漢字を学び心を育む

2回目のチャレンジで漢検1級に合格。
現在、ペン習字に傾倒。
硬筆書写検定1級が欲しいです

湯桶読み? :琴似神社

2012-04-28 10:15:09 | ◇1級:読み(音読み)
  


 
毎朝かかさず願懸けに詣でている琴似神社。

この神社の敷地内に「琴似屯田兵屋」があるみたいなので、ある朝ここの禰宜に聞いてみた。


わたし:「琴似屯田兵屋」はどこにあるのでしょう。

 禰宜:あぁ、あの建物の左脇の小径を行けば突き当たります。

わたし:「フツザ」の左脇ですか。

 禰宜:んn? あぁ、「はらいざ」のことですね。そうです、そうです。
       あそこは車をお祓いするところです。





なるほど、ちゃんと車を置くスペースがあります。
祓座 の ”読み方” については、本職の方がそう仰っているのですから異論をはさむ余地はないでしょう。
この「祓座」という熟語、いろんな辞書(神職とか)とネットを駆使し調べたのですが全くヒットしない。
どうやら一般的な用語ではないみたいです。
漢検ではまず出題されることはないでしょう。


祓座脇の小径を行けば・・・



琴似屯田兵屋が。



そして、これが本殿。



ぱんぱん!

どうぞご利益がありますよう。。


してはいけない:食事作法篇

2012-04-19 13:00:26 | ◇1級:読み(音読み)

    摶飯 で昼を済ます。








セン、タン
まる(い)、まる(める)、もっぱ(ら)



【解字】形声。扌(手)+專。音符の專(セン)は、糸を糸巻きにまきつけるの意味。手を付し、まるめるの意味を表す。

  1. まるめる。また、まるい。
  2. むすぶ。かたまる。
  3. あつまる。
  4. うつ。
  5. もっぱら。
  6. ほしいままにする。





たんぱん(飯をまるめる⇒握り飯)




白川先生の字統によると、


声符は專セン(専)。専に團タン(団)の声がある。専は橐フクロの中にものを入れ、これを外から撃ちたたいて砕き、団めることをいう字である。
【摶飯】飯をまるめる。[礼記、典礼上]飯を共にするときは、手を澤タクする(こする)毌ナカれ、飯を摶マルめること毌れ、放飯すること毌れ、流歠リュウセツすること毌れ。



どうやら出典は、行儀作法に関することが書いてある「礼記ライキ」から。
「摶飯」は、人前ではお行儀悪い作法でやってはいけない事のようです。
では、握り飯は人の目の触れるところでは握っていなかったのか(笑)。
まあ当然、茶碗に盛ったご飯を箸(手)でまるめることの意味であろうが。
当時の中国に”にぎりめし”があったかどうかはしらん。


その他にも、


タン

 摶沙 タンサ
 砂をまるめて団子にすること。少しも団結力ないたとえ。

 摶埴 タンショク
 陶器作り。

 摶治 タンチ
 瓦作り。

 摶摶 タンタン
 うち堅めたもの。

 摶謎 タンメイ
 なぞかけ。

 摶食 タンジキ
 指でまるめて食べる。仏者の法。

 摶力 タンリョク
 ???力をあつめる???


セン

 摶一 センイツ
 もっぱら。一事にはげみ他をかえりみないこと。

 摶心 センシン
 心をもっぱらにする。一意摶(専)心。





 摶沙の譬喩は個人的には好き。





 によく似た字で  がある。

小さいフォントだとほとんど見分けつきません。

そう、 と  のように・・・・。













摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶搏摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶摶

崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇祟崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇崇


ウォーリーを・・・・。。


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話、戻します。



ハク 音符の甫+寸(フ)=(ハク)は、斧に通じ、おのやつちで「うつ」の意味。手を付し、うつの意味を表す。

同じく一級配当。
四字熟語で「竜攘虎搏」は、よく出題されているようです。



そういえば、常用の さんもそっくりさんなんですねえ~。(←しつこいっ!)





人を愛するということ

2012-04-15 16:50:50 | ◇1級:文章
北海道ニセコ町有島記念館

 
 愛と憎みとは、相反馳する心的作用の両極を意味するものではない。憎みとは人間の愛の変じた一つの形式である。愛の反対は憎みではない。愛の反対は愛しないことだ。だから、愛しない場合にのみ、私は何ものをも個性の中に奪い取ることが出来ないのだ。憎む場合にも私は奪い取る。それは私が憎んだところの外界と、そして私がそれに対してったおくりものとである。愛する場合に於ては、例えば私が飢えた人を愛して、これに一飯をったとすれば、その愛された人と一飯とは共に還って来て私自身の骨肉となるだろう。憎しみの場合に於ても、例えば私が私を陥れたものを憎んで、これにばりを加えたとすれば、憎まれた人も、その醜い私のばりも共に還って来て私のに巣喰うのだ。

惜みなく愛は奪ふ/有島武郎




   
有島 武郎
(ありしま たけお 1878年3月4日 - 1923年6月9日(満45歳没))

 小説家 東京小石川出身。大蔵官僚の有島武の長男。学習院中等科卒業後、農学者を志して札幌農学校に進学、キリスト教の洗礼を受ける。1903年渡米。ハバフォード大学院、その後、ハーバード大学で歴史・経済学を学ぶ。ハーバード大学は1年足らずで退学する。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らとともに同人「白樺」に参加。1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中した。


代表作

『カインの末裔』(1917年)
『惜みなく愛は奪ふ』(1917年、評論)
『生れ出づる悩み』(1918年)
『小さき者へ』(1918年)
『或る女』(1919年)



 相反馳  あいはんち
 擲     なげう
 遣     や
 ばり    罵詈
 衷     うち



有島記念館の建つニセコ町は、わたしの生まれ育った故郷の隣町。
国道5号線沿いにある「有島」という地名は高校生の時から知っていた。
同級生がそこに住んでいて足繁く通ったから。
小説は読んだことはなかったが、有島武郎の名だけはその頃から知っていた。
でも、地名の「有島」が小説家の「有島武郎」と繋がったのは大人になってから。
有島記念館
http://www.town.niseko.lg.jp/goannai/arishima.html
有島記念館の建つニセコの地は、有島の出世作「カインの末裔」の舞台ともなった所です。また、父から引き継いだ広大なニセコの農場を、土地共有という形で小作人に無償で解放し、当時の社会に大きな反響を呼んだことでも知られています。



 
 愛は惜しみなく奪う

 「愛は惜しみなく与う」(トルストイ)をもとにした言葉。人を愛するということは、相手のすべてを奪って自己のものにしようとすることである。有島武郎が評論「惜みなく愛は奪ふ」で主張。 <コトバンク>より


慧眼である。

有島のこの有名な一文を読んでいるととても他人事とは思えない。
愛は相手を独占すること。相手を自分色に染めること。
相手を憎んで別れるのが、一番ベストな別れだと思っていたがとんでもない間違いだった。
愛するという感情がないと、”憎しみ”なんて湧いてきやしない。
実際、心が離れた相手と別れるときには何も感情が湧いてこなかった。

クリスチャンとして洗礼を受けた身での人妻との無理心中。
不倫と自害(縊死)。
かなり罪深いことだったのだろうと察する。


ちなみに同じクリスチャンである三浦綾子は、人を愛することについてこう語っている。


 ”ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても生きていけるようにしてあげることだ。”




からだのことば

2012-04-13 18:56:41 | ◇1級:書き(書き取り)
 
 たたかわない 仲良くつきあい かんかい をめざす。





かんかい
寛解

くつろぐこと。
[医] 病気そのものは完全に治癒していないが、症状が一時的あるいは永続的に軽減または消失すること。特に白血病などの場合に用いる。緩解。






常用漢字とは意外だったと思います。

医学用語は難解です。
医者と患者しか聞いたことがないような言葉がたくさんあります。
もしかしたら、わざと難解にしているのかもしれない。(理由は言わない)


他にも一級に出てくる漢字で、

 結紮 けっさつ
 血管を縛って結ぶ

 褥瘡 じょくそう
 床擦れ

 苔癬 たいせん
 皮膚の丘疹

 腓骨 ひこつ
 脛骨とともに下腿骨を成す細長い骨

 厥逆 けつぎゃく
 のぼせ

 瘴癘 しょうれい
 伝染病の熱病


などがある。




以前にも書きましたが、新常用漢字に追加された196字のうち、医学に関する漢字を再掲します。


■医学系

 
 
 頭
 咽喉
 死
 
 
 
 
 
 
 
 
 脊椎
 
 前立
 潰瘍
 腫瘍
 脳梗塞
 血
 
 
 脱
 
 捻挫
 食
 覚
 処方
 
 
 
 
 
 




あらためて見ると「読み」については問題ないでしょう。
そして文科省が指標としている「パソコンで正しく変換できる」もそんなにも難しくはない。
でも、「書く」となるとそうとう厄介だ。

日本は、特に明治以降「読み書き」を主要科目として義務教育により国民全体のレベルアップに成功した。
「読み」ことにより読解力をつけ、それを「書く」ことによって”体”に浸み込ませたのだと思う。
「読み書き」をセットで勉強することにより”とにかく”成果をあげた。

何度も言うが、義務教育(含高等教育)が「読み書き」から「読み打つ」では本当の力にはならないと思う。



わたしは感覚だけで生きてきた人間。
リクツじゃない。
だって、今まで成果をあげてきたのに方針を変えることはないはず。


やっぱりうまく言えない。