ガーベラ・ダイアリー

日々の発見&読書記録を気ままにつづっていきます!
本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

橋本 治著 「「わからない」という方法」 集英社新書

2006-01-07 | こんな本読みました

氏の著作を読んでいるとなぜかこんな絵が浮かんでくる。

「橋本さん」というタクシーの運転手さんに、行き先を告げ後部座席でゆっくりする客、ガーベラ。(以下、ガー)
橋本運転手さんに、「お客さん、面白いところがあるんだけど寄ってみる?ちょっと遠回りだけど。」なんて言われ「時間もあるし、いいですよ」と答えるガー。「ほらほら、ここここ!」「ほんとー、いいとこですねー!」と無邪気に喜び感心するガー。(←単純な奴)
「あれっ、今どこに向かってるんだっけ?」なんていう疑問をたびたび抱きつつも、その行程を楽しんでしまっている。でも最後には「はい、目的地に着きましたよ!」ときっちりオトシマエをつけてくれる。おそるべし、橋本運転手!!

・・・なんていう絵。「目的地」もさることながら、その「行程」自体を楽しめる本である。

二十世紀を<「わかる」が当然の時代>ととらえ、<そもそもが、「恥の社会」である日本に、「自分の知らない”正解”がどこかにあるはず」という二十世紀病が重なってしまった。その結果、「わからない=恥」は、日本社会に抜きがたく確固としてしまったのである。>と述べる。

しかし<人はこまめに挫折を繰り返す。一度手に入れただけの自信は、たやすく役立たずになり変わる。人はたんびたんびに「わからない」に直面して、その疑問を自分の頭で解いていくしかないーーこれは、人類史を貫く不変の真理なのである。自分がぶち当たった壁や疑問は、自分オリジナルの挫折であり疑問である。>ゆえに<自分で切り開くしかない>ことを確認しこれからは「わからない」をスタート地点とする時代であると説く。

そこで氏は自分の生き方をポンとまな板の上にのせる。つまり私たち読者に、具体的に「自分のわからなかった点」を挙げ、それらを「どのようにしてそれにたちむかったか」を詳細に説明していくのである。

ひとつめが「どうして自分がセーターの編み方の本を書こうとしたか」
ふたつめが「エコール・ド・パリをどのようにドラマ化したか」
みっつめが「どうして桃尻語訳枕草子を書き表そうとしたか」がテーマとなる。

それらを順を追って説明してくれる。その方法を知るということは作家の手の内を知るということと同義でとても面白く興味深いものがあった。ここまで丁寧に「わかるまで」の道筋を明らかにしてくれる本はいまだかつて見たことがない。それだけ、氏はサービス精神旺盛と言えるのか、はたまた新たな戦略なのか。

氏は、デビュー作『桃尻娘』を書いた後、「ストックゼロ」つまり「とりあえず書くことがなくなってしまった」という。しかしそれは恥ではない。<恥ずべきは、中途半端なまま「終わり」ということにしてしまうことである。>そして<次の作品を書くために必要なのは「新しい視点」>だと考える。では「新しい視点」はどうやったら生まれるか?

その答えはすぐには、読者に明示されない。「新しい視点」を得るまでの氏の思索や考えが延々と述べられ、読者はそれにずーっとつき合わされるのである。例えばこんなふうに。

<いろいろなことをやってしまうと、「あの人はいろいろなことがやれる人だ」と言う錯覚が生まれる。しかし、「いろいろなことがやれる」は結果論であって、なぜ人が「いろいろなこと」をやるのかと言えば、「いろいろなことをやらざるをえないから」であって、その人のやった「いろいろなこと」は、壁にぶつかったその人が示す、挫折の数であり、試行錯誤の数でしかないのである。>

<人生に挫折があるのはしょうがない。ことの必然でしかない挫折の存在を、まず認める。そして、所詮は「挫折」でしかないものを「挫折」に見せないための工夫、あるいは覚悟を持つーーそれだけが、人を挫折の苦しみから救うのである。>

<「いろいろなことをやりたい」と思うのは、なにをしてよいのかがわからないでいるからである。「今までとは違う新しいことをしたい」と思うのなら、その時、「今まで」は壁にぶつかっているのである。つまりは挫折しているのであるから、そこから脱出する方法は一つしかない。「挫折している自分自身」を素直に認めることである。挫折を肯定し、そこを、「スタート地点」として設定し直すーーただそれだけのことである。>

氏の述べられる考えひとつひとつに納得させられながら、次へ次へと氏の誘導に誘われていくのである。そして随所随所「目からうろこ」が落ちるのである。

以下、こころに残ったところを覚書として記しておく。(これからこの本を読もうとする方は愉しみが減じてしまいますので、読まない方がいいかもしれません。というかいつも引用の多い私のブログスタイルあんまり良くないかな?基本的にネタバレなのでこの場をお借りしておわびします。ペコリ)

<多くの人は、「へん」という言葉に尻込みをする。それに怯えて、自分の持っている特性を手放してしまう。しかし、「へん」というものは、持ちこたえれば、十分な美点にかわるものであり、「わからない」を方法にするためにもっとも必要なものも、「へん」なのである。>

 <「なんにも知らない人間」が「なにか」を知るために必要なことは、「なんにも知らない」になっている空白を埋めること>

<「情報の収集」とは、「ピンと来た瞬間から始まる過去への逆行」だということである。>

<私の根本にあるのは経験主義である。わかる前に、経験してしまう。経験しないとなんにもわからない。「経験した」ということは、「わかるための材料を集めた」ということで、「経験した」だけでは、まだなんの意味もない。その「経験したこと=知りえた知識」を基にして再構築をするーー「わかる」とは、その再構築の作業なのである。>

<私は「知らない」ということを恐れない。知らないのなら、それを改めて知ればいいのだし、それを「知らない」のままにしていたのは、それを知る必要がなかったのだから、べつに恥じる必要もない。>

<恥じるべきことはただ一つ、自分に必要な下地を欠落させていることーーそれに気付かないでいることだけなのである。>

 読む人やその人のおかれている状況によって、印象に残る箇所は当然違ってくると思う。橋本氏の著作を読むといつもいろいろな「視点」を得ることができる。漠然と思っていることを的確な言葉で表してくれる。この本を手元に置いて、自分が何かに「わからなく」なった時に随時読み返してみたくなる本である。


 


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2 コメント

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おお~ (つな)
2006-01-10 00:03:51
私、一度読んでいるくせに、ガーベラさんが引用なさっている、「挫折」に関する部分が、心に沁みました。これもまた、状況によって、気になる言葉が違ってくるということなのかもしれません。

私もまた、もう一度教えられたような気がします。

ありがとうございました♪



*こちらからも、トラバお返しいたしました~。
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状況によって・・・ (ガーベラ)
2006-01-10 16:10:59
>つなさんへ

「本」ってその時の状況によって心に沁みる

箇所が違ってくるからおもしろいですよね!

目には見えないけれど、自分も変化しているってことなのかな。私もつなさん同様、引用した部分かなりぐっときました。



コメント&トラバ返しどうもありがとうございました♪



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