今、京都の宇治にいます。
学会に参加してきました。発表もしてきました。
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心理学系の学会でした。
なので、議論はもちろん「心理」について。
改めて、考え直してみた。
「心って何だろう?」
心は、感情だったり、感覚だったり、気持ちだったり、意識だったりする。
悲しい、辛い、嬉しい、ムカつく、怒る、寒い、冷たい、暑い、熱い、ほかほかする、ほっこりする、集中する…
心は、一言で言い表すのが難しい。
だいたい、心がどこにあって、どのようにして作用しているのか。
それに答えるのは、極めて難しい。
「心が痛い」、と人は言う。でも、いわゆる「痛み」とは違って、どこも悪いところが(客観的に)測定できない場合も多々ある。
心って何だろう?
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この歳になって思うのは、かつてほど、心が敏感に動かなくなった。
喜怒哀楽も徐々になくなってきている。心が動く経験も少なくなってくる。
「悲しい」とか、「嬉しい」とか、思うことが少なくなった。
平常心。
この平常心だって、心の問題だったりする。
でも、日々、心は、色んな表情になって、日々、刻々と変わる。
喜んでいたかと思ったら、悲しんで。悲しんでいたら、思いがけずに嬉しくなって、けど、夜になると、寂しくて。人恋しくて。そして、朝を迎えると、頑張ろうという気持ちになって、でもまた凹んで、いじけて、悲しんで…
常に自分の中で起こっていることなのに、少し場面が変わっただけで、気持ちががらりと変化することもある。
常に、心は、なんらかの感情を引き起こしている。
でも、その心がどこにあって、どうなっているのかは、誰にも分からない。
そのつどの感情や感覚を書きだしたところで、それは、心が作用した一つの「結果」に過ぎず、ちょっとすれば、また別の「結果」を引き起こす。
心の断片を拾い出して、小さな法則性を見つけることはできる。
でも、「心」の全体を描くことはとても難しい。
あらゆる個々の感情や感覚を引き起こす、その基となる「心」とはいったい何なのか。
しかも、やっかいなことに、「無意識」という言葉があって、意識されていないけど、動いている心というのもある。
心について、真面目に考えると、途端に途方に暮れることになる。
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でも、いずれにしても、みんな、誰もが「心」を問題にする。
心って何だろう?!って。
上にも書いたけど、歳を重ねるにつれて、心がどんどん小さくなっていくのを感じる。
若者たちは、逆に、心が動いて、喜怒哀楽に包まれている。
心って、膨らんでいって、しぼんでいくようなものなのかな?!
未だによく分からない。
ただ、たまにでもいいから、「心って何だろう?」と考えてみるのはいいことだと思う。
きっと、答えは一つじゃないし、今の答えが明日の答えとも限らない。
雲みたいなものかな?!、とも。
人間の永遠の不思議、とも。