Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

保育園という政治空間-この問題を「虐待」や「しつけ」で片づけるな!

朝日新聞に、保育園に関する不可解な記事が掲載されていました。

この記事だけではなんとも言えませんが、本当に不可解で不思議な文章だったので。

まず、その記事を見てみましょう。


「無理に食事」「園児に暴言」保護者が訴え 保育士2人を諭旨退職に

愛知県大府市の私立かんだ保育園(園児86人)で、園児に対し不適切な言動などがあったとして、保育士2人が諭旨退職となっていたことがわかった。園ではほかに11人の保育士が退職し、このうち複数の保育士が園長の言動を理由とした体調不良を訴え園長は降格となった。市は混乱の収拾を園側に求めている。

かんだ保育園は、社会福祉法人「みのむし学園」(長野県塩尻市)が昨年4月に開設。園側によると、今年1月ごろから、「園児が無理に食事をさせられた」「園児に暴言を吐いた」などの訴えが保護者から相次いだ。

8月6日に内部調査を始め、30代の保育士について「園児への厳しい言動や、無理に食べさせる不適切な行為があった」と判断。50代の主任保育士については土曜保育を勝手に断っていたことがわかり、「保育の否定は重大で、30代保育士への指導も十分だったと言えない」と指摘。ともに30日付で諭旨退職とした。

■保育士11人が退職 園長を降格

園長の50代女性については7月、「過度に厳しい言動があり、複数の職員が体調不良を理由に欠勤、退職した」などとして、文書で注意していた。園では昨年4月~今年8月に保育士11人が退職。内部調査では「職場環境の悪化につながる多くの問題が生じていた」と指摘し、園長を30日付で主任に降格させた。

園側は8月31日の保護者会でこうした調査結果と処分を説明した。ただ、保護者側の訴えと一致しない部分もあり、第三者機関を置いてさらに調査し、改善策をとる方針を示した。

大府市と愛知県は5月に監査を実施。市は不適切保育や保育士の大量退職を「今後の運営上、見過ごせない」とし、早期の改善を求めている。

後任の園長に就いたみのむし学園の御子柴匡章理事は取材に「今後、職員間の十分な意思疎通を図り、園内研修や保護者参観を積極的に実施する。休園は何としても避け、園児の保育に影響がないよう最善を尽くす」と話した。

引用元はこちら

(下線部は筆者による)


この記事を読んだ時、「あ、これは、保育士の虐待問題として片づけられるな」「保育士の指導不足問題として判断されるな」、と思いました。

この記事にある保育園で起こったことは、虐待問題以前の「政治的問題(園内政治)」の問題であり、ガバナンスの問題であり、前々からこのブログでも指摘してきた「保育園の政治性の脆弱さ」の問題なのです。

でも、見出しにある「無理に食事」「園児に暴言」「保護者が訴え」という三つのワードから、「虐待問題」「指導(しつけ)問題」にミスリードされるだろうな、と思いました。

この朝日新聞の記事に対して、精神科医の井上智介さんは次のようにコメントしています。


長期的に子どもが言葉の暴力や心理的なネグレクトを受けると、【その時だけ】心の傷を負うのではありません。成人になっても簡単に治癒しない程の【脳に深い傷】を残します。…保育士に限らず長期で子供に関わるということは、決してその時の関わりだけではなく、関わり方によっては、その子の一生を左右する可能性すらあるくらいの共通認識を持ちたいですね。

引用元はこちら(上の記事のコメント欄です)


この井上さんがご指摘している内容については、その通りだと思います。虐待はあってはなりません。

が、僕の悪い予感どおりで、「児童虐待問題」として語られていて、この保育園の状態の不可解さや気持ち悪さについては何もコメントしていません。

この記事では、「無理に食事」「園児に暴言」と保護者が訴えていることしか書いてなく、しかもその真偽が不明のまま、保育士2人が論旨退職となっていると書かれてあるのみです。そして、内部調査から、それ以外の問題がいっぱい噴出してきた、というのがこの記事の趣旨かと思われます。(それこそが「保育園という政治空間の問題だ」と思うのです)

次に、保育業界では圧倒的な影響力をもつ大豆生田啓友さんは次のようにコメントしています。


現在の保育の考え方では、無理にでも時間内にすべて残さず食べさせるという考えではありません。生まれながらに一人一人の子どもの身体も発達も違うので、それに合わせ、その子にあったペースでの楽しい中での食事指導が求められます。このような保育が行われる背景には、子どもは厳しくしつけないと育たない、一律にみんな同じようにさせるべき等の古いしつけ観があるのかもしれません。それは、現在の発達研究からも好ましくないことがわかっています。多くの園では、そうではなく、子ども一人一人の個性や人権を尊重し、温かく手厚い保育をしています。それは、国が出している幼稚園教育要領や保育所保育指針等の方向でもあります。一方、保育者の負担感が大きいこともこうした不適切なかかわりの背景にある場合もありますので、そうした待遇の課題も解決される必要があるでしょう。

引用元は同上


上の井上さんよりは、保育現場に即したコメントになっていると思います。

大豆生田さんは「虐待」という言葉は使っていませんが、それに準ずる「指導問題」「しつけのあり方」「個性や人権の尊重」という問題として語ってしまっています。

大豆生田さんも、パターンとしては井上さんと同じで、「○○は××という悪い影響をもたらすからやめるように」という上から目線で、かつ(アドルノが最も嫌う)「傍観者的態度」でのコメントになっています。これまで何十、何百、何千という保育者が何の声もあげることなく、苦しみや絶望の果てに去っていっているというのに…。

ただ、大豆生田さんは最後の最後で、その保育園の政治性に触れてくれています。「保育者の負担感が大きいこともこうした不適切なかかわりの背景にある場合」もある、と指摘し、保育者の置かれている負担的状況についても一定の理解を示しているといえると思います(が、「そうした待遇の課題も」としており、「も」の問題=ついでの問題として表現されています)。

この新聞記事にある保育園の問題は、保育業界全体の問題(闇的な問題)を映しているはずなんです。それは、「保育園という政治空間の未熟さ」に尽きると思います。

このことは、いわゆる「専門家」ではない「一般の方」のコメントの方が的を得ているな、と思いました。

きちんとこの記事を保育園の政治問題として捉えているコメントをいくつかご紹介します。


■これからの保育の仕事とかはこういう事件が増えそう。なぜなら見合うだけの待遇がないから。保育や教育に金を使わないと、すぐに影響ないけど人材育成に悪影響出て、日本全体に悪影響が出る。

■園の方針や園長の考え方や行動1つで職員のパワハラや園児への虐待につながります。

■私の子供の保育園も、何人もの先生が退職されています。主任先生が子供や先生に暴言を吐くのを度々目の当たりにすることがありますが、小さな村な為、私が発言することによって子供が標的にされたらどうしようと何も出来ずにいます。過去、以前お辞めになった先生が役場に相談に行ったそうですが、結局何も改善されることはなく逆にその先生は退職というかたちをとられました。役場はたよりにならない、こんな時は保護者としてどうすればよいのでしょうか。

■園長のパワハラ疑惑に職員の多数離職。これは園長の絶対君主化して職員が離れる一番ダメなタイプの園です。こういう保育園は事故や怪我が多発しやすく隠蔽しやすい環境で上記の2つの事も全てこれが起因しています。我が儘な園長に振り回されてお気に入りの保育士以外はストレスを抱え、気に入られた保育者は好きなようにやる。

■昨年度まで保育士としてフルで働いていました。主任・正規の先生、臨時、パートとみんな向上心が高く…会議や園内研修では何でも言い合える仲でした。やってみたい事、やった事に対しての評価を必ず主任・副主任がしてくれて…。反省点があっても、嫌味ではなく「こうすればもっと良かったかもね。次に期待しているよ」と言った感じでした。…ただ園長と理事長だけが、保育の「ほ」の字も知らない素人で…。(保育士や幼稚園免許無し)どこかの誰かから吹き込まれた保育がしたいとか。
理想ばかりを言ってきて、ウンザリでしたね…だからかせっかくいい働き場でも辞める人は、いました。


大変失礼ですが、専門家の井上さんや大豆生田さんよりも、きちんとこの新聞記事のことを正しく把握されているように思いました。

この記事に出ている保育園の問題は、個々の保育者の保育の質の問題に落とし込める問題ではなく、園全体のガバナンスやカリキュラムの問題であり、また「園長の絶対君主化」の問題であり、「たよりにならない役場」の問題であり、「組織全体」の問題だと思われます。

つまり、政治的な問題なのです。

これまで何人もの保育者がいわば「泣き寝入り」という形で現場を去っているのを何度となく見てきました。公務員である教師に比べても、立場はとてもとても弱く、危うい立場で日々懸命に働いているんです。上の記事でも、11人の保育者が退職したとあります。これはもはや保育者個人の問題ではないと言わざるを得ません。労働問題としても大問題です(こういうことは保育現場では常に繰り返されています!)。小学校や中学校で教師が11人退職するなんて、聴いたことがありません。

保育士の道を選ぶ人たちは、元来、みんな真面目で、子どもが好きで、正直で、素直で、(この世界にこんな素直な人がいるのかと思うほどに)善き人たちばかりです。その「善意」だけに、これまで皆がぶら下がってきたと思います。園長や理事長や行政が無能でもこれまで現場での保育が行われてきたのは、そういう保育者たちの日々の努力があってのことです。

ただ、その保育者たちの善意だけではもうどうしようもなくなっているのが、今の保育現場なのだろうと思います。

これらのことを踏まえ、保育や初等教育にかかわる僕らが考えるべき点は以下の三点にあると思います。

①保育士養成課程の中にもっと「政治学(政治思想)」や「社会学(社会システム論)」や「哲学(道徳哲学や社会思想)」にかかわる科目を用意して、保育者に政治学的・社会学的な観点を与える必要があるのではないか(それがまったく欠けているのが、今の保育養成課程になっている)。だから、日本の保育者は、保育技術という意味では高い質を保っているけれど、自律的な実践者(政治主体としての実践者)としては極めて脆弱だと思われます。(このことは『学びの実践学』の後半でいっぱい触れています)

②今後、保育行政を担う人たちはどのようにして、子どもや園を守るだけでなく、保育者そのものを支えていくか。資格を与えて、保育者を管理するだけでなく、保育者の主体的意識や自律性をどう保護していくか。上のコメントにも、「以前お辞めになった先生が役場に相談に行ったそうですが、結局何も改善されることはなく逆にその先生は退職というかたちをとられました」とあります。保育者のための相談窓口もあってもよいと思いますが…

③この問題の核心は、「個々の親」と「個々の保育者」と「園長・理事長」と「行政の役人」とがまったく連携できていない広い意味でのガバナンスの問題でないのか。お互いに言い分を言い合っているだけでは、こういう問題はまた必ず繰り返されます。保育園が一つの社会であり、組織であり、そして政治空間であるなら、そこには必ず「対話」と「同意」が必要になります。それぞれの意志や思惑があるでしょうから、それをきちんと公的な場で議論し、対話し、同意形成をするという「民主的なプロセス」を経る必要があるのです。

保育研究者も、個々の保育のスキルや技術、子どもの発達上の支援、ないしは保育的な関係論にしか興味がないように思われます。更に近年は、現場上がりの先生が保育士養成にかかわることが多く、現場での対応マニュアルのような話しかできてないようにも思われます。

でも、保育園という空間は、様々な人間が集まり、それぞれに思惑のある「政治空間」です。そんなことを言うと、「保育と政治を結び付けるな」「保育に政治を持ち込むな」、「保育者は子どものことだけを考えていればいい」と言われそうですが、、、

でも、保育園って、まさに「政治空間」ですから。ドロドロの現実の政治的世界ですから。

政治家だって選挙前には必ず「子育て」「教育」「保育」「少子化」を叫んでいるじゃないですか!!👊(当選後にそれに真面目に取り組んでいる政治家を見たことがないですけどね…苦笑)

賃金(お金)の問題も、労働時間の問題も、人材不足の問題も、園のガバナンスの問題も、親や外部からのクレーム対応も、第三者によるチェックも、園長や理事長の独裁運営も、行政による指導も、すべて(保育者個人の問題ではなく)政治的な問題ですからね。

もう、これ以上、保育者や保育実践者が傷ついて、その現場を去る姿は見たくないです。

Fin.

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