和となり、参道には大勢の参拝客が押し寄せていた。

 

私は混雑を避けるため、参道を避け、直接「浄火場(お焚き上げ場)」へと足を運んだ。そこには私と同じように「しめ縄」などを持った多くの人々が列を作っていた。神社の係員が私達の持参品などを入念にチェックし、火の中に投げ入れていた。

 

その後、混雑している参道に戻り、参拝者の後をユックリと進んだ。私は「拝殿」に向かい「家内安全」と「健康」を祈願した。お守りの販売所で「札」と「破魔矢」を購入し、人混みを後にした。

 

皆さんにとって今年1年が素晴らしい年となりますように……。


参拝客で大混雑の「拝殿」前。






No.1.102 「日本庭園」のお話。

2017年01月06日 | 日記

イギリス庭園を鑑賞した後、私は日本庭園(Japanese traditional garden)へと向かった。途中に「母と子の森」があり、ここの紅葉が素晴らしかった。日本庭園に辿り着くと、湖畔に「ススキ」が生えている池が見えてきた。

 

池に架かった木の橋を渡り、その上から悠然と泳いでいる大きな鯉を鑑賞した。ここでは落ち着いた時間が流れていた。また、美しい紅葉を題材に絵を描いている人々の姿も見られた。

 

最後に「旧御涼亭」の中に入り、窓から見える芸術的ともいえる美しい紅葉を眺めた。ここでも多くの観光客が「綺麗!!」「すごい!!」などと言いながらカメラのシャッターを盛んに押していた。

 

明治時代を代表する近代西洋庭園と言われているだけあって、なかなか見応えのある日本庭園であった。 


「旧御涼亭」の窓から見える芸術的ともいえる美しい紅葉。

美しい紅葉を題材に絵を描いている人々の姿も見られた。

日本庭園に辿り着くと、湖畔に「ススキ」が生えていた。


No.1.101 「イギリス風景式庭園」のお話。

2017年01月05日 | 日記

フランス庭園を鑑賞した後、私は隣接しているイギリス風景式庭園(English landscape garden)を訪れた。この庭園は広大な芝生の広場と大きな樹木が特徴。特に小さな子供を連れた親子連れの姿が目に留まった。

 

広い芝生の上で横になって休憩したり、昼食を楽しんでいる姿を拝見することができた。この周辺はすぐ目の前が大都会「新宿」という東京都の中心部のひとつであることを忘れてしまいそうな、のどかな雰囲気を漂わせていた。

 

芝生広場の脇の小道には、季節外れの「桜」の花が咲いていた。説明看板には「ジュウガツザクラ(十月桜)」と書かれており、春とこの時期に花を咲かせることが分かった。


更に「コブクザクラ(子福桜)」という秋から冬の時季だけ咲く桜の花も鑑賞することができた。


説明看板には「ジュウガツザクラ(十月桜)」と書かれていた。

「コブクザクラ(子福桜)」という秋から冬の時季だけ咲く桜。


 


No.1.100 「フランス式整形庭園」のお話。

2017年01月04日 | 日記

“プラタナスの並木に挟まれた中央の広い庭にはバラの花壇があり、秋のバラが咲いていた。この周辺一帯が「フランス式整形庭園(French formal garden)」と呼ばれている。

 

手入れの行き届いたバラの木の前には「フェアプレイ」「オリンピックファイヤー」「ストロベリーアイス」「トランぺッター」など、面白い名前の書かれた表示板が建てられていた。


これらの花の名前は誰がいつ、どんな基準で付けたのだろうか? また庭園内でバラの“品評会でも開催したのか、優秀なバラには「殿堂入り」というシールが表示板の上に張られていた。


ここでも多くのアマチュア写真家がバラの花にカメラを近づけ「接写」を楽しんでいた。


花の名前は誰がいつ、どんな基準で付けたのだろうか? 




 


No.1.099 「新宿御苑」のお話。

2017年01月03日 | 日記

≪新宿御苑は広さが58.3ha(18万坪)、周囲が3.5kmもあり、フランス式整形庭園・イギリス風景式庭園それに日本庭園の三つが楽しめる広大な公園である。

 

私はJR千駄ヶ谷駅に降り、徒歩5分ほどで到着する≪新宿御苑の「千駄ヶ谷門」から入場した。最初にフランス式整形庭園へ向かった。枝ぶりのいい「モミジ」が見頃を迎えていた。


この庭園では“プラタナスの並木が有名で、多くの観光客が訪れていた。プラタナスの大きな葉は殆どが落葉し、地面が茶色の絨毯のようになっていた。


ここのベンチに腰を下ろし、ユックリと雰囲気を楽しむことにした。大きなカメラを持った多くの写真家が“プラタナスの並木をバックにして、盛んにカメラのシャッターを押していた。


プラタナスの葉は殆どが落葉し、地面が茶色の絨毯のようになっていた。





 


No.1.098 「六義園」のお話。

2017年01月02日 | 日記

昨年の話で恐縮であるが、私にとっては久しぶりの「六義園」であった。JR山手線の「駒込駅」で下車し、徒歩5分ほどで1953年(昭和28年)に国の特別名勝に指定された大名庭園の「六義園」に到着した。


紅葉の時期と重なり、入口には30mほどの長い行列ができていた。私は「ここが最後尾」という看板を持った人の前で並ぶことになった。入場料は一般300円、65歳以上150円。私は年齢を示す証明書類を提示することなく窓口で150円を出してみた。


係員は私の顔を見て何も言わず150円の「入場券」を交付してくれた。年齢より若いと思っている私であったが、150円で入園できた嬉しさより、私の顔を一目見て≪65歳以上と判断された(?!!)ことに少しショックを受けた。


入口付近で無料の観光ボランティアガイドさんの説明をお聞きしながら、園内を散策することにした。特に太陽の光を受けた紅葉は実に素晴らしかった。