自分の一日を考えてみると、ずいぶん時間の無駄、ロスが多いことに気づく。
第一がテレビ・・・テレビを見ながらの集中力に欠ける日常。
明らかに違反行為である。散漫かつ自堕落、並べて凹凸のない判で押したようなゆるい生活パターンである。
「テレビは見ませんし、ありません」と、そう言った若者に最近出会った。清々しい思いで彼を見たけれど、そこまで断捨離できない。
羨望の念はある、そうしたい気持もどこかに疼いている。人生の残り時間を考えたら、テレビという他人思考に時間を割いていては惜しい。
紙から映像の時代へ移行している現代、テレビ抜きの生活は難しい。
かつて仕事や何かに追われていた時期があり、テレビはほとんど見なかった。「風と共に去りぬ」をテレビで放映されたときにも残念だけどと振り切って仕事に専念した。なぜか・・・仕事=現金収入=責任はテレビを問題にしなかった。
現今の暇な状況がテレビを許容しているのかもしれない。
せめてもう少し、皆無とまでいかなくても、テレビを見る時間を減らすべきだと(おばあさん)であるわたしは自身に提案する。
テレビに蝕まれ、骨の髄までテレビ化するのは避けたい。呆けたように背を丸くしてテレビに見入るわたしは空しい。
第一がテレビ・・・テレビを見ながらの集中力に欠ける日常。
明らかに違反行為である。散漫かつ自堕落、並べて凹凸のない判で押したようなゆるい生活パターンである。
「テレビは見ませんし、ありません」と、そう言った若者に最近出会った。清々しい思いで彼を見たけれど、そこまで断捨離できない。
羨望の念はある、そうしたい気持もどこかに疼いている。人生の残り時間を考えたら、テレビという他人思考に時間を割いていては惜しい。
紙から映像の時代へ移行している現代、テレビ抜きの生活は難しい。
かつて仕事や何かに追われていた時期があり、テレビはほとんど見なかった。「風と共に去りぬ」をテレビで放映されたときにも残念だけどと振り切って仕事に専念した。なぜか・・・仕事=現金収入=責任はテレビを問題にしなかった。
現今の暇な状況がテレビを許容しているのかもしれない。
せめてもう少し、皆無とまでいかなくても、テレビを見る時間を減らすべきだと(おばあさん)であるわたしは自身に提案する。
テレビに蝕まれ、骨の髄までテレビ化するのは避けたい。呆けたように背を丸くしてテレビに見入るわたしは空しい。