Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

辛い時は辛いと叫べ-絶望や失意を超えるために 児童殺害事件から考える

児童遺棄、児童殺害に関するニュースは、そのつど、このブログで記録してきましたが、このところ、あまりにもこうしたニュースが多すぎて、拾えきれていません。

それくらい、児童遺棄、児童殺害が日々、頻繁に起こっているということだと思います。決して、数的には多くはないと思います。が、おいつけないくらいに日々、この話題が取り上げられているというのもまた事実です。

「なぜなんだ?」「どうしてなんだ?」と思う人も多いかと思います。この問題は、もはや「個人レベル」の問題ではないはずです。かわいくて愛らしい存在である赤ちゃんを、お腹を痛めて産んだ赤ちゃんを、好んで、積極的に殺そうとする母親がこの国にこんなにもいるとは、やはり思えません。追いつめられた先、絶望の先、失望の先に、こういう事件があるとすれば、それは、「防げたはず」の事件であり、こういう事件が起こらないような「子育て支援システム」が作られねばならないはずです。

付けくわえるならば、自殺については、ほとんど報道さえされていません。年間3万人を超える時代がずっと続いています。それくらい、日々、多くの人が絶望を感じている、ということです。


生後1か月の乳児死亡…37歳母親が殺害認める

生後1か月の次女を殺害したとして、兵庫県警宝塚署は15日、母親で同県宝塚市仁川北、無職山口千恵子容疑者(37)を殺人容疑で逮捕した。

山口容疑者は「(次女が)あやしても泣きやまないので、強く抱きしめて泣き声が出ないようになればいいと思った。泣きやむなら死んでもいいと思い、腕に力を入れ続けた。1時間くらいで足が冷たくなった」と述べ、容疑を認めているという。

発表では、山口容疑者は13日午後5時頃から14日午後10時40分頃の間、自宅で次女の凛奈ちゃんの顔を自分の胸に押し付け、殺害した疑い。窒息死とみられる。

凛奈ちゃんを出産後、育児に悩み、産婦人科の医師らに「眠れない」などと訴え、睡眠薬を飲んでいたという。

山口容疑者は会社員の夫(35)と長女(4)、凛奈ちゃんの4人暮らし。当時、夫は出張中で、長女は13日から同県三木市の祖母(67)が預かっており、凛奈ちゃんと2人きりだった。

(2012年3月15日19時29分  読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120315-OYT1T00544.htm?from=tw

赤文字部分:筆者


この記事も、見方によっては、「そんなんなら、産むなよ」「勝手な母親だ」「ガキがガキを産むな」と批難される内容でしょう。それは(ある種、ある程度)認めます。

それよりも危険なのは、「睡眠薬? 病気だったのか」「病気じゃ仕方ないね」「不眠症ならしょうがない」という「あきらめ」に似た評価です。上のように書かれると、「しょうがない」と思うしかありません。

「不眠だから、病気だから、精神障害だから、○○してもしょうがいないよね」、という考え方もまた、自己責任論と同情論であり、何の問題解決になりません。

考えなければならないのは、追いつめられた時、絶望的な時、あるいは「すべてどうなってもいい」と自暴自棄になり、まわりが見えなくなる時、そういう時に、「溺れる者は藁をもつかむ」の「藁」はあるのかどうか。いざという時に、すがれる場所、包んでもらえる場所、助けてくれる場所、人、もの、コト、そういうものの存在だと思います。

この事件では、夫の方がおられました。妻が上記のように追いつめられていたことを知っていたのでしょうか。知っていたかもしれません。けれど、恐らく知らなかったのではないでしょうか。悩んでいたり不眠で苦しんでいたりすることは知っていたと思います。が、子育てに追いつめられ、子殺しの可能性をもつ存在とは、認識していなかったように思われます(違うかもしれませんが…)

この事件の真意は分かりませんが、一緒に暮らす夫婦であっても、「助けにならない」ということもある、ということは認めておきたいところです。夫婦は、冷めてみれば、ある種の権力関係です。妻の苦しみに無関心な夫はいくらでもいるでしょう。逆に、自殺の例でいえば、夫の苦しみに無関心な妻というのも想像できると思います。たとえ一緒に暮らしているからといって、その関係が深いということはないのです。

藁となる存在が傍にいるかどうか。それは、本当に個々それぞれでしょう。助けとなる友人や知人がたくさんいる人もいれば、全くいない場合もあります。こういう事件の場合、後者のケースであることが圧倒的です。でも、それをその人に責めることはできません。「なんで、お前には友だちがいないんだ?!」、…そんなこと、聴けません。

それこそ、昨年アメリカが行った「トモダチ作戦」、否、「日本トモダチ作戦」をやる必要があるのかもしれません(誇れる作戦ではありませんが、孤独、孤立がまん延するこの国ですからね…)

孤独死の問題も深刻です。孤立化する若者問題もあります。

総合すると、「孤立した人間、孤独な人間の絶望や失望とどう向き合うか」、という問題に収斂されると思います。なんかキルケゴールを引用したくなる問いですが、まさにこの問題が今この国にはあると思います。

日本人って、いつから、ここまで孤立してしまったのでしょうかね。いつから、こんなにも眠れなくなり、人に頼れなくなったのでしょうかね。あるいは、そもそもそういう国民性をもっているのでしょうかね??

僕的には、「辛い時は、誰彼かまわず、叫べ」、です。辛い時は、言葉で叫び、誰かに(分かってもらえなくても)話す、そして、泣きつく。甘える。すがる。プライドを捨てる。それでいいじゃないか、と。どうしようもない時は、誰でもいいから、誰かを探す。助けてくれる人、その手段を探す。誰かが助けてくれるんですから。僕は、根本的に、人ってみんなそれなりに助けてくれる存在だと思っています。(根本解決は望まない!)

上の記事のお母さんも、自分の中にある壁を壊し、誰彼かまわずに、「辛い辛い」と叫べば、それによって何かが変わっていたかもしれません。

そういう「生き方」もまた、教育によって作られるものだと思うんですよね。「辛い時に辛いと言える人間を作る」、…現状を見ると、そういう教育って、どこでもやってない気がします。「辛くても頑張れ」じゃないですか?! 「辛いから、代わりにやって♪」と言えるような教育も、やはり大事な気がします。

身近なところに助けてくれる人がいないなら、どこでもいいから行政機関等に電話をかけまくるのです。そうすれば、それなりにそれなりの何かが見つかるんですよね。それに、もっと多くの人が気づいてくれたら、と願うばかりです。

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