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シャトルジャム2009年5月合宿IN伊豆

2009年05月14日 | travel
Iさん企画による伊豆・伊東での2009年5月シャトルジャム合宿に参加してき
ました。幹事のIさん有難うございます。、参加された皆さんお疲れ様でした。土
曜日に出勤となってしまったわたくしは、日曜日からの飛び込み参加となってしま
いましたが、当地で気持ちをリフレッシュすることが出来た旅路となりました。
日曜日だけとなりましたのでバド合宿不参加、従いまして伊豆旅路をお送り致しま
す。


↑千葉市都賀出立前

土曜日22時前後の千葉市都賀出立となりました。当初はもう少し早く出ようとし
ていたのですが、某局での亀戸紹介番組を見ていたら遅くなってしまいました。今
度はこの街を巡ってみたいですね。亀戸餃子ぐらいしか知りませんでしたので。

参加された皆さんが宿泊されている『ルネッサ赤沢』(静岡県伊東市赤沢)最寄の
道の駅・伊東マリンタウン(静岡県伊東市湯川)が今回の車中泊地です。下調べで、
伊東マリンタウンまでは、東名厚木IC経由・小田原厚木道路小田原西ICより9
0分の計3時間程ということでしたので、現地25時過ぎ到着を予定していたので
すが。。

首都高速道路・駒沢IC付近他での工事により、湾岸道路・芝浦JCT辺りよりの
断続渋滞。渋谷から三軒茶屋を抜けるのに40分程も費やす羽目に。。伊東マリン
タウンには予定より1時間遅れての到着となりました。もう草木も眠る丑三つ時で
す。


↑道の駅・伊東マリンタウン


↑道の駅・伊東マリンタウン

道の駅・伊東マリンタウン


日曜日9時に『ルネッサ赤沢』集合すべく道の駅を後に。
まだ多少時間に余裕がありましたのでルネッサ赤沢近くのこちらへと伺いました。


『河津三郎の血塚』


曽我物語の史跡となります。ルネッサ赤沢のHPに歌舞伎で演じられてもいる三大
仇討ちのひとつとして記載されているのに気がついての訪問となりました。歌舞伎
も未経験ですし、赤穂浪士で有名な忠臣蔵。鍵屋の辻の仇討ちでの荒木又右衛門、
ぐらいしか知らなかったのですが。。

ルネッサ赤沢から徒歩圏内のところにあります。


↑河津三郎の血塚・入口


↑河津三郎の血塚・通路


↑河津三郎の血塚・標識

河津三郎祐泰(すけやす)の血塚
1176年10月配流の身の源頼朝を慰めるためにと、恩義ある伊豆・駿河・相模
の武士たちが奥野で巻狩りをもようした。その帰り道、河津三郎祐泰が所領問題で
恨みを抱く工藤祐経(すけつね)の指図により工藤方の従者に射殺される。祐泰は
伊東祐親(すけちか)の長男であり、曽我十郎、五郎の父にあたる。
世に知られる曽我兄弟仇討ちの発端となった出来事。

と表示されています。曽我兄弟の父にあたる方のお墓ということなんですね。なる
ほど。


↑河津三郎の血塚・塚


↑河津三郎の血塚・伊豆東浦路の古道の標識


↑河津三郎の血塚・伊豆東浦路の古道

この道は江戸時代以来昭和8年まで伊豆東海岸筋をとおる一番大切な道路でした。
いわゆる鎌倉古道であったと思われる。中略。下田奉行や浦賀奉行一行が行列を作
っては何度も行き来した。

というような事が書かれています。ということは東インド総督であったペリーの浦
賀沖来航時には、この古道を通って江戸から浦賀に通った人々が多かったのかもし
れませんよね。その中には坂本竜馬など幕末の時代をリードした方々もいたのかも
しれません。


↑河津三郎の血塚・塚


『ルネッサ赤沢』


↑ルネッサ赤沢・フロント外観

こちらは貸し別荘になっていて木々に囲まれた中に建物が点在しています。宿泊し
そこなりましたので、宿泊地の写真についてはシャトルジャム専属カメラマンさん
にお任せいたします(笑)


『城ヶ崎海岸』


↑城ヶ崎海岸・ピクニックコース入り口


↑城ヶ崎海岸・海岸


↑城ヶ崎海岸・海岸


↑城ヶ崎海岸・海岸


↑城ヶ崎海岸・海岸


↑城ヶ崎海岸・海岸


↑城ヶ崎海岸・門脇吊橋


↑城ヶ崎海岸・門脇吊橋標識


↑城ヶ崎海岸・門脇吊橋と門脇灯台


↑城ヶ崎海岸・門脇吊橋側より

城ヶ崎海岸ピクニックコース入り口から800m程、20分ぐらいだったでしょう
か。陽気も手伝い汗だくになりましたが、海岸沿いの景色、吊橋を堪能することが
出来ました。吊橋を渡ったのは初めての経験だったかもしれません。


皆さんは、どんな伊豆でしたか?


続く。



gaku

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