Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

Die goldenen vierzig Jahre sind vorbei-40歳最後の夜-

昨年、30代と「サヨナラ」して、、、

「40歳」という一年を生きてきました。

まさか、自分が40歳になるとは思ってもみなかった…(苦笑)

先日、某新聞で僕の記事が出たんですが、名前の後ろに(40)と書かれていて、「あ、40なんだ…」と思い、ブルーになった自分がいます。40歳=自分という「事実」に、ショックを受けました。

ただ、数年前までは、「気持ちはseventeenだぜ♪」なんて思えてたけど、今は、それも思いません。

職業柄、10代~20代前半の若者たちに日々触れている僕は、もう、10代や20代の子たちの話についていけません。芸能人やタレントの話はまず噛み合わない。バンドだって、もうほとんど今のバンドは分からない(興味もない…)。漫画も、今の漫画はほぼ全部知らないし、映画も若者の見る映画はほぼ全て分からない…。

なので、きっと、「身体」と「心」のズレは、あまりなくなってきているように思います

40歳になって、この一年で思い知ったのは、「身体は確実に衰えてきている」、ということでした。

先日、このブログでも書きましたが、この一年、「四十肩」に苦しみました。いつも痛いわけではないけれど、少し無理をすると、夜中に目が覚めるほど肩が痛みます。また、膝の痛みも慢性的で、いつも膝が痛いです。。。

肩については、整形外科で診てもらったのですが、「際立った異常はない。無理をしないこと」、と言われました。もう、治るとか治らないとかじゃなくて、この自分の肩とうまく付き合っていくしかない、と。

昔、先輩に、「四十を超えると、身体のどこかがいつも痛いよ」、と言われたことがありました。自分も、例外ではなく、そうなりました。不惑というのは、そういうものなのかな、と学びました。


また、昔強く抱いていた「大志」も消えつつあります。

大きな夢とか、大きな野望とか、そういうものが自分の中から消えました。

「まぁ、自分ごときにできることなど、そう多くはない」、と。

これは、「諦め」とは少し違う気がします。諦めというよりは、「悟り」。あるいは、「己自身を知る」、という感じ。

30代までは、「有名になること」や「売れること」や「成功すること」が絶対の「真理」でした。

でも、40歳になり、これらの野望は、「むしろよくないこと」だ、とホンキで思えるようになりました。前々から、エピクロスの話などをしながら、「隠れて生きよ」という彼のスローガンを掲げてきました。

彼の「隠れて生きよ」、という言葉が、ますます自分の中に入り込んできているように感じます

もちろん、世の中に少しでも貢献できることであれば、表に出てもいいとは思っています。自分が表に出ることで、何か、誰かのためになるなら、喜んで表にはでます。(基本的に、外に出るのは好きだから)

でも、それ以外では、ますます引っ込みたい、隠遁したいという気持ちが強まっています。

それを、きっと、「不惑」というのかな、と。


40歳の一年間、見事に、新曲を作りませんでした。

忙しいというのはあるけど、それ以前に、「曲を作りたい」とか、「歌詞を書きたい」とか、そういう気持ちが湧いてきませんでした。僕的には、結構ショックなんですけど、、、

根本には、「叫びたい事柄」がなくなった、というのがあるかな、と自己分析しています。

今でも、「信念」や「思想」は強くあると思っています。が、それを誰かに分かってもらいたい、とか、誰かに伝えたい、とか、そういうふうにならなくなったのかな、と。

自分の中にちゃんとあればそれでいい、と思うんです。

若者的な意味での「音楽」「ロック」「スピリット」は、さすがに40になると、枯れてくるのかな、と。

かつて「ブレイクアウト」したバンドたちが、40を過ぎた頃から急激にテンションが下がり、いい曲が書けなくなり、活動も停滞するのって、きっと、そういう「叫びたい」という衝動がなくなるからなのかな、と思うんです。前は、「売れて、裕福になって、創作活動ができなくなる」と考えていたんだけど、それだけじゃなく、「叫びたい」という衝動そのものが消えていくからなのだろう、と今は思えます。(そういう意味で、dir en greyが今後どういう展開をみせるのかが気になるところ…)


とはいえ、「学問の世界」的には、「いよいよこれから」というところ。

40歳になると、科研費でも、「若手研究」に応募できなくなります(僕は二年前に最後の「若手研究」で科研費の採択を受けました)。今後は、若手研究者とは言えなくなり、中堅となっていきます。

音楽へのモチベーションが下がる一方で、学門へのモチベーションは増してきているように思います。

素直に、「学術研究」をしている時が一番幸せを感じるようになってきました。無心になって、研究対象の世界に専心没頭する時が、一番の至福、というか…。

この4月に新刊を出して、自分の中で、一つ吹っ切れたものがあって、今後は、ひたすらに地道に研究の道を究めようと思っています。それも、「何かのため」ではなく、「それ自身が目的」となるような感じで。

20代前半から入り込んだ「研究の道」も、すべては「今から」のための準備だったのかな、と思います。

やっている研究もますます複雑になってきました。基本は「教育」と「福祉」の「あいだ」なんだけど、そこに、「医学」「法学」「倫理学」「宗教学」「社会学」「政治学」「平和学」など、隣接する学問領域にまで広がってきています。

その全部を越境するような「学問体系」を描きたい、という衝動があります。(そういう意味では、まだまだ無私無欲ではないのかもしれないけど…)

40歳のこの一年は、その基盤を地味に作ってきたのかな、と。

ま、この話は、「未来」に関わるので、また後ほどに…。


この一年が、「人生の折り返し地点」になるのかもしれません。

「生」があって、走り続けてきて、この1年を回って、「死」に向かっていくのかな、と。

人間、いつ死ぬかは本当に分かりません。

ただ、30代までは、まだ「死」は遠い所にあるものだとリアルに思っていました。

この一年で、それがずいぶんと変わりました。

「死」という(一応の)ゴールに向かって、どうやって生きていこうか、と。

不摂生な僕ですから、いつ、どうなるかなんて、分かりません。

ぱたっと死ぬならあれですけど、重い病やそれに伴う障害を抱えて生きていかなければならなく可能性もなくはありません。寝たきりになる可能性もあれば、認知症になる可能性もある。

この一年で、確実に、「死」を考えるようになりました。それも、「己自身の死」として。

己という「個体」の有限性の自覚と、確実にやってくる「死」の意識化。

これが、この一年の大きなテーマだったのかな、と(振り返って思います)。

そんな40歳最後の夜に聴きたい曲は、これかな!?

名曲ですね。

でも、実は今一番ヘビロテしているのはこの曲だったりして、、、

こういう曲を聴いて、ロマンティックな気持ちになることを忘れたら、嫌だなぁ、と(苦笑)

こういう曲に、自分の初心とか、原点があったりもするのかな…

あと、、、

この曲もまた、40歳の思い出となる曲になりそう。

ロック感があって、ヨーロッパっぽい哀愁漂うメロディーが印象的。

40歳の思い出になってもらいたいなぁ、、、(でも、きっと、後々、40歳の記憶ってほとんどなくなるんだろうな、とも、うすうすと思っています。印象的なイベントがほとんどなくなりました…汗)

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