続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

転んだら・・・。

2013-07-18 06:33:37 | 日常
 転んだら起き上がる、当たり前の動作を恐れている。
「だって転んだら、そのときはアウトよねぇ」

 タダでは起き上がれない・・・起き上がるときには何かを掴んで起きるという野望、暗喩などではさらさらない。(七転び八起きなんてとんでもない)

 悲しいかな起き上がるときには骨折の危惧があり、その可能性が高いというデーターは年齢が上がれば周知の事実としてみんな肝に銘じていることなのである。

 用心深い日常にも魔の瞬間はあるかもしれない。しかし、それすら避けようと細心の注意を払い《慌てないでゆっくり》を心掛けている。

 そんな66才のわたしの前を90才過ぎのKさんは早足で通り越して行き、今しも赤に変わる信号に気づいて止まるどころか、小走りに駈けて渡った市道。


 用心深さが身体の劣化を加速しているのかもしれない。
 否、否、己の鈍化した身体能力をこそ考慮して、自分らしい予防法で対処していこう。憧れ(夢想)と現実は違う。目の前には見えない綱が張られていて転ぶように仕掛けられているという妄想にこそ従おう。

 ああ・・・(どっち?)すでに膝の支障により早く走ることは不可能なわたし(転んだらアウト)ゆっくり行くべきだと重ねて自分に言い聞かせている。

『ポラーノの広場』31。

2013-07-18 06:21:35 | 宮沢賢治
「この山羊はおまへんだらう。」
「さうらしおねえ。」
「ぼく出てきたらたった一疋で迷ってゐたんだ。」
「山羊もやっぱり犬のやうに一ぺんあるいた道をおぼえてゐるのかねえ。」
「おぼえてるとも。ぢゃ、やるよ。」
「ああ、ほんたうにありがたう。わたしはねえ、顔も洗はないで探しに来たんだ。」
「そんなに遠くから来たの。」


☆散/ばらばらにして要を推しはかると、逸(かくれた)謐(静かな)冥(死後の世界)があり、太陽の曜(かがやき)を兼ねた逸(かくれた)祷(神仏への祈り)がある。
 信仰を宣(広く知らせる)譚(ものがたり)を記している。

『城』1336。

2013-07-18 06:08:53 | カフカ覚書
「わたしも、そうおもいますね」と、Kは言った。「あなたは、いやでもわたしを雇わざるをえないのです。頭痛の種になるかもしれないが、わたしを採用せざるをえないのです。

 Nachdenken→Nachen denken/小舟、思う。
 野党/aufnehmen・・・理解する。

☆「わたしも、そうおもいます」と、Kは言った。意志に反してもあなたはわたしを理解しなければなりません。
 小舟を考える困難を理解すべきなのです。