Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

『めんどくさくない人』について

今、アメリカ大統領選が取り沙汰されています。

トランプ大統領を見ていると、「ああ、めんどくさい人」だなぁ…って思います。(個人的には、嫌いじゃないですけど…)

かくいう僕も、自他共に認める「めんどくさい人」だと思います。

僕の周囲の人は、ホント、大変だと思います。

きっと「かかわりたくない」と思う人も多いことでしょう。

「めんどくさいなぁ…」という顔をあからさまに向けてくることもしばしば。

まぁ、ずっとそういう人生なので、もう、仕方ないかな…と。

大人しくしようとどれだけ頑張っても、めんどくさいことが起こってしまう…

トランプさんほどのめんどくささはないかもしれませんが、普通以上にめんどうな人のまま、死んでいくんだろうなって思います。しょうがない… これも運命なんでしょう。

でも、今回、問題にしたいのは、「めんどくさくない人」

なんだそりゃ?って感じですが、めんどくさい人が露わになるのは、めんどくさくない人がいるから。

めんどくさい人は、わりと論じやすいですが、めんどくさくない人は、なかなか書くのが難しい。

なぜなら、「めんどくさいところ」がないから、とりたてて書くことがない…💦

でも、めんどくさい人から見ると、めんどくさくない人の特徴は色々見えてくる。

というわけで、、、


めんどくさくない人

①問題を起こさない

まず、めんどくさくない人は、いつでもどこでも、大きな問題を起こすことがない。問題が起こらないので、誰かに謝ることもないし、自尊心?も傷つくことがない。当然、普段から、「問題を起こさないように」と気を付けているので、問題は起こりようがない。でも、めんどくさくない人は、その上で、「問題を起こしたくない」ので、更に、予防線を張る努力を惜しまない。

結果として、問題を起こさないので、周囲からの「信頼」を得て、順調に成功していく。素晴らしい。

②周囲への配慮を忘れない

めんどくさくない人は、とにかく周囲への配慮を徹底している。しかも、(僕みたいに)恩着せがましいこともなく、さらりと気を配るので、周囲の人は、とてもいい気持ちになる。しかも、きめ細やかな対応、柔軟な対応をするので、誰とも対立することがなく、誰からも非難されることもない。

結果として、配慮のある人として認められ、周囲からの「信頼」を得て、順調に承認されていく。素晴らしい。

③リスクのあることはしない

めんどくさくない人は、リスクのあることはできるだけ回避する。危ないことはしない。少しでも危ないと思われることはしない(ないしは、積極的にはしない)。「なにかしでかす」ということもない。リスクのあることをしないから、結果として、失敗もない。問題も起こらない。ロジック的には筋が通っている。

結果として、めんどくさくない人は失敗しないし、安全に事を進めることができる。素晴らしい。

④むやみに、「自分が!」「自分が!」と主張しない

めんどくさくない人は、表面上、絶対に「俺が!」「私が!」「自分が!」と言わない。もちろん自分の意見を主張することも極力しない。とりあえず、相手の話をしっかり聞き、相手に「聞いてもらえた💛」と思ってもらえるように、自分を抑制する。トランプさんとは真逆の人、それこそが、「めんどくさくない人」であります。バイデンさんはまさに「めんどくさくない人」の代表例…かもしれません。

結果として、めんどくさくない人は、敵ができず、エゴイストと思われることもない(*とはいえ、このことが、エゴイストではない、ということを意味するものでもない、とも思います)

⑤他人の悪口や陰口を言わない

めんどくさくない人は、人の悪口や陰口を絶対に言いません。➂と④とも関連しますが、悪口や陰口がいつかまわりまわって自分に振りかぶることを懸念しているので、そういうことを口にしません。悪口や陰口を言わないので、まわりの人も、聞いていて嫌な気分になりません。当然、そういうことを言わないので、誰も傷つけませんし、誰も不快にさせません。

結果として、めんどくさくない人は、信頼されるだけでなく、多くの人に愛され、好かれ、求められ…、まさに「いい事ずくめ」であります。素晴らし過ぎる…😢

⑥変に逆らったり反抗したりしない

めんどくさい人は自分の非を認めずに、反抗し、攻撃し、自分を正当化する(ホント、めんどくさい…)。その反対にいるのが、めんどくさくない人です。自分の非を認め、反抗せず、攻撃せず、決して自分を正当化しません。謙虚さと柔軟性としなやかさを兼ね備えていて、他人の非さえも、我が事として受け止めるので、ますます信頼されるようになるわけです。

結果として、めんどくさくない人は、どんどん「力」(権力?)を得ていくわけです(?!)


こうやって、めんどくさい人の視点から、めんどくさくない人の特徴を挙げていくと、ただただ「凄いなぁ…」って思います(苦笑)。(書いてて、「ホント凄いわ…」って思っちゃった…)

こういう人が、組織や集団の中で、成功していき、「力」を得ていくのでしょうね。(当然といえば当然…か)

でも、こういう生き方を続けていくのって、大変だろうなぁ、とも思います。どれだけ「自制」していることでしょう。どれだけ「自己犠牲」をしていることでしょう。「ストレス」はいかほどでしょう。…

めんどくさくない人は、ドイツの文脈で言えば、「善き人」であり、「普通の人」とも言えるかもしれません。

めんどくさくない人の心中は、いったいどうなっているのでしょうか。(めんどくさい僕には、到底、想像さえできないところではありますが…)

春陽のように穏やかな心でいるのでしょうか。それとも…

あと、これを書いて思ったのは、めんどくさくない人は、とても「倫理的」な生き方をしているなって思いました。倫理的? 道徳的? どういえばよいか分かりませんが、「倫理学」や「道徳論」で「大事だ」と思われるような要素をしっかり身につけているように思いました。東洋思想的な道徳論としても、西洋のキリスト教的倫理学としても、「よい」と思われるような要素をしっかり兼ね備えているなぁ、と。

ただ、めんどくさくない人に潜む問題点というのもありそうな気もしなくもない…。

めんどくさい人に比べて、なかなかその問題点が見えにくいので、それを言葉にするのは大変だと思いますが…

人間っていうのは、単純に「いい・悪い」と綺麗に区分けして語れる存在ではありません。この人はいい人、この人は悪い人って、綺麗に区分することもなかなかできないと思います。

日本人なら、きっと誰もが『歎異抄』のあの言葉を知っていると思います。

>善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや

ここでいう「悪人」は、僕らの思うような「悪人」ではなく、「煩悩(欲や怒り、ねたみ、そねみ)をもつ全ての人」のことです。この観点からすれば、めんどくさくない人もまた、「悪人」になるし、めんどくさい人もめんどくさくない人も、結局は「同じ穴の貉」ってことになるんですよね。

どちらの人も、根本的には「煩悩」をもつ存在には違いない。

ただ、その「煩悩」をうまく隠せるか、隠せないか、ただそれだけではないのでしょうか。

…って考えると、自分は、やっぱり「めんどくさくない人」にはなれないなって思います。

自分に素直でありたいし、自分に正直でありたいし、煩悩は煩悩でそのままさらけ出したいし…💦

45歳にもなってこんなことを言ってていいのかよ…と思う自分もいるにはいます。

もっと大人になって、めんどくさくない人を目指せよ…って言う自分もいます。

でも、…できないんだなぁ~、これが…😢

めんどくさくない人に、「少しはめんどくさい人になれよ」って言って聞かせるくらいに難しい…。

あ、でも、僕の場合、「できない」っていうか、「なりたくない」っていうか…

…結局、それが「生き方」というか、「生きる姿勢」なのかな、、、?!

 

ま、みんな、どう生きようが、死ぬときは死ぬんだ。

みんな、残された時間はそんなに長くない。

めんどくさく生きても、めんどくさくなく生きても、結局は、みんなサクラハナビラ…

ぽっくり逝っちゃうんだろうな、、、と。

 

…やっぱ、めんどくさい人間だな、、、

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