今日は、第三章からです。。。
<教育者は過ち自体より、過ちを犯した子どものことをまず最初に考えるべきです。>
<十代の子どもは、たとえ多少太っていようが欠点があろうが、マスコミが宣伝する美の基準に外れていようが、自分を美しいと感じるべきです。美というのは、見る人の目の中にあるのですから。>
<子どもに間違いを指摘されるのを毛嫌いする親がいます。それで、口答えなど絶対に受けつけない、という態度をとります。暴力を振るい、権威を振りかざし、子どもの洞察力を抹殺します。そして、自分と同じような、暴力で物事を解決する人間を再生産するわけです。権威を振りかざすのは、自分の弱さを知られるのが怖いからです。>
<友だちと比較しないでください。どの子どもも、人生という舞台ではかけがえのない存在なのです。>
<この母親は、怒りが子どもの成長に不可欠であることがわかりませんでした。分別ある大人になるためには、喪失感と怒りの処理の仕方を学ぶ必要があるのです。> *この母親というのは、息子を怒らせるのがこわくて「いけません」と言えない母親。そして、守れない約束をしてしまう。(*はガーベラによる註)
……そうしてこの息子はどうなったか?
母親を尊敬しなくなり、母親をだまし、利用するようになった。そして、大人になってから、この息子は人と争ってばかりいるようになった。うわべを取り繕い、約束を守らなかった母親の姿をずっと見てきたせいで、社会全体を懐疑的に見るようになった、とある。
<約束は必ず守ってください。守れない場合は、いくら子どもが怒っても、怯まずに「できない」とはっきり言うべきです。あなたが悪ければ、それを正してすぐに謝らなければなりません。教育上の大きな過ちは、すぐに修正すれば必ず解決できます。>
<傷の大きさは問題ではありません。大事なのは傷を乗り越えようとする心の持ちようなのです。>
以上、第三章からでした。
ちなみに、第四章では、人間の記憶の役割について。五つの役割をあげている。特に、記憶と感情のむすびつきについて、記憶の再編集についての著述が印象に残った。
第五章では、著者の考える「理想の学校」について、具体的な方法をあげている。教室の環境、教師の問いかけの術や質問の技、どんなことを教える学校が理想なのかが述べられている。
第六章では、「巨大な塔」という物語がのせられている。これは、<この社会が進もうとしている危険な道と教育の危機について、そしてよりよい世界を作るために親と教師がいかに大事かについて>の物語。国際会議で披露されたものとのこと。
以上、最後はかけあしになってしまいました(あしからず)。
この本を読んでいかに、子どもの教育に関わる人の「生きる姿勢」がいかに大切かを痛切に感じた。母親としての生き方そのものが、子どもを「教育」しているのだと思うと冷や汗が出た。今まで「教育」しているという「意識」がなかった。しかし、これこそが、子どもに伝わっているいちばんのことなのかもしれないー。
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