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Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

恋人たちの沈黙

僕が最も愛する哲学者の一人が
Martin Buberである。

彼の有名な「対話」という文章の中で、
次のような件がある。

いかに熱心に語り合っても、
それだけで会話が成り立つものではないが、
[・・・]いっぽう会話というものは、
音声も、そして身振りさえも必要としないことがある。
言語は何らかの感覚的な外徴なしにもやはり言語であり得るのだ。

音声も身振りもない対話。

これは、僕がずっと気になっていることだ。
音声も身振りも使わないで対話なんてできるのか?

僕がこの本を読んで以来、
ずっとこのことが気になっていた。

だが、Buberは次のようにも言う。

こう言っても私はむろん、
恋人たちがたがいに優しく包み、包まれている沈黙、
ただ関係の喜びにゆたかな眼差しを交わしながら向かいあい、
そうして心と心を通わせているだけで満足しているときの
沈黙を念頭においているのではない。

こう言うのだ。

これも僕を悩ませる一文だ。
恋人たちの沈黙は対話ではない・・・、と。

音声も身振りも必要としない対話であって、
恋人たちのまどろむ沈黙ではないような対話・・・

恋人たちの沈黙というのも、ずっと気になる言葉だった。

たしかに、恋人たちは言葉を交わすことなく、
お互いに見つめあいながら、関係の喜びに酔いしれている。

夏の終わりの夕暮れ時に浜辺で佇む恋人たちは、
見ているだけでも気持ちがいい。

ロマンティックで、ちょっとノスタルジックで。
そういうシーンを写真で撮ると、
例外なく素敵な写真になる。

この時の恋人たちは、いったいどんな関係なのだろう。

お互いに分かり合えているわけではないが、
お互いにお互いのことを想っている。
お互いがお互いの愛情を深く感じていて、
この上ない喜びを感じあっている。

この時の二人は、対話じゃないとすると、
いったい何なんだ?!?!ということになる。

未だに解けない謎として、
僕はずっとこのことが気になっている。。。

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